第44話 『人間とホロウの物語』
白濁とした廃れの森を抜け、緩やかな曲線を描く丘を下ったその先に在るは、相も変わらず騒々しい港町だった。
群衆でごった返した屋台通りを見るや否や、シヅキは眉間にシワを寄せた。
「暇かよあいつら……いつ来たって群がってやがるな」
「活気に溢れてるよね。みんな、元気」
「うるせーだけだ」
「静かすぎるよりは私、好きだよ?」
横目でチラッと見たトウカは、その口に微笑みを浮かべていた。
「変なやつだ」
「え?」
「なんでもねえよ。 ……んで、どこ行くとか決めてんのか?」
「あ、うん! ソヨさんからね、色々と聞いたの」
「またあいつの名前かよ」
「シヅキと港町に行くって言ったら、色んなことを教えてくれたの」
「……デートってのもか」
「ん? うん」
シヅキは自身の首の後ろを掴んだ。そして、ハァ、と溜息を吐く。
「一つ訊くけどよ、お前、デートの意味分かってんのかよ」
「単語の意味は、分かるよ? 男女でどこかへ行ったりすることだよ……ね?」
恐る恐るの口調で答えたトウカ。シヅキは眼を細めた。
「恋仲のな」
「恋……」
「アレだ。かつての人間同士に起きた現象だよ。俺たちホロウに適用できる言葉かって言われたら、疑問だろ」
例外はあるかもしれないが、人間は男女間で“恋”と呼ばれる現象を起こしたという。いや、人間に限った話ではない。生命を有す者たちは、互いに恋をすることで新たな生命の糧を得たのだ。
しかし逆に考えると、新たな生命の糧を得られないならば、恋なんて現象は不必要ではなかろうか。 ……まさに、ホロウのことだ。
その存在の全てを“魔素”に委ねるホロウには生命が無い。生殖行為を必要としない。つまり、好き合うことに価値は無いのだ。
小さくトウカが呟いた。
「恋、か」
恋という言葉を何度も
「私は……まだ、分かんないや」
「だろうな。俺もだ」
「ねえ、いつか私たちにも分かるのかな? 恋って、何なのか」
そう言いながら、こちらを見上げるトウカ。シヅキは出来るだけ琥珀色の瞳を見ないようにしながら答えた。
「知らねえよ。 ……あぁ、話が脱線した。結局お前、どこ行きたいんだよ」
「あ、ごめん! えっと……あった! あそこ」
斜め上方向を指したトウカ。つられてシヅキもその指先を追う。そこには大きなドーム状の屋根が見えた。魔素を燃料にした
シヅキはあの建物を知っていた。
「あそこは」
「劇場、だよ。ソヨさんに薦められて、ちょっと調べてね? どうしても行きたくなったの」
「……一回だけ行ったことがあるな。そのソヨに連れられてだが」
「うん。私ね? 今日の劇の内容を、どうしても観たかったの。シヅキと一緒に」
「俺と?」
コクリと頷いたトウカ。彼女はスッと息を吸うと、一息にこう言ってみせた。
「『人とホロウの物語』。誰もが知っている、古い、古い、伝承だよ」
※※※※※
遠い昔のお話です。まだ、
陸地、海、空。世界のありとあらゆる場所を、思うがままにした存在が居ました。人間です。
多種・多様の人間たちには、他の生命が持たない特別な力がありました。人間はその力のことを、“魔法”と呼んでいました。
魔法は、人間の生活を豊かにしました。
炎の魔法は、人間の食生活を変えました。
水の魔法は、枯れた大地を潤しました。
植物の魔法は、無限の資源を与えました。
太陽の魔法は、夜の暗さを打ち消しました。
星の魔法は、近い未来を観せました。
しかし、そんな人間を大きな脅威が襲います。
世界の一点から広まった流行病は、瞬く間に世界全体へと広まります。
流行病は生命を奪いました。人間だけではありません。動物や虫といった、生きとし生ける者たちからです。
急激に数を減らす人間。人間は様々な手を尽くしましたが、流行病は収まることを知りません。
人間は必死に考えました。どうすれば、この脅威を脱することが出来るのでしょうか? 必死に、必死に考えました。そして、一つの考えを思いつきます。
一人の人間が言いました。
「生命が生きられない世界であるならば、生命ではない存在を創ればいい」
魔法に長けた人間たちは、失敗を繰り返した後に、生命が無い存在を創ることに成功しました。人間の姿にそっくりの存在です。
一人の人間が言いました。
「君たちは生命が生きられなくなったこの世界でも、存在を続けることが出来る。我々、人間が居なくなってしまった後、この世界に残るのは君たちだけだ。君たちは、人間にとっての最後の希望なのだ」
残りわずかな人間たちは、生命の無い存在を前に、両手の指を絡めて祈ります。
「いつの日か我々、人間の復活を。あらゆる生命の復活を託す。それが生命無き君たち……ホロウが達するべき使命だ」
間も無くして、残りわずかな人間たちは滅んでしまいました。この世界に残ったのは、ホロウだけです。
ホロウは覚えています。ずっと、ずっと覚えています。人間たちの願いを。自らが、人間にとっての唯一の希望であることを。
――私たちは、ソレを決して忘れてはならないのです。
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