第120話 真実の監視者


 

 間もなくして開かれた重厚な扉のすぐ先にはリーフの形をしたシーカーがあった。


 淡緑の眼にてシヅキとトウカを一瞥したソレは、特に何を言うでもなく彼らに背を向ける。そして淡々とした口調にてこのように言ったのだった。


「ついてくる」


 動揺、狼狽の色は一切に無かった。この得体の知れない雰囲気とはコクヨと対峙した時のことを思い起こさせる。


 シヅキは音を鳴らし、唾液を飲み込んだ。先ほどの自身の発言は図星だったか、それとも的外れだったかは分からない。ただ事態が良い方向へと動くことを願うばかりだ。


 この扉の先に何があるのだ。 ……何が。


「行こう、トウカ。 ……トウカ?」

「…………うん」


 振り返った先のトウカはつい先ほどよりもずっと弱っているようだった。精神的なものか、あるいは肉体的なものだろうか。前後に振れる彼女の身体を見て、シヅキはすぐに悟った。


「また眠いのか?」

「……ごめん。大丈夫、歩ける、よ」

「手は繋げ。限界が来る前には言ってくれよ」

「あり、がと……」


 か細い彼女の声がもたらせる不安と焦燥感、シヅキにとってはそれこそ慣れることの無い代物だった。そのような心状態を穴埋めするように、シヅキは彼女の手を握り込む。指を搦め、彼女の存在を実感する。 ……それでもこの心は落ち着くことがない。彼女の体温とは、ここまで低いものだったろうか?


 ………………。


「シヅ、キ……」

「え……?」

「行こ。 ……たぶん、


 柔和にトウカが笑みを浮かべる。それだけがシヅキを突き動かす理由だった。頭を過った居住スペースへの帰還という選択肢は消え失せ、汚れきった靴はただ前進をする。


 そのようにしてシヅキとトウカは重厚な扉の先へ、その闇の先へと足を踏み入れてしまった。




 ※※※※※




「よく辿り着いたね。もう少し時間を食うか、或いはそれ以前で終わると思っていた」


 長い、長い廊下を抜けて辿り着いたのは古い空気が溜まり込んだ、袋小路のようなそんな所だった。辿り着いた……いや、追い詰めたの方が適切かもしれない。


 周りを見渡したシヅキは高圧的な声色にてシーカーに尋ねる。もはや遠慮や躊躇をする気持ちは無かった。


「ここは何だよ」

「秘密基地。監視部屋。真実の宝箱」

「いい加減にしろよ、分かりやすく言え」

「心の塔は記録と記憶の保管庫。ここに在るのは、ただそれだけ。 ……ごめんね、本来君たちには全部見せるつもりが無かった」

「図星の方だったってことかよ」

「何の話」

「テメェのことだよ。 ……お前、はなから俺たちを利用するつもりだったんだろ。情報を渋って……いや、隠してまでしてよ」


 自身の声がやけに響く。想定していたよりも部屋は狭い。これ以上奥への広がりはないのだろう。シーカーは逃げられない。逃すわけにはいかない。シヅキは静かに決心をした。


 改めてその細い眼をソレに向ける。


「シーカー、洗いざらい全部吐けよ。生命の在る世界の実現方法……そして、トウカの眠りが深くなったこともな。お前は知っているのだろう?」

「…………」

「何も話さねェのなら、力づくでも――」

「なぜ。なぜ僕は君たちを招いたと思う」

「……なんだよ、急に」


 急に問いを投げかけられ、答えに詰まったシヅキ。そんな彼に失望をしたのか、或いはそれ以外の理由か……シーカーは溜息を吐いた。


 そしてこのように続ける。


「前にも言った。僕は嘘をつかない。君たちは生命世界の実現が出来る可能性がある。ただその為には君たちが全てを知ることは不都合だった」

「不都合って……情報の共有は必須だろ! お前、何言って――」

「知らなければ良かったことなんていくらでもある、シヅキ。かつてコクヨというホロウが目指したのはそのような無知の世界。人間を知れない世界。手に入らない幸福を失くした世界」

「……なぜ、今になってそんな話を」


 恐る恐るとシヅキが尋ねると、シーカーが僅かに眼を細めた。眉間には皺が寄っている。明らかな苛立ちの感情がそこにはあった。


「察しが悪い。或いは察しが悪いと自らに言い聞かせようとしている」

「……俺ァ馬鹿なんだ」

「思考を拒絶できるのは聡い者だけ。 ……分かった。見せる。君は真実を知りたがっている。彼女は真実を知ってもなお、前に進もうとしている」

「彼女……トウカが? 真実を? 何だよ、それ」


 反射的に振り向いたシヅキの眼に映るトウカ。 ……琥珀色の、透き通った、虚な眼が。焦点の合っていないソレが。


「トウカ……おい眠いのか? 眠ぃんだったらほら、背負うからよ」


 軽くトウカの肩を揺する。 ……反応はない。でも意識が無いわけではないのだ。振り子のように前後に振れながらも彼女はそこに立っている。


 明らかな異常だった。明らかな、異常だった。


 シーカーは言う。

 

「トウカ、君は花の映像を観た。生きている花を観て、かつての君は救われた。それって……こういう花?」

 


 ブゥン



 突如、耳を細かく震わせる鈍い音が走った。視界が急に明るくなる。眩しい明滅を繰り返すナニカが……いや、生きている花がそこには在った。



 風に揺れる、小さな花。6枚の花びらは薄らと黄がかっている。茎は細くしなりがあり、風に揺れて倒れそうになってしまう。 ……でもすぐに元へ戻った。



「はな………………!」


 隣のトウカが上げたのは、空気が濃く混じったか細い叫び声だった。尋常では無いソレに、シヅキは一瞬だけ反応が遅れてしまう。


 

 荒げた呼吸の中、トウカは言葉を吐き続ける。


 

「花が…………花…………! 私は……………花を………………花が……………私を……………存在、存在している私は…………花を……………見たくて……………それだけが…………花、花、花が………ゴホッ……! ガ……グァ………アアアアアアアアアア!」


 

 その場に崩れ落ちたトウカは、それでも前方に映る花の映像からは一瞬足りとも眼を離すことはなかった。縋り付くように、まるで救いを見つけたかのように……盲目的に、ただ。


 そんなトウカに、シヅキは後ろから抱きつく。


「やめろトウカ! お前、変だって! どうしちまって……」

「存在の理由が……………花を…………ハナ……………はなが」

「なんでお前……泣いて……泣いてるんだよ」

「私は……本物の花が……ソレさえ見られれば…………」


 徐々に小さくなっていくトウカの声は、ついに途絶えてしまった。先ほどまで限界まで開かれていた琥珀の眼は閉ざされ、論理の破綻した言葉を吐き続けていた口からは細い寝息が漏れ出し始めた。


 そんなトウカのことを、シヅキは自身の胸の中に抱く。彼も同様に、その眼には涙が流れていた。


「尋常じゃ無いよ。花ごときに狂う彼女も、狂う彼女に狂う君も。まるで呪われている。可哀想に」


 語るシーカーにシヅキは返事をしない。いや出来ない。声が出ないのだ。喉が焼かれたように熱く、空気が足りない。


 大きく呼吸を繰り返し、その度に隆起するシヅキの肩。シーカーはそこに、そっと手を置いた。


「“個の崩壊”って知ってる? ほとんどのホロウは知らないよ。人間は、僕らにソレだけは秘匿しようとしていたから。 ……簡単に言うと、寿命という概念の無いホロウをころす仕掛け。個の存続を許さない、矛盾の呪い」


 シーカーはその場にしゃがみ込む。熱を帯びたシヅキの耳元に、その口を近づけた。


 そして吐く。ホロウ存在の黎明期から今に至るまでを監視し続けた、その唯一無二の真実を。


 吐いてしまった。






「断言する。近いうちにトウカはしぬよ」

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