第5話

 音楽大学がある街ということもあり、かろうじて残っている楽器店が一つだけある。音大生たちは、基本的にオンラインで買物をするものの、緊急時にはここを御用達にしていた。僕はその楽器店の店長と仲良しになり、商品を宣伝する代わりに、お店の前で演奏させてほしいと、お願いしたことがあった。最初は煙たがられたが、指揮者になる夢を語ると、店長は感心するように頷いてくれた。

 楽器店に到着し、店長を呼ぶ。

「店長、ほんとうにいいんですよね」

「おっ、ほんとにやるのか、いいぞ、やれやれ」

「ちょっと、本気で言ってるんですか」

 ひかりが話に入ってくる。

「なんか面白そうだろ」

 店長は大きな身体を揺らしながら笑った。

「まあ、今の世の中、街をブラブラ歩いているやつなんてあんまりいないし、店頭での売り上げなんてほとんどないから、意味ないかもしれないけどな」

「クレームとか来ないんですか? うるさいぞ、とか」

「ま、大丈夫だろ。やったことないから分からないが」

 ひかりは右手をほっぺにぴたりとつける。彼女は困るとよくこのしぐさをする。

「よし、決まりですね!」僕は元気よく返事をする。

「ただ、あの約束だけは守れよ。個人間の金銭授受は禁止だからな」

 僕は右手でOKマークを作って見せた。

「必要なのは、お前の楽器と、あとフルートの姉ちゃんの音を拾うマイクとアンプがあればいいか。なんだか、昔に戻ったみたいだな」

 店長が奥から機材を引っ張り出してくる。

「アンプとかマイクとか、まだ売ってたんですね」

 ひかりが店長に問いかける。

「いや、これは売りもんじゃないよ。電子ピアノは商品だけどね。ほんとう、持ち運びやすくなったよな、出てくる音と鍵盤の感触だって、スタンウェイのグランドピアノそのものだからなあ」

 準備を手伝っていると、電子ポスターが目に入ってきた。僕は手を止めて、その電子ポスターに目をやる。

「こんなもの、取っちゃいましょうよ」と僕は言った。

 政府の電子ポスターだ。4月になると、ありとあらゆるところで目にかかる。

 ――必ずしもやらなくていいこと、それは仕事。STOP悩み過ぎ、メンタル不調の際はお近くの相談窓口へ――

「まあ、そういうなって。みんながお前みたいに陽気ってわけじゃないんだから」

「これって、新年度になったらよく見かけるけど、なんか義務とかがあるんですか?」

 ひかりが店長に聞くと、店長はうなずいた。

「国だって、あの暗黒時代はもう嫌だってことだろ。無理して仕事をしなくていい、そう国が言ってやらなきゃ、乗り切れない時代だった」

「店長が子どもの頃ですか?」

 僕が店長に聞くと、店長は眉をひそめた。

「まあ、そうだな。いまよりも、さらにどんよりしていた。あんまり、思い出したくもないな」

「どんな感じだったんですか?」

 僕が聞くと、店長はていねいに説明を始める。

 簡単にまとめるとこんな感じだ。

 人口知能の飛躍的発展によって、働くという概念が消失したのだ。昔は、働かざる者食うべからず、ということわざがあったそうだが、現実問題として、その仕事の大部分がコンピュータに取って変わった。残された仕事は、一握りの選ばれた人間が担う高度な仕事と、コンピュータがやりきれない部分の補助をする仕事であった。ほとんどの国民は、コンピュータの補助に回った。国民の暴動が起こらなかったのは、働かなくても生きていけるようになったからであろう。仕事は奪われたが、代わりにコンピュータがあげた成果を全国民に配分されることになったのだ。仕事はないが、金はある。問題は相殺されるかと思ったが、そんなにことはうまく進まなかった――

「で、結局どうなったんでしたっけ?」

 僕が質問すると、店長はあきれた。

「それは学校で習っただろ。国民は二つに分かれた。一つ目は、無気力になった人たち。頑張らなくても生きていけるしな。まあ、こっちはこれで幸せなのかもしれない。問題はもう一つのグループだよ。精力的に頑張りたい人にとっては、生きる意味がわからなくなって、メンタルがやられたわけだ。そこで発令したのが、持続可能な社会を実現するためのステイホーム宣言だろ」

 習った気がする。でも、うまく言葉では説明できない。

 僕がひかりに助けを求めると、彼女は右手をほっぺにぴたりとつける。

「こいつは、ほんとうに音楽のことしか頭にないのな。本当におめでたいやつだわ」

 店長が調子を確かめるようにピアノを弾きはじめた。きらびやかな音の洪水が、街中に響き渡る。

「ひかりちゃん、なんたら宣言ってなんだっけ?」

 僕がしつこく聞き出そうとすると、ひかりは小さくため息まじりに応える。

「家でゆっくりしててね、それが地球を傷つけないことにつながるんだから、君も役に立ってるよ、ってやつ」

 僕は、なんだか納得がいかなかった。

 そんなの、ただのこじつけじゃないか。モヤモヤする気持ちを抑えながら、リュックから帽子を取り出し深くかぶる。ついに準備が整った。

 いよいよ、表現の時間だ。

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