第132話 祈り、願う


 心の塔へ向けて華奢な腕を伸ばしていたソレは、溜息と共にその手を下ろしたのだった。


 

 闇空を見上げる。天へと伸びるドス黒い茨の束……その末端で串刺しとなったシヅキはピクリとも動かない。四肢と心臓、そして肺を軒並み貫かれたのだ。規格外のバケモノの身体でも耐えられないほどの傷を負ったのだ、彼は。


 その姿を確認したシーカーは小さく呟く。


「シヅキ」


 次にシーカーの視線は背後へと向けられた。簡素な円状の床の奥、そこで布切れのようにうずくまる彼女へ。


「トウカ」


 心の塔の中層辺りにひっそり築かれた剥き出しのテラス。その片隅で横たえられたトウカがシーカーの呼びかけに応えることはない。 ……当然のことだ。個の崩壊の症状とは既に末期まで来ている。トウカの記録きおくがついに蝕まれ、身体がその姿を保てなくなることは時間の問題だった。



 …………。

 


 彼らの惨状を眼にしたシーカーは自身の……正確にはリーフの長髪を押さえつけ、ぐぐぐと手櫛を通す。そして粘着質な瞬きを繰り返した。


 胸の内で言語化された感情をあぶくのように溢す。


「この胸の内の騒めきを、僕は心の塔が壊され得る焦燥だと思い続けていた。しかしそれだけでは足りない。 ……不思議。君たちを失いかけてこうも心が動くか」

 

 間も無くしてシーカーは自身の胸元を強引に掴み取ると、長く時間をかけ深呼吸する。そして淡緑の瞳で改めて茨の束を捉え、その冷たい床へ片膝をついたのだった。



 最後に改めて闇空を見上げたシーカーは、肺いっぱいに空気を吸い込むと、


 

「人間様、人間様、人間様。お聞こえになりますか、お聞こえになりますか。貴方の創造体、ホロウ、虚ノ黎明……その1体、監視者でございます」


 

 静かに声を張り上げた。


「僕の言葉が届いているのなら、どうかお聞きになってほしい。 ……シヅキを解放してくれないでしょうか。彼にはまだトウカを看取る責務があります」



『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛! ! ! ! !』



 シーカーの言葉を理解しているのか否か。再び“世界”は慟哭を上げる。シーカーは表情こそ歪めたものの、ついに体勢を崩すことはなかった。


 穏やかな口調でこう続ける。


「貴方の怒りと苦しみを僕は知っています。人間様……貴方は自らが許せなかった。自らが星を傷つけ、未来を潰したこと。それでも生きたい一心で、子供未満の“僕ら”を生み落としてしまったこと。そして、晴らすことの出来ない罪悪感情を抱いたことを僕は知っています」


 それは灰色世界でたったシーカーだけが紡ぐことが出来る言葉だった。孤独に世界を傍観し、その時代の変遷を見通してきた監視者シーカーだけが。


 その両手を茨の束へと掲げる。


「人間様、人間様。きっとこれが最後のチャンスです。僕の声が聞こえているなら、どうかシヅキを傷つけないでください。これ以上罪を重ねないでください。これ以上嫌われるような真似はやめてください。闇に呑まれないよう……どうか」


 

『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛! ! ! ! !』

 

 

「お願いします、お願いします、お願いします、お願いします、お願いします」


 何度も何度も言葉を反芻する。非力なシーカーに出来る事ととは祈り、願う……たったそれだけだった。


 それがなんの意味も持たない空虚な行いであることは自覚している筈なのに心が止めてくれない。さざ波のような感情の震えが波紋をもたらし、シーカーの中を広がってゆくのだ。


 祈りの最中、シーカーは自身へと問う。


 自分は似非人間ホロウである筈なのに……何故このような感情を抱けてしまったのだろうか?


 

 ――シヅキにはほしくない。どうかほしい。



 と。



 …………………………

 …………………………

 …………………………。


 

 それから暫くの時間が経過した。声が枯れ、握り込んだ両手がくっ付いたように固まり、床についた膝の感覚が無くなる程の時間だ。


 “世界”も長く叫びを上げていない。箱庭を自身の空虚めいた声が否応もなく響いている……そのような実感が沸々と湧き上がってきたところで、シーカーは随分と乾いた声にて呟いたのだった。

 

「……やはり無駄な行いだったか」


 そうして、いつの間にか閉じきっていた視界を再び開き、その惨状を眺めたのだ。徐々に焦点が合ってくる。

 


 黒を黒で塗り潰した闇空、天へと伸びる茨の束、その末端で串刺しとなったシヅキ。それらを見上げる白銀の影。



 ………………。

 

 白銀の、影……?



 シーカーは大きく眼を見開いた。ふらつく身体を強引に立ち上がらせる。


 すぐに彼女の元へ駆け寄った。

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