第110話 正体
不敵に笑うだけの「リーフ」が無言でこちらへと近づいてくる。シヅキは躊躇なく刃先をソレへと向けた。
唾を飲み込み、シヅキは言う。
「なぁ、俺たちは今決めかねてるんだ。お前がリーフなのかどうかってよ。だから言葉で証明してくれ」
緊張を一身に纏ったシヅキの問いかけにソレは答えない。無言だ。リーフらしからぬ不気味さがそこにはあった。
距離が近づくにつれ、段々とその輪郭がくっきりと映るようになる。本当に容姿はリーフそのものだ。眠たげな眼も、カールのかかった長い髪も。それはシヅキの知っている彼女の構成要素だった。
だからこそシヅキは息苦しさを憶える。まるで「実は
長く時間をかけて息を吐いた。シヅキは言葉を重ねる。
「なんか言えよ。俺バカだからよ、疑わしきは罰するぞ」
それでもリーフは答えない。にじり寄るかのように、規則正しい歩調にてこちらへ歩いてくる。
シヅキは更に言葉を重ねる。
「お前が知っているシヅキじゃあ無ェんだよもう。守るものがある。トウカが傍に居て俺は…………トウカ?」
その時までシヅキは気付けなかった。先ほどまでの緊張感が嘘のようにスッと消える。そうして出来上がった穴を埋めるようにシヅキの存在を満たしたものとは、途方のない悪寒だった。
錆び付いた機械仕掛けのように、シヅキは振り返る。
叫声を上げた。
「トウカ! おい……トウカ!!!」
から風荒野の枯れた土壌の上に倒れているトウカの肩を揺する。 ……返事はない。うつ伏せから仰向けへと姿勢を変えた。眼は開いていない。彼女は荒れた呼吸を繰り返しており、肩が露骨に上下していた。トウカの表情とは先刻の苦しげな様子の延長にあり、それはまるで……
「あく……む…………」
突如として背後から聞こえてきた絞り出したような掠れ声。シヅキが反射的に振り返った先には、トウカを覗き込むリーフが在った。
掠れきった声でソレは続ける。
「悪夢を……見ている。可哀想に」
シヅキは怒号を飛ばした。
「おいテメェ!!!」
伸ばした左手でソレの襟元を掴む。グッと体重をかけてソレを地面へと伏せるまでは一瞬の出来事だった。異形と化した右腕を振るい上げる。
「お前、トウカに何をした!? リーフじゃあ無ェだろ!」
「……ああ」
「答えろ! さもねェと――」
「僕は……僕は何もしていない。彼女は彼女を起因として一時的に意識を失ったに過ぎない」
「何だと?」
シヅキの困惑の声に、リーフの姿をしたソレは不敵に微笑み返した。 ……その眼は笑っていない。感情を意図的に見せていないのだろうか。
ソレはこのように続ける。
「君はトウカというホロウが絡むと血の気が昇る。普段の広い視野における分析力と、常に最悪を考える臆病さは鳴りを潜める。 ……端的に表すと向こう見ずになる。ホロウが苛まれる呪いの一種である」
「何が、言いたい」
「冷静となってきた。良い傾向である。 ……僕は危害を加えることのない。君たちの前に姿を現したのはその意思を伝えるためである。君が誤解を受けているのは時機が悪かったに過ぎない。どうかその手を下ろしてくれないか」
声色はまんまリーフだ。しかしながら口調と抑揚が異なるだけで、まるで別物だった。ソレが言うに、自身はリーフではなく、しかし無害な存在だと。
…………。
「……ソウマの差し金か」
「あのメガネは関係のない。消息は不明である」
「ならば俺とお前は初対面か」
「意によって肯定とも否定とも返せる」
「リーフの容姿をしている理由」
「少し前より、この身体を“宿主”とした」
「嘘だろ?」
「事実だ。 ……この問答をいつまで続ける?」
「いや、もういい」
ソレの襟をパッと手放したシヅキは倒れ込むトウカを抱え上げた。 ……体温は高い。魔素の乱れもない。ならば倒れたのは疲弊由来のものだろうか? 一時的に意識を失っている、というソレが下した評価は正しいらしい。
間も無くしてリーフの姿をしたソレが立ち上がった。シヅキが伏せ倒したせいで乱れた服もそのままに、ソレは言う。
「君たちは身体と精神を休める必要がある。なので僕の住処へと案内をする」
「……助かる」
「途端に素直になった。僕の魔素を解読出来たのだろうか」
独特の抑揚と話し方のせいで、それが質問であると理解するのに1テンポ遅れる。シヅキは胸の内から出しそびれた緊張と怒りの感情を吐き出すように、かと言って静かな口調で返答をした。
「いや。あんたはあまりにも“複雑”過ぎた」
「複雑か。そうだろう。 ――さぁ行こう」
吹き荒れる風をまるで気に留めることもなく、ソレは懐から小さな麻袋を取り出した。
風に乗り、僅かに鼻をついた臭いでシヅキはその中身を察する。
「……煤か?」
「そうだ」
シヅキの問いに肯定をしたソレは麻袋から黒に染まった粉を取り出した。シヅキも何度か見たことがある。 ……煤魔法。ホロウの心を壊す魔法だ。
「俺が知っているそいつの使い方は、
「簡単な話である。コレを用いて空間を捻じ曲げる。僕の現拠点はその
あまりにも突拍子の無いソレの話に、シヅキは思わず「ハハッ」と笑い声を上げてしまった。
「煤魔法ってのは、何でもありなのかよ」
「異なる。客観的に見て、僕が規格外」
ゆったりとした口調にてそのように言い放ったソレ。浮かび上がった不敵な笑みとは、シヅキを
ブウウウウウウウウウウン…………………
間も無くして、ノイズが走った。ソレの眼前の空間が曖昧となり、世界にぽっかりと穴が空いた。闇空が落ちてきたと勘違いをするほどに真っ黒の輪。シヅキは思わず、一瞬だけ呼吸の方法を忘れてしまった。
出来上がった真っ黒の輪。ソレは躊躇いなく、縁に足をかける。
…………
「……なぁ。あんた、名前は?」
その時シヅキは声をかけた。カマかけや探りの意図は皆無だった。ただ彼は心に滲んだ純なる疑問へと無抵抗に従ったのだ。
ソレはすぐに答えない。その代わりに、えらく時間をかけて瞬きを一つだけした。眠たげな……しかし決して眠気はないだろう視線がシヅキを襲う。まるで見定られているようだと感じた。
しかし、そのような永遠に似た対峙の時間とは、トウカによって遮られてしまった。
「ぅ……アァ…………」
「――っ! トウカ!」
「彼女が苦しんでいる。手短に済ませる。 ……僕の名前は変遷を遂げている。その時期と都合により自らの正体を変え続けている。“宿主”という単語はその事実を端的に表現しているに過ぎない。かつての僕は“ラヴァ”であり“ステラ”であり“クロウ”だった。しかしながら、リーフという宿主の名前とは君たちを前では適さないだろう。これからは“シーカー”という呼称を要求する」
「……シーカー」
「あぁ。 ……後は」
穴の縁に足をかけていたリーフを宿主(?)とする者、シーカーは輪の中へゆっくりその身体を沈めていく。
半身ほどを沈めてしまったところで、シーカーは途中であった言葉の続きを最後まで吐き出した。
曰く。
「“虚ノ黎明”」
まるで輪がその身を喰らい尽くすかのように、背中越しに呟いたシーカーは闇の中に紛れ消えた。
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