第85話 失望と嫉妬
サユキとアサギが
その光景は目の前で起きたはずなのに、実感はあまりにも遠かった。現実を受け容れられない心が、現実への理解の邪魔をする。 ……夢でも見ていたのではなかろうか? 実はサユキもアサギも無事なのではなかろうか? 真っ暗闇の中に見えたその糸を、シヅキは引っ張ろうとした。
――しかし、そんな現実逃避すら叶わない。
「シヅっち〜ずっと黙りこくってるけど、どしたんすか? それとも、喋ることすらままならないすかねぇアハハ」
カラカラと、あまりにも軽すぎる笑い声がシヅキの耳を撫でた。地に伏せ、泥まみれとなった顔を持ち上げると、そこには下卑た表情を浮かべたホロウが一体。
「………………エイガ」
「あーそうそうそう。喋ってくれねーとこちとら暇なんすよね。待機ってあんま柄じゃあねーんすよ」
「…………」
「おっっと。そんな睨まないでくださいよ〜怖いっすよ〜? シヅっち」
「お前……お前、何をやったのか分かってんのかよ」
「んあ?」
「…………サユキと、アサギを
「ああそっすね。
そう言ったアサギの右手には、2本の短剣が滲むように生成された。柄の部分が異様に曲がっており、刃先が普通のものより尖っている歪な短剣だ。
「コレ対ホロウの短剣なんすよ。ホロウを流れる魔素は魔人のものより動的なんで、首元に小さな穴開けるだけでもけっこーな魔素が流れ出るんすよね」
「……」
「シヅっち、聞いてます?」
「……なぜ俺の事は
「は?」
シヅキはその眼を改めてエイガへと向けた。生気も気力もない、あまりにも虚な眼で。
それに対して、エイガは眉間に皺を寄せつつ答えた。
「命令っすよ。めーれー。お前を
「命令…………お前が……お前の意志でやったんじゃないのか」
「そっすね」
「お前の感情でも、お前自身の事情でもなく……言われたから
「さっきからなんすか? ホロウを
「ホロウの……価値…………」
ホロウの価値。確かにそれはあって無いようなものだ。 ……シヅキだって、そう思う。そうやって思おうとする。
しかし実際にはそんなことはなくて。少なくともサユキとアサギは……あいつらは大事なホロウだった。もし彼らの存在を助けられるのなら、シヅキは何も迷うことなく肩代わりだって何だって出来た。
(なのに……現実は……)
滞りなく襲ってきたのは耐え難き後悔の念だった。もっと上手くやれたなら、あいつらが無事だった可能性はある。それがどうだろう? 末路は孤独だ。たった一体残された。まんまと一体……残された。
………………
………………
………………………………。
「……
口元から滑り落ちるように、そんな言葉が流れ出た。
「あ? 何言ってんすか?」
「
自己を否定する感情が、自己を否定する言葉が沸き出て止まなかった。自分が今ここに居る理由が解せなくて止まなかった。自己を強く見せるための態度だって、自己を守るための理性だって…………そんなものは忘れてしまっていた。
だからシヅキは縋った。救いの無い絶望に縋ったのだ。
「俺はもう………………耐えられない」
閉じ切った喉の、その隙間から声が漏れ出た。それは心の底からの、シヅキの願いに相違なかった。
それから間もなくして。
「あぁ……良いっすよ。顔を上げてくだせーよ」
上から降り注いだのは、ある種の救いの声だとシヅキは思った。だからこそ、彼はただ愚直にその顔を見上げたのだ。
瞬間、ガクンと首が折れて景色が歪む。
「はァ。マジでお前のこと嫌いっすわ」
身体が宙吊りにされているとすぐに気がついた。どうやら襟元を掴まれているらしい。その肉薄する距離感にはエイガの顔が。失望と苛立ちに塗れた……そんな顔だ。
「オレの感情に従っていいのなら、迷いなくその首に穴開けてんすよ。それくらいお前のこと、ぶっ
ドスッ
「ガッ!」
内臓が押し潰される感覚が走る。腹を殴られたのだ。
エイガはソレを何度も何度も繰り返す。
「お前見てるとさぁ! 鏡見てるみてぇなんすよ! “コア”を持ってるか持ってねぇか! オレとお前の違いなんてたったそれだけじゃあねぇすか!」
「ぐ………あァ゛………………」
意識の遠のきを感じる。
「そのくせにお前は気に入られ、オレぁほっとかれ上等! アァ! 嫉妬で狂っちまいそうだァ!」
硬く、冷たい地面に叩きつけられたシヅキ。その眼先に鋭く尖った銀色が鈍く輝いていた。 ……濃密な魔素が鼻をついた。それが誰のモノだったかなんて考えるまでも無い。
「あァくそっ……!
頭上に写るエイガの表情は、さっきまでとは打って変わって随分と痛々しいものだった。ナニカに苦しんでいるようにすら見える。それこそ
「…………………エイガ、お前――」
「ガァ! アアアアアアアアアアアアアアア!!!」
瞬間、酷く聞き苦しい悲鳴が上がった。シヅキか? ……否。
両手で頭を抱えたエイガが地面に倒れ込んだのだ。その脚を振り回し、身体を痙攣させ、地面を這いずり回る。
シヅキには訳が分からなかった。
「な、なにが……」
「シヅキ!」
「……え」
――眼の端に白銀が揺れ動いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます