第三百九十九話 カーマ・マーラ





◆◆◆ ある神話における一つの結末について



 三番目率いるアーディティヤ神群と十番目より生まれし護法神話の決戦は、史実において「痛み分けの決着を迎えた」と記されている。


 しかしその過程や詳細について人界の者達が知る術はなく、当事者であった神々達もまた多くを語る事はない。


 ――――あの日あの時一体何があったのか?


 結論から言えば、二柱の神が生まれた。



 一柱ひとつは、アーディティヤ神群最強の破壊神の精神的な変化によって生じた神仏習合。

 破壊と創造の両面を併せ持つ至高の最高神が二つの世界を造り変えるべく駆動した。


 そして混沌とする頂上戦争の熱気は、もう一柱の神を

 ソレは護法神話の武と、アーディティヤ神群の超越性を併せ持った境界線上の戦禍神性。


 破壊と勝利の双方を統べる真神でありながら、同時に九番目の関与を外れて産まれた無二にして零の魔王非大罪個体


 至高と最凶。両者は異なる性質を有すると同時にどちらの軍勢にも属さなかった。

 そして彼等は共に二つの神話の総力を上回る力を有していた。

 

 そう。アーディティヤ神群と護法神話の決戦の行方が「痛み分け」に終わった所以はここにある。

 

 二つの神話の神々は協力せざるをえなかったのだ。

 それは戦禍が産んだ二柱の神格イレギュラーを鎮める為に。

 あるいは、はたとして訪れた世界の危機を治める為に。


 つまるところ彼等は、共通の敵を前にして団結を余儀なくされたのだ。




◆◆◆皇都“龍心”禁域ダンジョン・肆の律『降東』・最終階層『三界降破』:『妨害手』・会津・ジャシィーヴィル(組織穏健派所属・コードネーム『逆理』)



 『寛容』派閥の大幹部であるエージェント亜國アグニの契約精霊は、非常に厄介な性質を有している。

 その神銘は、『カーマ・マーラ』――――この世界においては禁忌とされた『零の魔王マーラ』の名を冠した並行世界の可能性神である。


 彼――この精霊自体に本来性別という概念は存在しないのだが、ここでは能力の性質を鑑みて便宜上、彼と称させて頂く――の等級は亜神級最上位。


 最凶最悪の真神であり、一時期は超神の座にすら昇りつめ掛けた『至凶パーピヤス』とは比するまでもないが、それでも彼は偉大なる『零の魔王マーラ』の名を冠した種子である。


 そしてその恐るべき能力の本質は、彼の嫉妬之女帝に相似するモノであった。



ぁああああああぁあああああああああああああああああああああああぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい」

 

 最果ての荒野に響き渡る咆哮は、聞くに堪えない醜悪性を帯びていた。

 野太く威圧的で、何よりも色に狂っている。

 発情期の大猩々ゴリラでも、コレに比べれば淑やかであろう。


 男の上半身は白目を剥き、鋼鉄のマスクを夥しい量のよだれと涙で濡らしながら、降り注ぐ隕石の雨を摘まみ壊していく。



 そしてその下半身は、



「あぁああああああああああああいあああああああああああああああああああいあああああああああああああい愛してるぜぇえええええええええええええええええええええええええええええ! さぁ早く一緒になろうよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」



 その下半身は龍のようであった。

 いや、悪魔と形容するべきであろうか。


 全長は百メートルを越え、大型の建築物のように屹立した異形の脚が八本。

 下腹部の中心には一口二つ目のおぞましき悪魔龍の顔面が現出。身体は真黒に染まり、その口腔は漆黒の闇よりもなお暗く、上下に生えそろった無数の牙は地獄の剣樹を彷彿とさせた。


 上と下、人と悪魔、腹部を境界として合神した二つの獣の姿は、まさに魔王がごとき異様である。


  無論の事ながらコレは生理現象ではない。エージェント亜國は明かに変態していた。上半身は巨神のように増長し、下半身は全く別の怪物に変容。

 そして恐るべき事に、彼の変態は今もなお続いていた。


 ――――だがしかし、信じられないことにコレでもまだ都合の良い方なのだ。

 亜國アグニの契約精霊である『カーマ・マーラ』は、相対する対象によってその能力を変質させる。

 一つは防御。

 一つは攻撃。


 この内、防御形態の変質は『レヴィアタン』に類似したストック性オーラ型の概念防御を発現し、あらゆるダメージを遮断する。


 その堅牢さは、『降東』の入り口で起こったあの惨劇を生身でやり過ごす程に盤石であり、こと防御能力の一点に限って言えば超越者達の領域に半歩踏み込んでいるといっても過言ではないだろう。


 そして攻撃形態は、契約者の肉体を性欲の総量によって増大させ、カーマ神そのものと一体化させる。


 この状態の亜國は、まさに生ける災害であり、怪獣だ。

 『冥府タルタロス』の死滅閃光を腕の一振りでかき消す程の出鱈目ぶりは、攻略不能にして理解不可能。


 あらゆる条理を蹂躙する性欲の化け物が一心不乱に自分を求める姿は、どんな怪奇現象よりもおぞましかった。


 しかしそれでも、やはりマシなのだ。


 “亜國”の意識がこちら側に向いている以上、この怪物が清水凶一郎達に向かう事はないのだから。



「(今だけは、お前好みの容姿であったことに感謝するよ、亞国)」


 

 創造した黒死の双翼をはためかせ、変態する変質者の猛攻を宙空でかわしながらエージェント『逆理』は自嘲する。



 『カーマ・マーラ』の変態条件モードチェンジは、「亜國がその対象に情欲を抱くかどうか」という煩悩の振れ幅によって決定する。


 言いかえるならば「彼好みの美少年」であれば攻撃形態に移行し、「それ以外」であれば防御形態を維持するというものであり、彼の性癖さえ知っていれば変態の志向性自体は操りやすい。


 だがしかし、この変態は悪辣極まりない事に重複する。

 その場に一人でも「彼好みの美少年」がいればエージェント“亜國”の下半身は『カーマ・マーラ』へと変態し、また同時に一人でも「性癖外の人間」がいれば超越者の攻撃すら耐えうる不沈フチンの防御力を獲得する。


 そうなれば最悪だ。絶対的な防御力を獲得した荒ぶる煩悩魔王が、清水凶一郎達の戦場に投入されれば間違いなく場が荒れる。


 コレで性欲以外は、理性的な判断が出来る男である。

 奴が烏の王のアキレス腱に気づき、生命線の聖女を殺めようと画策すれば、恐らく事は為せる。

 オーラ型の『不沈艦フチンカン』という烏の王の天敵のような防御能力と、性欲に比例した『カーマ』の増大は、ともすれば明王の攻撃すら耐えきり彼女を握り潰すだろう。


 故に業腹ながら、自分が捨て駒となる他になかった。

 

 敵も味方も遠くに離し、この狂える色情魔を自分で釘づけにしなければ『カーマ・マーラ』の防御は崩せない。


 ならばこそ―――――



「あぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああいっ!、らぁああああああああああああああああああああああああああああぶっ! ゆぅううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううっ!」



 亜國アグニの魔王が怒張し、その雄々しき口腔から金色の破壊光線が放たれた。

 震撼する天地。傾世眼の状況洞察能力を駆使し、逆理はこれを辛くも避けるが、次瞬、ソレがもたらした余りの規模の大きさに口をつぐむ事となる。


 魔王の種子の口腔より放たれた眩き黄金の破壊衝動は、成層圏に達し無数の隕石を爆散。

 出鱈目だ。余りにも常軌を逸している。何よりも気味が悪かった。


 しかし、



「酷い悪臭だ。エチケットがまるでなってないぞ亜國」



 エージェント『逆理』の理性はそれでも崩れない。

 この醜悪極まる神話規模の色情魔王の暴挙を前にしてもなお、彼の心は氷のように冷え切っている。



 遍く悲劇と、数えきれない尊厳の摩耗を繰り返してきた『逆理』にとって、この程度の最悪トラブルは、ギリギリ日常の範疇内であった。



「鬼ごっこの続きだ。俺を抱きたいならさっさと捕まえてみろよ、下半身露出男パーバート

「あぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああいっ!」


 挑発する逆理。

 怒張する亜國。


 時に言葉で、時に動きで、そして時にその呪われた美貌で惑わしながら黒衣の死神は煩悩の魔王を翻弄する。


 されど、


「(らちが明かない)」


 このままでは、自分達はいずれ負ける。

 勝つ為には、この死線を越えて外の世界の真実を知る為には、降三世明王を倒さなければならない。


 その為には、この醜悪なストーカーを黙らせなければならないが、奴は腐っても魔王保持者である。



 攻め向けの変態フォルムとはいえ、従来の『十戒』の手札カードでは威力が不十分である上、『冥府』の本領を発揮する事は不可能。

 ていよく奴が、家族関連の話題に触れれば可能性があるやもしれないが、この性欲に支配された怪物がまともな言語を介せるとは思えない。

 であれば、清水凶一郎達を“家族”のファクターとして捉えることで死の理達の制限を解除ロックする事は出来ないだろうか? ――――不可能だ。そんな器用な真似が出来る程、この魂は柔軟な造りをしていない。


 唯一明確な勝ち筋と呼べるものがあるとするのならば、あの禁断の天啓レガリア<影の母海リヴァイアサン>であるが、『真なる冥王神話タナトス』の絶対干渉遮断能力が併用できない現状において、彼女の使用はその場限りの道連れである。


 ――――それでは意味がない。亜國を倒して終わりではないのだ。本命はあくまで明王。<影の母海リヴァイアサン>をぶつけるのならば、この一点において他にない。


 ……では、どうする?



 死神達の本領を発揮できないこの戦闘領域において、<影の母海リヴァイアサン>を使わずに亜國を鎮める方法が彼にあるのか?


「…………」

 

 結論から言えば、逆理にはなかった。

 エージェント逆理では、エージェント亜國に勝つ事はできない。

 これは残念ながら覆しようのない事実である。


 しかし彼は『逆理』であると同時に会津・ジャシィーヴィルでもある。


 会津として生きたこの数日間の探索、そしてあの奇妙なむず痒さを覚える烏の王との衝突の果てに彼が得たものは、何も僅かばかりの心情の変化だけではない。



「(使ってみるか、“仲間の力”という奴を)」



 『十戒デカログス』を開く。自己を開示し、来るべき決戦の備えとして用意した“仲間達の理想”を書きこんだカード。


 彼には、会津・ジャシィーヴィルの手には、『降東』探索メンバーの力が乗っている。


 更に彼は、ここに『十戒デカログス』の隠し条件をチップに載せた。


 望んだ札を引き当てる“索引サーチ”ではなく、あえて確率依存の“抽選ドロー”を選択する事によって生じる出力強化の権利。


 そして、


「(さぁ、。この状況を打開する力を我が手に宿せ)」



 “運命の抽選デスティニードロー”――――詳細不明の手札を引いた初回時限定で適用される一度限りの限界突破。


 確率と未知という二つの縛り、そしてこの条件を満たしたカードを引けなければ十分間の使用不能期間クールタイムが発生するという代償を設ける事で、成し得る三重の性能強化。


 彼は引く。新規に入れた札の数は五枚。十枚の山札の中から当たりを引く確率はおよそ二分の一である。


 風が吹き荒れる。目の前には余りにも大きく余りにも醜悪な一匹の獣が暴れまわっている。このモンスターを倒さなければ自分達に明日はない。


「行くぞ、亜國。ここからは俺の手番だ」


 我ながら“らしくない”事をしていると自嘲しながら、会津・ジャシィーヴィルは『十戒デカログス』のページを無作為に捲り、そして



抽選ドロー



 そして彼が引き当てた理想カードは――――




――――――――――――――――――――――



Q:カーマ神はストック性の能力との事ですが、彼の場合は何を溜めているのですか?

A:性欲です


Q:この様子なら亜國は会津に首ったけですし、明王に差し向けて倒してもらえば良かったのでは?

A:亜國は性欲以外は凄まじい実績を持つエージェントなので、状況を悟れば例え会津が嫌な顔でパンツを見せたとしても、ソフィを狙い倒します。また防御形態のカーマは明王の攻撃すら耐えて(勿論ダメージは負いますが)ソフィを倒せる程度には堅牢です。なのでやはり会津が犠牲になる他にありません。


Q:何やら「マーラ」というのは明王達にとって曰くつきのようですが、その力を有する亜國を降三世明王が狙わないのは何故ですが?

A:パチモノだからです。ヤバいのは『至凶パーピヤス』の名を持つ個体であり、「マーラ」自体は零の魔王という称号でしかありません。更に組織の精霊はみんな並行世界の可能性でしかないので、本物のカーマ神とも違います。何より降三世は当事者も当事者なので、『至凶』の気配を間違える筈もありません。それはそれとして、奴は煩悩の塊なので、必ず退散させるとも思っているようですが、先に挑んできた心意気のある若者との戦いを優先したといった感じでしょうか(何よりもゴリケルが文字通り死ぬほど頑張ってるので、明王とて迂闊にその場を離れることはできません)。アグアグが視界に現れたらちゃんとターゲットになるとは思います。


Q:カーマがコレなら、魔神陣営側の色欲魔王はどうなるんです?

A:周囲をドスケベ空間に変えて、世界を常識改変系の紳士ゲームに変貌させます。



・6巻執筆作業の為、九月いっぱいは日曜日の一回更新でお届けしております!


 次回更新は9月14日(日曜日)を予定しておりますっ! お楽しみにっ(横山コウヂ先生作画のコミカライズ版3巻も絶賛発売中です)!







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