第二百二話 語るべき言葉は(後編)







◆ダンジョン都市桜花・第百十八番ダンジョン『天城てんじょう』第六中間点・“笑う鎮魂歌レクイエム”共用クランハウス:【五日前】



 五日前の事である。訓練と会議によって固められたスケジュールの合間をうようにして、その面談は設けられた。


 言葉売りと、来客。

 次元ダンジョンを治める者と、これを乱す者。

 道化と解明者。

 偽りの守護者と真実の守護者。

 そして一度の戦争を経て、彼は“笑う鎮魂歌”の恩人となり、治療者となり、王となった。



「桃地さんの件について、伺いたいんです」



 会合の発起人である烏の王は、あの人の、特にその“最期”について、深い興味を抱いているようであった。


 “最期”。自分達を逃す為に『生贄』となったあの人が死の間際に何を語り、そして一体どこへ向かったのか?

 詩人は、臆することなくその答えを述べた。

 ヒイロではない。アズールでも、納戸でも、ミドリを始めとしたあの時の参加者でもなく、ただ自分だけが彼の最期を知っている。

 であれば、彼は答えなければならなかった。詩人として、あの人に救われた一人の人間として、求められたのならば、うたわなければならない。


 あの人の最期を、終生の英雄の勇姿を



 詩人は、烏の王に語った。


 情緒的になり過ぎず、さりとて報告書のような味のない言葉の羅列にならないように

 彼は、“おじさん”の最期を雄弁に語り明かしたのである。

 



「どうして桃地さんは、最期に八番神域へ向かったんでしょうね」


 だが、唯一の聴衆の反応は――――酷薄だった。



「今の話を聞く限り、彼はオリュンポスの特性を読んでいて、そして黒い転移門八番神域の先にはどういう兵器カミサマが待ち構えているのかを、ある程度理解していた筈ですよね」

「恐らくは」

「なら、は避けなければならなかった。こいつは死者の魂をリソースとして働く兵器カミです。死にかけの冒険者が向かった所で、奴に餌をあげておしまいですよ」


 灰色の瞳が鋭く光り、烏の王は、冷徹で、客観的な判断を


「アンタ達からしてみれば、良い迷惑ですよね。冥王の元に死霊使いネクロマンサー特攻ぶっこみかけるなんて、……考え得る限り最悪のシチュエーションだ。曇らせ展開の見本市オンパレードですよ、本当に」

「それは一体」



 思わず頭に血が昇りかけたのは、きっと“他に誰もいない”という状況も相まってのものだったのだろう。



「どういう意味ですか、清水さん」



 語気が強まる。頭の中の血管が自分でもどうかと思う程に熱くなり、そして



「あなたは」 


 彼は一人



「役目を終えた桃地さんが、そのまま何もせずに死ねば良かったと、そう仰りたいんですか?」



 誰にも看取られぬまま、暗い穴の中へと消えていって



「余計な事はするなと? 生贄になった者は、後に来る人間の迷惑にならないようにと? そんなのは、そんなのは」



 あまりにも、勝手が過ぎるというものだ。許されていいはずがない。

 生贄になった者が――――たとえ結果として後の状況に悪影響を及ぼすような行動を取っていたとしても、それが何だというのだ。


 その死に涙を流すことはあっても、無能だと、余計な事をするなと謗る権利は誰にもない。あってはならない。



 


「そこですよ、問題は」



 しかし、烏の王は揺るがなかった。恩師への感情を爆発させた詩人の紛糾を、顔色一つ変えずに受け止めて、淡々と、所感を述べていく。



「俺もね、色んな人に聞いて回ったんですよ。桃地百太郎とは一体どういう人物なのかってね」


 烏の王曰く、その答えは主に二つあったという。



「一つはギャンブル好きのダメ人間。もう一つは、“笑う鎮魂歌”の歴史において最も優れたクランマスター」



 概ね同意だった。

 おじさんは、日常生活においては絵にかいたようなダメ人間であったが、同時にクランマスターとしては他の先代だれよりも秀でていた。



 たまに博打寄りの戦術を取る嫌いこそあれど、現に彼は一度オリュンポスを倒している。この成果一つとっても桃地百太郎が“笑う鎮魂歌”最高のクランマスターである事は一目瞭然であり、故にこそ



「そんな人が、何の意味もなく“味方に迷惑をかける可能性の高い場所”に向かいますかね」



 話が、繋がった。



迷惑をかけないというのは、冒険者としては当たり前というか出来て当たり前の思考だと思います。ましてや桃地さんは、アンタ達をまとめ上げていた大物カリスマだ」



 思い出す。あの時の光景を。彼は、八時の方角にある黒い転移門ポータルゲートへと向かっていた。

 空を満たしていた四つの神威。

 白き雷。黄金の砂塵。蒼色の波濤に、そして闇を纏った怨霊の大群。



「……黄さん、俺はね、そんな人が何の考えもなしに“死者の魂を操る兵器カミ”が眠る場所へ向かうとは、どうしても思えないんですよ」



 彼は、桃地百太郎は、誰よりも早く敵の特性に気がついていた。

 兵器の神格化。規模と出力こそ桁違いに増大してはいるものの、その基幹ベースは同じ。


 であれば、怨霊を砲術として扱う兵器カミの在り方についても概ね当たりがついていた筈であり――――その上で



?」



 頬からこぼれた液体は、純粋な感動と哀切によるもの――――ではない。

 無論、それらの要素も過分に含んではいたのだが、しかしそれらよりも“恐怖”の色が勝ったのである。



 彼の性格が、彼の才覚が、不可解だった行動に意味を与える。

 死者からのメッセージ。ともすれば、生涯気づかずに終わっていたかもしれない次への布石。


 それを、彼とゆかりのないはずの王だけが読み取ったのだ。


 不思議と悔しさは感じなかった。ましてや醜い嫉妬心など微塵もない。


 、気がつく方がおかしいのだから。



「アレが、メッセージであったとして」



 目からは涙、首筋からは汗。

 全身を駆け巡る言語化不能の“寒さ”に震えながら、詩人は王に問うた。



「桃地さんは、僕に何を伝えようとしていていたのでしょうか」


 王は、答えた。


「推測ですが」


 心ばかりの枕詞を添えて、しかしながら強い確信を持った声で



「彼には時間がなかった。そして人は、死の間際にこそ、その在り方が強く出ると言います」



 桃地百太郎という男が一体どのような人物であったか。


 それは“笑う鎮魂歌”に籍を置く者であれば、誰もが口を揃えて答えられる問いであり



「――――、――――、――――、……だから黄さん。八番神域には、あなたが向かわなければなりません。それが」




 それこそが、己に課せられた役割なのだと、詩人は深く理解した。






◆ダンジョン都市桜花・第百十八番ダンジョン『天城』最終層・杞憂非天・第八番神域『晦冥王土』




 青い液体が鍾乳洞を濡らし、鼻の曲がるようなおぞましい匂いが空気を伝う。

 音が響く。怨嗟に満ちた高周波の咆哮。

 人のものではない。冥王の声でもない。

 それは赤子の泣き声だった。怪物の、赤子だ。

 冥王の胎より現れ出でたソレは、母体ちちの青黒い羊水を身に纏いながら、一握ぐしゃり一握ぐしゃりと大地を抉る。



 その行為が“い”に当たるものだと気がつくまでに、詩人は少なくない時間を要した。


 あまりにもソレが、ヒトの在り方からかけ離れていた為である。


 ――――その赤子の腕は九つの触手に分かれていた。


 ――――その赤子の下半身は赤黒い肉塊が芋虫のように折り重なっており、ソレが這う度に、ずぶり、ずぶりと腐った汁を噴き流す。


 臍帯さいたいは、大しめ縄と見紛うばかりの大きさだった。


 赤子と冥王は繋がっていた。胎盤を通して物理的に、そしてその魂までも、深く、強く。



「…………」

「大丈夫っすか、お兄さん」



 空間転移を駆使した飛行で藍色の暗黒を翔け回りながら、暗殺者は脇に抱えた詩人に問うた。


「俺はゴア耐性キャパパナいんで大丈夫っすけど、黄色の兄さん的には色んな意味でSAN値削れる系じゃないっすか、コレ?」

「……問題ありません」

「いやいや、その顔で言われましても。正直、めっちゃ顔ブルーですよ、お兄さん。ブルーベリーかよってくらいブルーっす」



 反論する気は起きなかった。恐らく、彼の指摘は的を射ているのだろう。


 赤子の怪物の瞳を見やる。


 まぶたはない。水晶体は球形で、虹彩は銀色に輝き、瞳孔は常に大きく開いている。


 ソレの瞳を形容する言葉があるとするならば、魚だ。

 無機質な魚の瞳が、顔に、胴に、手足に、首筋に、そしてその他身体の至る所に


 ひしと、ひしと、生えている。




 一体、誰がコレを桃地百太郎だと思おうか。


 生物としての姿も、形も、大きさも、何もかもがまるで違う。

 ソレに知性と呼べるものはまるでなく、へその緒チューブに繋がれ、獣のように泣き叫び、侵入者われわれを喰らわんと手を伸ばす。



 だが、黄はすぐに理解した。

 そしてきっと“笑う鎮魂歌”に籍を置く者であれば、誰もがコレの中に“彼”を感じた事だろう。


 その霊力の波長を、覚えている。

 数多の死線を共に駆け抜けた死霊使いネクロマンサーの残滓を、コレは確かに持っている。



「(あぁ)」



 左腕が、震えた。

 覚悟はあった。聞いてもいた。何よりも、一年以上も前から分かっていた事だ。



 しかし、それでも、目の前でこうもまざまざと見せつけられてしまうと、途端に胸が苦しくなる。



 桃地百太郎は、死んだのだ。


 この場所で死んだのだ。

 

 あの時に死んだのだ。


 そしてその魂を材料リソースとして、この化物が造られた。


 冥王の赤子であり、予備機スペアであり、複製クローンとして、彼だった「物」の何かが使われている。


「(あまりにも、惨い)」


 これがあの人の末路なのかと、心の中で呟いた。


 押し寄せる無力感は夜の荒波のように、暗く激しくさざめいて

 その醜悪な魚眼の大群と眼が合う度に、彼と心の思い出が汚されていくような気さえした。


 しかし


「いえ、大丈夫です。本当に」



 それでも詩人は、己を損なわなかった。

 受け止める時間があった事。使命の存在。“彼”の意図。

 幾つもの要素が重しアンカーとなり、黄の自我を押し留めたのだ。

 彼は、彼だった。

 少なくとも表面上は取り乱す事もなく、冷静な素振りを装って



「始めましょう。アレが育ち切る前に」

「良いね。お兄さん。中々の漢気イケメンじゃないっすか」


 陽気な声に乗せて世界が動く。


 空間転移。精霊の力を借りて行う究極の移動術。


 眼前の景色が瞬きの間に変容を遂げた。


 藍色の鍾乳洞を含んでいた視界は、赤黒い肉の塊に染め上げられ、そこは



「(ありがとう、清水さん。あなたが教えてくれたおかげで)」



 そこは、怪物の耳だった。


 耳朶じだの周囲は、魚眼がひしめき、まるで洞窟の入り口のように大きな“穴”ではあるけれど



「(僕はちゃんと、やるべき事をやってあげられる)」



 ソレは、間違いなく耳だった。生物が音と言葉を聞く為に設けられた、“入り口”である。



「ふ……ぅっ」


 詩人が大きく息を吸い込み、己が精霊の名を読んだ。



「孔雀の悪魔よ」


 全身に行き渡る黄色の霊光。全霊の霊力ちからと共に解き放たれたその輝きは、詩人の言葉に悪魔を宿す。


 亜神級中位神威型カテゴリー“悪魔デモン”『アンドレアルフス』、その能力は【言葉を媒介とした対知性体限定の現実操作】――――“孔雀の悪魔彼女自身”は、これを指向性を持った催眠術と呼び、黄もまたその解釈で納得している。


 材料は言葉と霊力、相手の認識、そして記憶。



「【おじさん】」



 詩人は語る。己の全霊を注いだ霊力を魔法の言葉に変えて、怪物の中の“何か”に向かって語りかける。



 演出は必要ない。

 綺麗な台詞も、滂沱ぼうだの涙も、ファン山鸡シェンチーという名前きごうすらも無用である。


 語るべき言葉は



「【約束通り、帰ってきましたよ】」



 最低限で良い。



「【冒険者クラン“笑う鎮魂歌”、全員でここに帰って参りました】」



 幾度の挫折と、数え切れないほどの失敗と、明けのない夜のような絶望に苦しみながら、それでも



「【賭けは、あなたの勝ちです】」



 それでも自分達はここに帰って来たのだと、高らかに詩人が謳いあげた瞬間



「――――――――――――――――――――――――――――――――!!」




 怪物の赤子が蠢いた。


 山が動く。腐肉に包まれた山が、へその緒チューブに指針を合わせて、その巨体を翻したのだ。



「マジリスペクトっす、お兄さんっ!」



 昂った暗殺者の声と共に、不意に景色が切り替わった。


 座標が変わり新たな視界を得た黄は、すぐさま赤子達の様子を追った。


 不快感を煽る金切り音を頼りに、首を右方に九十度程傾けたその先、およそ百メートル



「―――――!!」

「■■■■――!!」



 そこで繰り広げられていた光景を、親子喧嘩と取るか、はたまた死者の叛逆と見做みはなすかは、人によって大いに判別が分かれるところだろう。



 しかしながら



「視えますか、お兄さん。冥王タコチューのやつ、傷が!」



 霊力の続く限り、死霊を生みだし、半永久的な回復リソースとして扱う『回生コンバージョン』、自らの肉体に死の理を纏い、それを攻防一体の術式として活用する【深淵の宝物ディス・パテル】。



 冥王の身を守る鉄壁の守りは今、赤子の身体に吸い取られていた。



 肉親の繋がりを示す太く長大な



 それは彼が稀代の死霊使いネクロマンサーであったからこそ為し得た簒奪劇ドミナンス


 『赤子の怪物』という木馬に乗った桃地百太郎ウイルスが、冥王プルートゥという兵器カミ基盤システムを喰らい尽くす。



 無論、冥王とて静かに手をこまねいていたわけではない。

 物理的にウイルスとの繋がりを断つべく、臍帯さいたいを引き千切ろうと手を伸ばすが、しかし



「ウェイ」



 音を置き去りにした拳の砲撃が、空間を越えて冥王の腹部を貫いた。


 傷は、閉じず。青黒い血液が噴流し、辺り一面が神の血に染まる。


 明らかに重傷だった。戦闘行動に支障をきたし、ともすれば命すら落としかねないレベルの大損壊。


「■■■■■■■■────!」



 しかし冥王が、その傷を塞ぐことはなかった。



 再生能力の要となる死霊達は、軒並み赤子に呑み込まれ、無敵を誇る死の理もへその緒チューブを通じて奪われている。



 であれば最早、暗殺者の敵ではなかった。


 四肢をぎ、五臓六腑を刈り取って、あれよあれよという間に絶えかけた冥王の頭蓋に最後の照準を傾ける。



 この間、僅か一毫いちごう足らず。


 宙より地へと降り立つまでの時間が永遠に思える程の短さで、蛸頭の神は全身不随と成り果てた。




「一応、確認なんっすけど……いいっすか?」



 その目覚ましい武勇を誇ることもなく、暗殺者は平時の声音で詩人に問いかけた。詩人は唇に手を当て、刹那の時間、押し黙る。脳裏を掠めたのは、“おじさんとの思い出”──ではなく、火龍の少女の言葉だった。




『あっ、ゴメン。そろそろ時間だわ。烏の王ダーリンが呼んでるから、補助輪サポートはここまでね』




「(……恐ろしい人だ)」




 ここまでも、この先も、彼は全ての戦場を読んでいる。

 その事をまざまざと理解した黄は、迷わず首を縦に振り、「構いません」と言い放った。


「おじさんも、それを望んでいるでしょうから」


 

 冥王の蛸頭が、八つ裂きに裂かれたのは、次瞬の事である。


 連座的に赤子の身体が崩れ落ち、一筋の紫色の光が鍾乳洞を突き抜けた。


「これで良かったんっすよね」

「えぇ」



 神は消え、死者も発つ。



「これで良いんです」



 残された二人の生者も、まもなく戦場を去り、やがて『晦冥王土』はもぬけの殻となるだろう。



 かくして死者の都は永遠の洛陽を迎え、そして






【冒険者が、四つの神域エリアを踏破致しました。第二陣セカンドフェイズ解除アンロック、これより新たに五つの神域エリアを解放致します】




 その数分後に、次の兵器カミ達が解き放たれた。





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