第109話:グリマルキン草
その事件は、俺が暇つぶしに自室で魔女の業界誌を読んでいたことから始まった。
「グリマルキン草で猫耳を生やしてイメチェン……?」
なんでも、そのハーブを食べると猫耳と尻尾が生えるらしい。
記事を見た感じオシャレアイテムみたいな感じで紹介されているので、特に体に害も無さそうだ。
そういや、以前に魔女のおばあちゃん達の
「ジェルに食べさせたら猫耳と尻尾が生えたりすんのかな。
本人は嫌がるだろうけど、絶対可愛いだろうなぁ。なんなら写真に撮って保存したい……」
『うにゃぁん……アレク、見ないでくださいにゃん……♡』
妄想の中で、猫耳で恥ずかしそうに上目遣いで俺を見る弟の姿が浮かび、思わず口元がゆるむ。
「やべぇ、面白そうじゃねぇか」
俺は雑誌をベッドの上に放り投げ、ジェルに見つからないように、こっそり倉庫に置かれているハーブの入ったカゴを確認しに行った。
「これだな……」
目的の草は、緑色で葉っぱの切れ込みが九つに分かれた珍しい形だったのですぐわかる。
こうしてカゴの中で袋に小分けされている何種類かのハーブから、俺は目的のグリマルキン草を無事見つけることができた。
「よし、後はこれをジェルに食わせるだけだな」
俺はキッチンへ移動して、冷蔵庫の中身を確認してみた。何か良い食材はあるかな?
「卵にほうれん草……おっ、冷凍のパイ生地があるじゃねぇか」
ちょうど時間的にはそろそろお昼ごはんだ。
これでキッシュ(惣菜のタルト)でも作ったら、ジェルは喜んで食べるんじゃないだろうか。
俺は、いそいそとオーブンを予熱し始めた。
「さてと。まずは材料を炒めるとするか……」
しかし、ここでひとつ大きな問題が起こった。
グリマルキン草を料理に混ぜるにも、適切な分量がわからないのだ。
「大は小を兼ねるって日本では言うよなぁ。ありったけぶち込むか。どうせほうれん草に混ざってわかりゃしねぇし」
俺はグリマルキン草をてきとうに千切って、全部フライパンに投入した。
タルト型に炒めた材料と生クリームを混ぜた卵を流し込んで、オーブンに入れ二十分程度焼く。
だんだん生地の焼ける良い匂いがしてきて、いっきに腹が減ってきた。
完成した熱々のキッシュを切り分けて、リビングのソファーに座って読書をしているジェルのところへ持って行くと驚かれた。まぁそうだろうな。
「キッシュを焼いてみたんだが、よかったら一緒に食べないか?」
「アレクが料理してくれるなんて珍しいですね。どういう風の吹き回しでしょう」
「いやー、暇すぎて雑誌見てたらちょっと作ってみたくなったんだよ」
――材料がヤバイだけで、嘘は言ってない。
「いい匂いですねぇ。ちょうどお腹が空いていたのでありがたくいただきます」
ジェルは、俺のたくらみにまったく気付かない様子で、キッシュを口にして幸せそうに目を細める。
「すごく美味しいです! アレクは料理上手なんですから普段からもっと作ってくださいよ」
「あぁ、また気が向いたらな……」
ジェルはうれしそうに青い瞳を輝かせてパクパク食べている。
――さぁ、猫耳と尻尾、生えろ……!
だが、しばらく経っても、俺が期待していたような変化はまったく起きない。
なんだよ、あのハーブ偽物だったのかよ……
じゃあもういいやと思い、俺も座ってキッシュに手を伸ばした。うん、我ながら良い出来栄えだ。
お互い腹が減っていたから皿はあっという間に空になり、俺は満足してソファーにもたれかかった。
ジェルは食後のアイスティーを飲みながら、リラックスした表情で再び本のページをめくっている。
ゆったりとした空気にまぶたが自然と重くなっていって、俺はそのまま眠ってしまった。
…………。
――なんでだろう。遠くでニャーニャーと猫の鳴き声がする。
「あの、ちょっと。すいません、起きてください」
「なんだぁ……?」
その声の正体を確かめるべく俺は目を開けた。気のせいか、やけに天井が高いなと感じる。
目の前には、俺の顔を覗き込んでいる、宝石のように透き通った青い瞳の猫の姿があった。
クリーム色の上品な毛並みのとても綺麗な猫だ。
「どうしたんだ、猫ちゃん……」
その美しい姿に触れたくなり、手を伸ばそうとすると灰色の毛むくじゃらの手が視界に入った。
ひょっとして、これは俺の手か……?
「えっ? おい、なんだ。どういうことだ⁉」
慌てて飛び起きた俺を見て、綺麗な猫はジェルそっくりの声で喋った。
「よかった。やっぱりアレクなんですね!」
「おまえ、もしかして……ジェルか?」
「えぇ、そうです。なぜか目が覚めたら猫の姿になっていてどうしたものかと――」
なるほどわかった。
たぶん原因は、さっき食べたグリマルキン草の量が多かったからだろう。
猫耳を生やすどころか効き目が強すぎて、猫そのものになっちまったんだな。
「ということは、俺も……?」
俺はソファーから飛び降りて、大きな鏡で自分の姿を確認してみた。
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