第4話 迷霧

 虹森と超巨大甲殻虫の戦いから一週間が経った。


 あれ以来巨大蟲の事件はなくなり街は平和な時を取り戻したのだが、学校は校舎がほとんど崩れ落ちてしまった上にグラウンドに大穴が開いてしまい、しばらくの休校を余儀なくされた。そのうち遠隔で授業を再開するらしいが時期はまだ未定らしい。


 校舎が崩壊しても、犠牲者は虹森ただ一人だけだった。生徒には放課後のあの時間にほとんど残っておらず、職員は校舎が崩壊する前に学校から逃げられたらしい。

 もちろんマスコミは虹森が事件の首謀者であったことなど知らないので、テレビは悲しい犠牲者として報道している。元々の虹森先生がとっくに乗っ取られていたことを考えれば、その表現も正しくはなるが。


 戦闘の後数日は怪我をした箇所が痛み大変だったが、今ではすっかり元気になった。使い果たしたエネルギーも現在進行形で補給している。


 「あっこら修二! 私の知らないショートカットを使うんじゃない!」


 「なーに言ってんだ、知らない方が悪いんだよ」


 自分の部屋で昼からイグニスとテレビゲームをしている。今はレースゲームだが、これまで格ゲーやらカードゲームやら色んなジャンルの対戦ゲームをやってきた。

 それで分かったことは、イグニスは飲み込みが非常に早く手を抜くと負けるということだった。


 「はい俺の勝ち。もう一戦するか?」


 「当たり前だ! 負けたまま終わるわけないだろ!」


 俺としても手ごたえのある対戦相手が出来て嬉しかった。

 オンラインで対戦はできるが、やはりこうして隣り合ってゲームをする方が楽しいし、悲しくも友達の少ない俺には新鮮で得難い経験だ。


 イグニスが自分のマシンを選んでいると、玄関でインターホンが鳴った。「お友達よー」と母が一階から伝える。


 「おじゃましまーす緋山君。今日も霧が出まくってるよー。危うく迷うかと……」


 階段を上って来たのは浅間だ。黒い短髪は飾り気がなくとも凛々しさを印象付け、学校のない今日は黒と白の私服だった。


 あれから新しくスマホを買い、浅間と連絡先を交換した。出会ってからまだ短いものの、浅間とは仲が良くなりこうして家で遊ぶ関係にもなった。

 一緒に背中を預け戦うと必然的に互いを信頼することになるものだ。こういうのを戦友とか言うんだろうか。


 「邪魔するよ緋山修二君。ああこれ、手土産だ」


 マーレは今日も貴族みたいな金の刺繍入りの服だ。落ち着いた態度と丁寧な言葉遣い、本当の貴族の様に錯覚する。

 母さんはこの人をどういう人だと思ってるのか気になるところだ。


 「うむ結構結構。もぐ、美味い、もぐもぐ」


 イグニスは受けとった菓子折りを速攻で開けて食べている。所作の美しさとかそういったものが抜け落ちている。そういうところはマーレを見習っていいと思うぞイグニス。


 「なんか皆で出来るゲームでもやろうよ。テレビゲームって、だいたい二人用でしょ?」


 「皆で出来るゲーム? そういった需要のないゲームは……あー、あったわ。人生ゲームならある」


 ベッドの下から埃をかぶったそれを取り出す。何で買ったんだっけ俺。


 「人生ゲーム? なんだそれは」


 「ボードゲームだよ。産まれてから死ぬまでの人生をゲーム形式にして楽しむの」


 イグニスに説明してやる。すると彼女は少し考え、理解できたといった顔をした。


 「なるほど。一生という短いスパンの中で何を成し遂げ何を遺すのか、もしくは何もできずにその命を終えるのか、そういった無常な人間の生を疑似的に体験するゲームというわけか」


 「ほう、それは興味深い。では少しやってみせてくれますかな湊」


 ……なんか違くない? 自分の命の目的を探すような重いゲームだっけ?


 「何言ってんの、マーレもやるんだよ。こういうのは人数が多いほど楽しいの」


 「なんと」


 鳩が豆鉄砲を食ったような顔、というのだろう。マーレは自分もゲームに参加することになるとは思っていなかったようだ。

 初めて会った時はなんだか偉そうな奴という印象だったが、浅間に結構振り回されているらしい。


 「きっと私は得意だぞ、なにせ人間の一生はたくさん見てきている。成功した者も失意のうちに死んだ者もな」


 ゲーム盤を用意しながらイグニスは自信ありげに笑う。



 「もう昔のこと、ブルトゥスという男がいたな」


 しばらく沈黙していた少女だが、急に喋り始めた。


 「唆されたとはいえ、自分が支配者になるなどと過ぎた野望を抱き、ある独裁者を殺した。だが結果として、それは国全体の争乱を招いたばかりで自分も殺されて終わる」


 イグニスは誰に向けてでもなく独り言のようにぼやく。


 「見ていただけだが、つまらん男だったよ。私はカエサル推しだったんだ」


 手元には、ほんの数枚の紙幣しか残っていない。イグニスは何度も数え直すが数は変わらない。


 「──────ところで、なんで私は開拓地なんぞにいるんだ?」


 ゲームの中盤まではイグニスが一位だった。しかしそれで調子に乗ったイグニスは、あるマスに止まった時に大きな賭けをすることを選んだ。

 結果は失敗に終わり、財産のほとんどを没収され開拓地送り。最下位が確定したのがこれまでのあらましだった。


 「まったく。君は人間に肩入れしすぎなんだと言ったろう、だから人間みたいな失敗も犯す。第一カエサルの死因は自らの行いの因果応報だ。ただ恨みを買い過ぎた人間が死んだというよくある話、いつまでも引きずるものじゃないぞ」


 マーレは二位だが、全体的にリスクのある選択肢を避けていく堅実なタイプだった。

 上位者といっても人間と同じように個人差があるようで、すぐ調子に乗りいけるんじゃないかと勘違いするイグニスとは真逆のようだ。


 「昔話みたいなノリで歴史の話されてもなぁ。私、日本史選択だからよくわかんないし」


 一位は浅間。押すべきところは押し、引くべきところは引く。その上運もいいとなったら勝ち目がない。


 残った三位はもちろん俺だ。イマイチいいとこなしの人生だったが、開拓地でその一生を終えるよりはゴールできてる分だけマシだ。


 「じいちゃんばあちゃんの昔話は理解できなくても聞いてやれ。本人たちの楽しかった頃の思い出なんだよ」


 「待て、修二。そのじいちゃんばあちゃんって誰のことだ? まさか特定の人物を指しているわけじゃないよな? 私の肉体も精神も一切の老化はしないぞ。それに私は、今も楽しい!」


 ゲームが終了したので、全員のコマと紙幣を片付ける。


 今も楽しいというのには同意しよう。あんな戦場で殺しあいをしていたからこそ、こんなのんびりした時間がより一層愛おしいものに感じる。


 「しかし三位というのは納得いかないな。どうだ、もう一回ぐらいやらないか」


 俺がみんなを誘ったその時、再び玄関のインターホンが鳴った。誰だろうと考えると思い当たる顔が出てくる。


 「待って母さん、俺が出るよ」


 俺は一階に下りながらそう言った。




 ────巨大な蟲と戦う、二人のヒーローを見た。


 地上から、原形をとどめていない校舎の横から穴の底の様子をただぼうっと観察する。まだ信じられなかった。世界には本当にあんな怪物がいて、さらにそれと戦う存在がいるんだと。

 彼らは何者なんだろう。あの巨大蟲が宇宙人の手先なら、彼らは宇宙人を捕らえて研究する機関……いや違う。宇宙人から地球を守る正義の集団なのだろうか。


 特に目が離せないのは銀色のロボット。

 ボロボロになりながらも私を助け、戦場となる穴の底からここまで連れてきてくれた。彼(?)は私があれほど恐怖した巨大な蜘蛛を、百足を圧倒的な火力の武装で薙ぎ倒していく。


 気が付くと、私の再発した持病は治まっていた。


 「ね、ねえ、あの人たちはなん、なんなの? あ、あ、あなたは誰?」


 彼らのことが知りたくて、隣にいる金髪の女の子に話しかけてみる。

 黒い素敵なドレスを着ていたが、所々裂けたり穴が開いて血の跡がくっきりと残っている。怪我をしているのかと思ったけど、彼女の動きにそんな様子はなかった。


 「……………………」


 彼女は何も答えずただ戦いを見守っている。聞こえていないのではなく話す気がないのだろう。

 何か考えていたようにも思えたが、その横顔はまるで美術品かのように整っておりそちらに目を奪われた。


 「職務を全うするという気持ちは結構ですが、現実としてもうあなたたちの出番はありません。というか邪魔ですので、戦闘が終わるまでこの門からこちらには立ち入ることのないよう願います」


 校門の方では、青い髪の若い男性が押し寄せる警察に向かって話していた。

 確かに、警察ではあの空飛ぶ蟲どころか巨大蟲一匹にも勝てない。警官もそれを理解しているのか大人しく成り行きを見守っている。


 金髪の女の子が青い髪の男を呼び、なにかを説明する。そして二人で耳に手を当て、弱点がどうのと誰かと話し始める。穴の底の二人と話しているのだろうか。


 やがて光の矢が穴の底より放たれ、空を喰いつくさんとする蟲を貫き墜落させた。かろうじて建っていた校舎北にぶつかり諸共崩れていく。


 「戦いは終わった。キミは早く帰れ、今すぐ帰れ。」


 金髪の女の子が私をぐいぐいと押し、校門の外まで半ば強制的に連れていかれる。そして彼女は男と共に穴の底へ下りて行った。


 私は警察に事情を訊かれ、ただ偶然現場にいただけだと答えた。虹森先生のような何かに襲われたことや、銀のロボットに助けられたことは全て黙っておくことにした。

 ああいう秘密の組織は隠すことが多いだろう。きっと私が話してはいけないことだ。


 散々事情聴取された後に家に帰り、同じく両親には事件に巻き込まれ遅くなったとだけ伝える。

 両親は私の身を心配するが、私はもう恐怖などを感じておらず、むしろ自分の知らない世界の人たちと関われたということが嬉しかった。間違いなく拒否されるだろうけど、あの四人のうち誰かと写真を撮っておきたかったなと少し後悔するが仕方ない。


 しかし恥ずかしかったことも事実。あのロボットに怪我を負わせてまで助けてもらったのに、私はどもって上手く喋れなかった。

 私みたいな人も助けてくれるいい人(?)なのに、彼のことを何も知らないしお礼の一つも出来そうにない。


 週明け。ドキハレの新刊を緋山君に貸す約束だったけど、学校が文字通り無くなってしまったので彼の家に電話してみる。彼はスマホを落としたとかで電話か直接会いに行くしか連絡を取れなかった。


 「約束? ああ、ドキハレのことか。すまんちょっと都合が悪いかな。身体が……その、酷い筋肉痛でさ。もうちょっと待ってくれ」


 そういうことでは仕方ない、でも時間が空いたのならそれはよかった。

 彼に言われた通り髪を整えてイメチェンを図っている。そうすることで自分を少しでも明るくして、暗い自分を変えてみようと思った。

 でも慣れないことには何分練習が必要なので、休みの間に色々と試してみよう。




 「………………ええっと、藤音、だよな?」


 目の前にいる女の子に問いかける。イグニスやマーレがいるので、藤音を部屋に上げるわけにはいかない。

 玄関先で立ち話となったが、目に入って来た女の子を一瞬藤音と認識できなかった。


 「うん。緋山君に言われたから、ちょとイメージ変えてみたんだけど……どう?」


 三つ編みだった髪は解かれ一部を後ろで結ぶハーフアップ(俺は髪型に詳しくないので推定)になっていた。

 髪は色つやがよくなり綺麗に整えられ、前髪が目にかかることもない。何より大きな印象の違いはメガネを外していたことだった。


 「お、おう。なんかえらい変わったな。その……似合ってるよ」


 「ほんと!? よかった~、ちゃんとできてたみたい」


 藤音が笑う。女性はしばしば花に例えられるが、この場合とても同じ花だとは思えなかった。藤音ってこんな笑顔を見せるやつだったんだ。


 「ドキハレの新刊を持ってきてくれたのか、すまん。俺が行くべきなのにそっちから来てもらって」


 「いいよ、私は緋山君にこの格好を見て欲しかったし。お、おかしいとこないよね? あったら言ってね……!」


 そんなこと言われても、俺に女子のおしゃれの良し悪しを決めるほどの力はない。というかまずイメージが変わり過ぎてなんだかドキドキしてくる。


 「もしかして化粧までしてるのか……?」


 「軽くしてるよ。下手だったから学校じゃしてなかったけど、練習してみたんだ」


 …………どうしよう、俺はとんでもないことをしてしまったのでは? これは全部、俺がうかつに付け加えた一言が原因だ。


 あの日はイグニスの髪を思い出し、手入れがあまりされていない藤音の髪はもったいないな、なんて変なことを考えてしまった。環境の変化に浮かされ、普段は絶対に言わないことを言ってしまったのだ。

 よく思い出したら頭まで触っていた気がする。いつから俺は友達とは言え女子の頭を許可なく触れるような男になったんだ?


 俺はもっとこう、軽い気持ちで発言したんだ。だが藤音は結構深刻に受け取ったのか、こうして過去の自分を塗り替えるかのような勢いでイメチェンする問題にまで発展している。


 普段の藤音華ではない。明らかに無理をさせている。


 「あーそのなんだ、もしかして俺の一言がこうさせたならすまん。わざわざ化粧までしてきてもらって気合入ってるけど、無理……してないか? もしそうなら、俺は別に前の藤音のままでも────」


 「無理? してないよ。確かに前と全然違うけど、こっちだと私の気分も明るくなる感じがするんだ」


 どうやら、俺の考えすぎのようだ。藤音は今の自分を気に入っている。自分に自信が出てきて、毎日が楽しくなってきたっていう顔をしている。

 藤音のどもる喋りが完全に消えているのが何よりの証拠だ。あれは、自分の自信のなさの表れだったんだろう。


 「そうか、ならいいんだ。ああでも──メガネは着けた方がいいかもしれない」


 「なんで?」


 「メガネはな、外すと怒る人がいるんだ。たまにでもいいから付けてやってくれ」


 「なにそれ……怖っ」



 藤音とはあの後もいろいろと話した後別れた。

 一週間前の戦いのこともそれとなく聞いてみると、緋山君にならいいかと銀のロボットに助けられた話をされ、やれロボットがカッコよかっただの助けてくれて嬉しかっただの身体がムズムズするようなことを延々聞かされてしまった。


 夜の帳が落ち友達は全員帰り、俺の部屋にはイグニス以外誰もいなくなった。俺はこの先のことが気になって、彼女に質問する。


 「なあイグニス。敵はまだいるんだよな?」


 「ああ。あの教師を取り込んでいたやつも敵の一体に過ぎないだろう。まだ戦いは終わっていない」


 「敵って具体的にどれぐらいいるんだ?」


 「わからん。だがまだ地球から警告が出ている。全部排除できたのなら分かるはずだ」


 元々地球が危機を察知してイグニスたち上位者を派遣したんだったか。上位者がまだ残っているということは逆説的に敵がまだいるという証明だ。


 「突如街に出てきた深い霧……これも敵の仕業か?」


 「まあそうだろうな。ニュースで聞いた限り前例のない異常気象らしいじゃないか。タイミングが合い過ぎてる」


 深い霧、これは一週間前の戦い以降街に立ち込めている。

 昼はマシだが夜から早朝にかけては本当に一m先も見えないほど深い霧だ。おかげで街中での交通事故が頻発している。


 「あの偽虹森は宇宙から来たんだったか。まさか、宇宙からの侵略者なんてお話が現実になるなんてな……」




 深夜二時、自室のベッドで寝ていると何か物音が聞こえ目が覚めた。


 こんこん。こんこん。


 ベランダからガラス、つまり窓を叩くような音がする。

 まさか強盗かと思い起き上がり、部屋の電気をつけると、窓の外にはもっと予想外のものがいた。


 こんこん。こんこん。


 霧の中に、バニーガール姿の女性が立っていた。


 状況が理解できない、まず女性の容姿から確認しよう。

 黒髪のボブヘアで、血色が悪く目の下の隈がすごい。いかにも不機嫌といった顔をしており、なぜかバニーガールの服を着ている。

 少なくとも強盗をやる格好ではないが、不審度はこちらの方が上かもしれない。


 先ほどから俺を呼ぶように窓を叩いていることからしてやはり強盗ではないだろう。だが深夜二時という時間帯、バニーガール姿の女性、しかもどうしてか二階のベランダに上っているという事実。

 まさに奇怪で単純に意味不明な出来事だ。もしや、俺は寝ぼけているのか?


 こんこんこん。こんこんこん。


 しかも大きい。その背丈は、サッカー部の中で一番背が高い俺の百九十㎝弱に並び立っている。

 もしこんな大柄な女性が学校にいれば、女子サッカー部は見逃さないだろうな。いや彼女はおそらく学生と言う年ではなく、二十代前半を過ぎたような雰囲気だが。


 どんどん!


 女性は気が付いたなら開けてくれとばかりにジェスチャーをする。声は聞こえないものの何か言っているのは分かる。口の動きを見てみると、おそらく「あ、け、て」と言っているようだ。

 ……不審者は通報するべき、だが。俺は窓を開けた。確たる証拠はないが、彼女はそう悪い人には見えなかった。


 「ああよかった……。寒くてどうしようかと思ってたの」


 女性は有無を言わさず部屋に入って来た。俺は窓を閉め、彼女に問いかける。


 「こんな夜に、人の家のベランダでなにしてるんですか?」


 「私は九泉。大丈夫、あんたに危害を加えたりしないから安心なさい。はぁ……」


 九泉と名乗る女性はいきなりベッドに腰かけた。いかにも疲れた的な雰囲気が口調からも滲み出て、隠そうともしない。


 「俺は野田弘人です! 何の御用ですか」


 「あぁ、敬語とかいいから。普通に話して、普通に」


 九泉はベッドに座っていた体勢からどんどん横になっていき、最終的には堂々と人のベッドで寝そべり始めた。会話はしようという心の表れなのか、上半身だけがかろうじて起き上がりこっちを向いている。


 「端的に言うと……私と契約して地球を救って欲しいんだけど、どう? やってみない?」


 「俺が力になれるなら、喜んで契約しよう!」


 「そう……そうよね……って、え?」


 聞かれたから答えただけなのに、なぜか驚いた顔をされる。


 「……あんた受け答えがハッキリしてるのはいいけど、流石にちょっとハッキリさせすぎじゃない? これ一応大切な契約なんだけど、その辺聞かなくていいの?」


 「む、地球を救って欲しいと言ったじゃないか。地球が危機にさらされているなら、それは俺にとっても困りごとだ。拒否することはできまい」


 「まあそうだけどさ……。いいの? 信じてるのこんな話? 私が言うのもなんだけど、胡散臭い限りじゃない?」


 「話してみればその人が本当に助けて欲しいのかどうかは分かる。九泉さんは嘘をついていない。本気で助けて欲しいと思っている。なら、俺はそれに協力する!」


 俺は困っている人を助けるのが趣味だ。学校でもその話は広まっており、様々な人たちの助けを求める声に応えてきた。

 中には俺を都合よく利用しようとする輩もいるが、そういった奴は話してみれば判別がつく。


 女はしばらくこちらを見ていた。何を測っているのかは不明だが、ぽつりとこう言った。


 「九泉、でいい……」




 朝、きっかり七時に目が覚める。


 学校はなくとも生活習慣はそうすぐには変わらないものだ。隣で寝てるイグニスを軽くどついてから起き上がり、朝食を食べに一階に降りる。

 学校はないんだから朝食は自分で適当に食べると言っても、母さんはそれを拒否し俺たちの朝食を作ってくれる。なんでも自分も食べるから一人分も三人分も手間はそう変わらないとか。


 「いただきます」


 「いただきまぁす」


 そんな母さんに感謝しながら朝のニュースをつける。朝食を食べていると少し遅れてイグニスが二階から下りてきた。まったく見慣れたいつもの日常だ。


 今日のニュースのメインはなんとスーパーヒーロー。最近全身に鎧を着こんだ四本腕の武者が、踏切の真ん中で倒れたおばあさんを助け、ひったくり犯を捕らえ、さらには立てこもり事件まで解決したらしい。


 …………うん?


 「イグニス……」


 「ああ」


 目くばせをすると、イグニスは頷いて返した。今は母さんがいるから話せない。食事を終えたら改めて話そう。



 「で、どう思う?」


 「新たな契約者だな。戦闘せずとも変身するだけでエネルギーを食うんだ、なにをやってるんだか……」


 朝食の後、俺の部屋で繰り返し流れるニュースを見る。甲冑姿の武者に助けられたという人がインタビューを受けていた。


 「いいじゃないか人助け。まだ敵の動きはないんだ」


 「────いや、そうでもない感じだ」


 ニュースは切り替わり、昨夜の通り魔事件について報道される。昨夜だけで四人が街のあちこちで殺されており、いずれも身体を鋭利なもので一突きにされている。深い霧の中行われた犯行で、犯人は未だ不明だ。


 「これ、もしかして敵の仕業なのか? ……ま、都合よく霧を利用した殺人ってそういうことか」


 「そうだな。今夜もやるだろう、張り込むぞ修二」



 深夜、霧の住宅街を歩く。浅間にも連絡し、協力してもらうことにした。

 殺人は住宅街から駅前まで広範囲にわたって行われており、どこから犯人が出てくるのか不明だった。俺はイグニスと共に住宅街、浅間はマーレと駅前を張ってもらっている。


 ガシン、ガシン。


 念のため変身してから辺りをうろついているが、周りが静かなほどに自分の足音が響く。

 こう深い霧では周囲の状況もわからない、だが人の気配はほとんどないことが静けさから分かる。


 「……修二、聞こえるな?」


 「ああ。後ろを見ていてくれイグニス」


 アルゲンルプスの稼働音以外に、ふしゅうふしゅうと異音がする。何らかの生き物の呼吸音だ。少なくとも人間ではあるまい。警戒を最大限に強め、周囲を探る。


 ひゅん!


 「うおっ……!」


 前方の霧の中から、いきなり黒い鞭のようなもので攻撃される。変身していたから腕でガードできたが、それでも結構な衝撃が身体に伝わってきた。


 「イグニス離れろっ! 戦闘に入る!」


 「わかった!」


 敵を補足しようと走り出すが、見つけられない。霧が深すぎて視覚が塞がれているも同然だった。


 霧の中から空を裂く黒い鞭が何度も飛び出してはこちらを叩いてくる。何度も喰らえば金属のフレームも曲がりかねない威力だ。


 「くそ、どこだ!?」


 カメラをサーモグラフィーや他のモードに切り替えるが、それでも何も捉えられない。この霧はただの霧ではないようだ。

 対して敵はこちらの位置を完全に把握しているようで、戦局は大いに不利。


「敵はどうやってこちらの位置を……そうだ、これはどうだ?」


 視覚が機能しないのならどうするか。答えは簡単、聴覚で代用するのみ。だが単に耳から聞こえる音を頼りにするのは難しい。

 なので頭部ユニットからソナーを発信、音波で周囲の物体を補足する。こちらの位置も音で知られる可能性が有るが、もとより位置が割れているならデメリットはない。


 「……そこだ!」


 二時方向に大きな物体を感知、すかさず詰め寄って殴りかかる。


 「キシャァァァ!」


 黒い四つん這いの怪物がそこにいた。背中から触手を何本も生やしており、目が退化しているのか存在しない。

 振りぬいた拳が見事に頭を撃ち抜くが、致命傷には至らなかった。怪物は再び霧に逃げようと後退する。


 そうはさせない。相手の動きにこちらも合わせ、至近距離を保って戦う。右、左、右と連続してパンチするが身のこなしが素早くうまく当たらない。

 向こうは触手を使い強烈な攻撃を何発も同時にお見舞いしてくる。至近距離で戦うことが仇となり、敵の攻撃を躱す余裕はなかった。


 「ぐあっ!」


 高速で突き刺してくる触手に右腕を貫通される。ひるんだところを逃げられ、また深い霧の中に置いて行かれる。


 こうまで調子が悪いのは、先の戦闘の損傷個所がまだ十全でないからだ。右腕の出力はまだ四十%といったところで、足回りも素早い足捌きは難しい。

 変身すれば損傷した箇所は元に戻るのかと思っていたが、修復には時間が必要らしい。


 また、住宅街ゆえに高威力の武装を使用しにくい。こんなところでビーム・クローやビーム・マシンガンを使用すれば、住宅の中で寝ている住民ごと殺しかねない。敵がそれを考慮してこの場所を戦場にしているというなら策士だろう。


 「ならっ……!」


 放たれる黒い鞭撃を見切る。空気を切る音が攻撃方向を教えてくれるので、すんでのところで攻撃を避け、その触手を右手で掴んでひっぱると敵の方から飛び込んで来た。


 「おぉりゃあっ!」


 「ギャアッ!?」


 左肘のブースターを展開し噴射する。正面から突っ込んでくる怪物に対し加速をつけた渾身の一撃を叩き込むと、怪物は肉片と化して住宅街の壁や地面を黒く彩った。


 「イグニス、どこだー?」


 戦闘開始した場所に戻り、イグニスを探す。返事は無かったがすぐに立っているイグニスを見つけた。


 「いたいた。敵は倒したぞ、ひとまずはこれで────どうした?」


 「………………」


 イグニスは黙ったまま、神妙な顔をして正面を見つめていた。その視線の先には、老人若者男女問わず大勢が立ち尽くしこちらを眺めている。


 「さっきはいなかったが、戦闘音を聞きつけてきたのか……?」


 だとしても数が多い。こんな夜中にこれほどの大人数が出歩いているものなのか。


 「通り魔はさっき倒した。安心してくれ、もう殺人事件は起きない」


 彼らに説明して近づこうとすると、左腕をイグニスに掴まれた。


 「修二、まずいぞ」


 「──────え?」


 彼らの身体が膨れ上がり、その皮膚を裂いて内側から怪物が現れた。先ほど倒したやつと同種と思われる、黒い四つん這いの怪物が────。

 その数は二十を超えている。この場に集まっていた全ての若者たちが怪物に変貌した。どういうことだ、これは、まさか。


 敵は考える時間も与えてくれない。全ての怪物が一斉に襲い掛かってくる。振るわれる触手を避けながら一匹ずつ倒していくほかない。


 だが、敵の狙いは俺だけではなかった。


 「イグニス!」


 「修二! これは……まずいぞ!」


 触手がイグニスを絡めとり、怪物の一体に引っ張られている。

 すかさず駈け寄りビーム・クローを地面にだけ向け、伸びている触手を切り飛ばす。ただの一対二十ではなく、さらにイグニスを守りながら戦わなければならないようだ。


 かといって逃げることもできない。不利を承知の上で戦闘を続ける。敵の動きにも慣れてきて拳や蹴りが当たるようになってきた。


 だがどうしても押し切れない。左手が敵の頭を掴む。このまま握り潰してしまえばいいのだが、俺はこの怪物が人間から変わっていったのを見てしまった。

 一瞬の迷いが相手の反撃を許し、触手の一撃を喰らって吹き飛ばされてしまう。


 「修二、そいつらはもう……手遅れだ。元に戻す方法はない」


 「……ああ、わかってるさ。ちょいと予想外だったんで、動揺してるだけだ」


 そうだ。こちらが迷えば迷うほど敵の思うつぼだ。敵の狙いはこれなんだ。なら俺は、躊躇なく相手を殺せばいい。それこそ機械の様に。

 だが頭で理解できていても、身体は元人間であった怪物を殺すことに拒否感を示す。


 「うあっ!」


 「くそっ! いつの間に後ろに回って────」


 もたもたしていると、イグニスが触手で引っ張られ深い霧の向こうに行ってしまう。後を追おうとするも、俺の足首にも触手が巻き付いてきてバランスを崩してしまった。


 「しまっ────」


 きん。


 金属音がしたと同時に、イグニスに巻かれた触手が両断される。気が付くと俺の足首の触手も落ちていた。


 あまりの速さに少し状況の判断が遅れた。だがこれは援軍だ。浅間──いや違う。


 「加勢する!」


 四本腕の武者はそれだけ言い残し怪物が群れる霧の中に突っ込む。触手と刀の空を裂く音が聞こえ、その後に何重にも怪物の悲鳴が上がる。


 俺はイグニスの元へ行き、周囲に潜んだ敵がいないことを確認した後に武者と共闘しに向かった。既に五体は首を落とされているようだ。武者の背中をカバーするように互いを守りあう。


 「厄祓い!」


 触手が何十本と武者を襲うが、武者が同時に四本の刀を振りぬくとバラバラに切られ落下していった。近くにいた何体かの怪物もその頭ごと真っ二つになる。


 こちらも負けてはいられない。迷っていればこの武者にも迷惑がかかるだろう、もうやるしかない。

 左右それぞれの手で怪物の首根っこを掴んで握り潰す。隙を見て飛び掛かってくる怪物を尾で突き刺し、高圧電流を体内に流し込む。


 「ライトニング・スピア!」


 怪物は突き刺した箇所から焦げあがり、痙攣して死んだ。他の武装と比べるとリーチが劣るため使いにくいが、こうして両手が塞がっているときや周囲への影響を考慮するときなどは便利だ。


 「でやああぁっ!」


 しかし武者の動きは圧倒的だった。怪物の攻撃は全て斬り飛ばされ、武者の刀は確実に逃げようとする怪物の首を刎ねる。四本の腕がそれぞれ動くことで隙が無い。至近距離での戦いでは恐らく万全の俺や浅間よりも強いだろう。


 あっという間に最後の一匹になった怪物の頭を握りつぶすと、俺は霧の中で武者を探した。お礼を言おうと思ったのだが、すでにその姿はなかった。どこへ行ったのだろうか。


 「なんにせよ助かったな、修二」


 「ああ。加勢がなければ危なかった」


 イグニスの身体を確かめるが、特に怪我はなかった。あったとしてもすぐに消えてしまうのだが。


 「浅間も危険だ、見に行こう。抱えてやる」


 「わかった」


 イグニスをだっこし駅前まで移動しようとすると、何かが地面に降り立つ音が聞こえた。


 「よっ緋山君。そっちはどう?」


 「浅間……! 無事だったか」


 「三体ほど変な触手出す怪物が出てきたけどね。まあ負けないよ」


 剣を生やした異形も大事なさそうだった。しかし三体とはこちらより随分と少ない数。どういうことだろう。


 「これは……初めから我々を誘い出す罠だったようだな。こちらは二十体出てきた。狙いは私、上位者だろう」


 「ふーん?」


 「我々上位者は地球の代弁者だ。地球が滅びない限り死なない。だが、敵に取り込まれる可能性はあるし、仮にそうなった場合……おい、いつまで抱えてるんだ降ろしてくれ修二」


 降ろしてくれと言われると持ち上げていじりたくなるのが人のサガ……だが、ここは素直に降ろしてやる。


 「今降ろすまで変な間がなかったか? まあいい。とにかく私たちが取り込まれると、私たちの持つ人間へ干渉する権限ごとそっくり奪われる可能性が有る」


 「……つまり、どうなるんだ?」 


 「下手すると記憶の改竄により全人類が記憶を失う。今まで築いた文明、積み重ねは全て無価値となり、私たちは為す術無く侵略を受けるだろう。死ぬより恐ろしいことになるやもしれん」


 最悪のシナリオだ。確かにマーレも言っていたな、喰われることだけは避けろとかなんとか……。そういうことか。


 「うっそ、私マーレ置いてきちゃった。敵はもういないから大丈夫だと思うけど、ちょっと行ってくるね!」


 そう言うと浅間──ラピドゥスグラディウスは一瞬で目の前から消えると、住宅の屋根を飛び移っていくような跳躍音だけ残していった。


 「あの新たな契約者のことも知りたかったが、やむをえまい。今日は帰るぞ修二。アルゲンルプスの最終調整を速やかに終わらせる」


 「ああ、わかった」


 変身を解除し、霧の中家路につく。

 俺とイグニスには、アルゲンルプスに関するある計画があった。これから予想される苛烈な戦いに備えるためには、今のままでは力不足だ。




 鋭い四筋の剣閃が怪物を細切れにする。触手に捕らえられ、持ち去られるところだったバニーガール姿の女は無事に解放される。


 「危ない所だった。大丈夫か」


 九泉は身体の埃を払いながら起き上がると、少し伸びをした。


 「あぁ無理やり縛り付けられてちょっと痛かった……。ありがとう弘人」


 ピンチだったにも関わらず、緊張感のようなものがない。その緩んだ空気に野田も思わず笑ってしまう。


 「襲われたから走って逃げようとしたんだけど、転んじゃって。捕まってる最中にテレパシーのやり方思い出してよかったわぁ」


 「……じゃあ次からはすぐ呼んでくれ、九泉を敵に奪われるわけにはいかない」


 変わり者の上位者を連れ、野田も変身を解き家に向かって歩き始める。


 「ねむ……」


 九泉は欠伸をすると、夜空を見上げた。だが月は霧で隠れよく見えない。面倒な仕事だなぁと思いつつ、兎は霧の中に溶けていった。

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