第34話:潮満珠と潮干珠

 しばらくすると、シロと見覚えのある着物姿の大柄の男が光に包まれて店の中に現れた。

 男は温かく威厳のある声で俺の名を呼んだ。


「久しいな、アレク」


「スサノオ……!」


「その節は世話になったな」


「あ、いや――」

 

 実は俺とスサノオにはちょっとした縁がある。

 スサノオは偉い神様のくせにとてもいたずら好きで、前にうちの店に来た時は可愛い子犬の姿で現れた。

 俺ワンちゃん大好きだからすっかり騙されちゃってさ。正体がわかった時すげぇショックだったなぁ。


「アレク兄ちゃん! ジェル! 潮満珠が発動したって本当⁉」


「えぇ、こちらです」


 シロの問いにジェルが答えてバケツに入れた玉を持ってくると、スサノオたちはバケツを覗きこんだ。


「ふむ、まずは水を止めねばならぬな」


 スサノオはそう言って、懐から潮満珠と同じような透明の玉を取り出して軽くかざした。

 すると、さっきまでどうやっても止まらなかった水がピタッと止まって、さらにはバケツの中の水まで玉に吸い込まれていった。いったいどうなってんだ。


「それは、潮干珠しおひるたまですか?」


 ジェルがたずねると、スサノオは軽く頷いた。


「うむ、いかにも」


「まさかスサノオ様にまでご足労いただくこととなってしまうとは。ご迷惑をおかけして大変申し訳ありませんでした」


 え、どうしてジェルが謝ってるんだ。悪いのは俺なのに。


「おい、スサノオ。悪いのは俺だ、もし罰を受けるなら俺に――」


 慌てて前に進み出た俺を見て、スサノオは苦笑した。


「ははは。殊勝な心がけだな、アレク。しかし、今回の原因は我にあるのだ」


 え、スサノオに原因が? どういうことだ?


「店主よ、そなたはもう察しておるのではないか? ただの人の子であるアレクがどうして潮満珠を使えたのか」


 スサノオの問いかけに、ジェルは畏まった様子で答えた。


「……はい、スサノオ様の先ほどの一言で確信いたしました。アレクに力を与えたのはあなた様でいらっしゃいますね?」


「その通りだ」


「やはりそうでしたか……実は以前にワタクシも好奇心から潮満珠を試したことがあったのです」


 ジェルは懺悔ざんげをするように目を伏せて言った。


「でも海水なんて一滴も出ませんでした。だからどうしてアレクが使えたのか不思議だったのです」


 なるほど、さっきジェルがずっと何か考え事をしているように見えたのは、そのことが気になってたからなのか。


「――スサノオ様、どういうことです? いつの間にアレク兄ちゃんに力を授けたりしたんですか?」


 事態を把握していないシロの問いに、スサノオはいたって普通の調子で答えた。


「そうだな……アレクと接吻せっぷんをした時だったな」


「せ、せっぷん⁉ つ、つまりキス……」


 突然のパワーワードにシロは目を見開いてびびってるし、ジェルは固まってやがる。


「おい、シロ、ジェル! あれは事故だ! 俺はスサノオがワンちゃんだと思ったからチューしただけで……!」


 二人は前に子犬の姿をしたスサノオを見てるからわかってるはずなのに。

 まぁそれでも、当事者から接吻なんて言い方されたらやっぱりインパクトあるよな。

 ドン引きしている二人のことを気にせず、スサノオは話し続けた。


「アレクには過去に我が来店した際に世話になってな。彼は我の宝である勾玉を取り戻してくれたのだ。その際に接吻を受けてな……せっかくなので勾玉の礼として我が力の一部をアレクに分け与えた」


 ――なるほど。それで俺だけが潮満珠を使えたってことか。


「だが見ての通り、神器が使えると言ってもアレクの力ではたいした効果は出ないのでな、何も影響は無いと思っていたのだが」


「たいした効果が出ないってどういうことだ?」


「この潮満珠は、本来はこんなわずかな水を操るものではなく、使えばまたたく間に潮が満ちてこの土地一帯が海に沈むほど危険な物なのだ」


「マジかよ……」


 ドン引きする俺の目の前で、シロがうんうんと頷いた。


「僕、この店に潮満珠があったのは知ってたんだけどね。でも人の子には扱えないし別にいいかぁって思ってたんだけど。だからアレク兄ちゃんが発動させたって聞いたからびっくりしたよ」


「ごめんな、シロ。でも二人とも来てくれて助かったよ、ありがとうな」


「まぁ僕は君達の友達だからね、当然のことさ」


「スサノオ様、シロ。本当にありがとうございました」


 ジェルが深々と頭を下げたので、俺も急いで頭を下げた。


「二人とも、そう畏まらずともよい。――店主よ。物は相談なのだが、この潮満珠をそちらの言い値でかまわぬので譲ってはもらえぬだろうか?」


 スサノオの提案に、ジェルは願っても無い申し出だと喜んだ。


「はい、もちろんです。ワタクシ共には身に余る品でございますから。しかし、潮満珠を手に入れてどうなさるのですか?」


 ジェルの問いに対するスサノオの答えは、まったく斜め上の発想だった。


「うむ。実は以前から、我が家でアクアリウムを始めようと思っておったのだ。だが、妻から維持に手間がかかると反対されていてな。しかしこれがあれば水の入れ替えも便利であろう?」


 おいおい、アクアリウムに使うってどんだけデカい水槽作るつもりなんだよ。

 神様の考えることっておもしれぇけど、よくわかんねぇなぁ。


「なんと……それはダイナミックな発想でございますね」


 ジェルも予想外の答えにちょっと引き気味だ。


「見ての通り、潮干珠も我が手元にあるゆえ、問題なかろう」


「しおひるたま……? あぁ、さっき水を止める時にスサノオが持ってた玉か」


「いかにも。これは潮満珠と対になる物でな。流れ出る海水を止めるにはこれが必要なのだ」


 頷くスサノオの手の平の上では潮干珠がキラキラと輝いていた。

 それから神様たちは、アクアリウムでどんな魚を飼うかで盛り上がりながら満足そうに玉を買って帰った。


「まさかこんなことになるとは思いませんでしたが……とりあえず何とかなって良かったです」


「そうだなぁ、スサノオならきっと有効に使ってくれるだろうし」


「そうですね」


 俺たちはホッとした顔で神様たちを見送ったが、それもつかの間。

 ジェルがキッと目を吊り上げて、お叱りモードに突入した。


「しかし、アレク。……ワタクシ言いましたよね⁉ 潮満珠は絶対に触っちゃいけませんよって⁉」


「そ、それはだなぁ……ん、そういうオマエだって水が出るか試したことがあるって白状してたじゃないか!」


「あっ……」


 痛いところを突かれたのか、ジェルは一瞬しまった! と言いたげな顔をしたけど、すぐにいつもの取り澄ました顔になって俺に命令した。


「――別にワタクシはいいんですよ! それより、ショーケースに空きができましたから商品の入れ替えしますよ! ほら、さっさと倉庫に掃除用具を取りに行ってらっしゃい!」


 俺は納得いかねぇなぁと思いつつ、倉庫へ向かったのだった。

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