ー 見えざる手(2) ー

妖精の羽翼をはためかせ、目的地へと向かう。私とお父様が向かっている第三層は、我がアウストリ家領地の一階層下に当たるところだ。


————第三層。

北側に伸びる大地、ノルズリ家領地。我が国で唯一の学校が存在する学術地帯。その他にも図書館や、エイル隊の研究施設【イーダフェルト】など、妖魔族ファフニールの叡智が集まる土地でもあり、学問の徒が多く居住している。

ちなみに、読み書きや算術を学ぶ一般科は義務教育である。


今は、そこにあるイーダフェルトへ向かっているところだ。


「よい天気ですね、お父様!」

「…そうだな」

ひらりと羽翼を翻し、お父様へ声をかける。

感情がわかりにくいお父様だけれど、幾ばくかは穏やかなお心持ちなのだと読み取れて、少し嬉しくなった。


空が高く、爽やかな風と、太陽にきらめく新緑。あらゆる生命が息吹く春を過ぎ、強くなった日差しに照らされて一段と輝くこの季節。私は、初夏が一番好きだ。


(到着まで、あと少しね)


美しい街路樹を眼下に眺めながら、新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込むと、潮の香りがする。これも、いつも通りの日常だ。

我が国ミュルクヴィズは、その成り立ちから特殊な地形をしている。

始祖の魔獣である古代竜リントヴルムと、当時の妖精王ロヴンの亡骸である魔晶石イデアが支柱〔ファグルリミ〕となり、海面から浮いた状態で存在しているのだ。


それはまるで、対の巨木が絡み合うようにして蒼穹へと伸びており、第一層を除き、さながら巨大な葉のような大地が、東西南北に広がっている。大地は第六層まで分かれており、飛行能力がないと入国も行き来もできず、上層へ行くほど大地の面積が狭くなっているのが特徴だ。


————第一層(最下層)。

妖魔族の王城〔スキーズブラズニル〕管理地。商業・貿易区が存在する、最も賑やかな場所。

他種族が自由に入れるのは、原則として第一層のみ。始祖の支柱ファグルリミを中心として広がる最も大きい土地で、多くの妖魔族が居住している。


————第二層。

南側に伸びる大地、スズリ家領地。穀物および産業地帯。

第一層で商いを行う職人や、農業に携わる者たちが多く居住している。


————第四層。

東側に伸びる大地、アウストリ家領地。魔王軍各隊の宿舎地帯。

主に、四家以外の軍人とその家族が居住しており、居住区が存在する最後の層だ。


————第五層。

西側に伸びる大地、ヴェストリ家領地。魔王軍の演習地帯。

ヘルモーズ隊、エイル隊の軍本部があるのもここだ。

スノトラ隊とノート隊の軍本部は、妖魔族の王城スキーズブラズニル内に設置されている。


————第六層(最上層)。

魔王様がおわす、妖魔族の王城スキーズブラズニルがある場所。

城以外のほとんどを「始祖の森〔ヴァラルファクス〕」と呼ばれる聖域が占める、最も美しい土地。始祖の森ヴァラルファクスには、先人たちを弔う大きな石碑が建てられており、最奥には現在の妖精王ティターニアと古代竜リントヴルムの眷属であった竜達が暮らしている。


そして、神々の娘レギンレイヴである私が、中毒者のように魔力酔い覚ましケイロンミードを必要としている理由も、始祖の支柱ファグルリミの影響によるところが大きい。


始祖の支柱ファグルリミは、とめどなく魔力デュナミスを放出し続けているため、ミュルクヴィズには外在魔力がいざいデュナミスが溢れている。妖魔族ファフニールが生活に用いる魔道具フロネシスは、すべて魔具技工士〔ファーベル〕と呼ばれる専門職人たちが作ったもので、妖魔族の王城スキーズブラズニルにより管理されている公共物だ。魔道具フロネシス自体には魔晶石イデアを組み込まず、刻み込むルーンを工夫して、始祖の支柱ファグルリミから溢れる魔力デュナミスをそのまま活用する。


魔具技工士ファーベルが作った魔道具フロネシスなら、ドカーンと暴発することはないのだけれど、私の体調が悪くなってしまうのよねぇ…。なぜ私は神々の娘レギンレイヴになんて…)


はっ、と我に返る。

私は今、何を考えていたのか。

己の出自など、たらればで語ってよいものではないというのに。

神々の娘レギンレイヴであることで、多少の不便はあるかもしれないが、私は家族に愛されているし、魔法セイズだっていつか上達してみせる。


(こんな事を考えたのは、夢の織り手〔ドラウムニョルン〕が悪かったせいよ。そういうことにしておきましょう)


「…ふふっ」

「なんだ、突然笑いだして」

「ごめんなさい。アルヴィスお義兄様のことを考えていたの」

「…アレに面白い要素などあるか…?」

表情は全然変わらないのに、怪訝の極みといった声色で聞いてくるお父様が面白くて、余計に笑ってしまう。


『いいかい、ノルン。君はこれから嫌な言葉を聞いたり、嫌な思いをすることがあるかもしれない。そんなときはね、こう言うんだ』

夢の織り手ドラウムニョルンのせいだってね』


アルヴィスお義兄様が、まだ従兄の王子様だった頃に教えて下さった優しいおまじない。怖い夢を見たとき、気分がすぐれないとき、落ち込んでしまうときは、ぜーんぶ夢の織り手ドラウムニョルンが悪い。


(ありがとう。アル兄様)


「…降りるぞ」

「はい!」


お父様の声を合図に、私達はエイル隊研究施設イーダフェルトへと降り立った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る