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さくらのはやしの 満開のしたへの応援コメント
"「私は無趣味だから」が口癖だっ〜成功するかどうかも分からない、そんな企てなのである"
比較的長さのある文にも関わらず、日本語固有の母音が分散する韻律が整えられ、かつ助詞の音の重複もない、心地の良いものです
"こちらの年齢が追い付いたために"
ここも好きです
"風はまだ冷たかったが、その細木の花たちは、あかく照った葉の隙間から、まばらだが、確かに、満開の色を滲ませていて"
語彙は好きです。おそらく触感や視線の動きをなぞったものですが、韻律に関しては改訂の余地がありますね。狙いや目指すものの違い、好みの問題なので柔軟さがあるときっと書いていて楽しいでしょう
なるほど。
2週目で景色が変わる作りをされていらっしゃるのですね
"叔父が亡くなるまでの四十数年間、ケンカらしいケンカは皆無だった"
ここが前振りになっていたのですね
"若宮の歌などは、叔母のことを想う叔父の姿がそのまま重なるようで"
そのままの意味だったようですね
"叔父さんは、この花を、私たちに見せたかったのではないでしょうか?"
こういう心の抉り方は結構好きですよ
"あの人を分かろうとしても、あの人は、それを決して許そうとしなかったの"
人類学を学ぶ人間として、これは興味深いです。叔父は自他境界が自分とそれ以外ではっきりしており、共感性、社会帰属の乏しさがうかがえる。中国人と間違われると嫌悪を覚える場合があるように、自分という社会帰属に、異なるものが入り込んでくるのは磁石的な反発を感じるものです
燃やす、という行為を攻撃性として抽象化するのも悪くないですが、ここではさくらになぞらえているのでしょう。桜は散るものです。結実したものが、散る。であるなら、叔父の結実の象徴である小机とノートを燃やすのでしょう。それでこそ、というものです。
語り部の使い方も良いです。三人称にすると入り込めない領域、描写も、人という語り部のおかげで味と色をつけられる。そして入り込ませない使い方も。
"彼のひとの うせにし時を しい問われ さくらのはやしの 満開のした"
韻律から見ると、脚韻はありませんが、"し"、より詳細に言うとsの摩擦音の頭韻があるようですね。これが特徴的な韻律を作っています。aとiの母音を中心とした韻律ですが、揃えるとより統一的な語感を生み出せるかと。"の"の韻律も悪くないですが、真ん中の句の、sの押韻とぶつかり合ってる印象ですね。"裸にダイナマイト"という言葉をご存知でしょうか。インパクトのあるものがぶつかり合うと対消滅する、という意味です。
好みの問題に直面すると思いますが、技術的な美しさは誰が見ても同じなので、そのバランス感覚は養いたいですね。
私の創作スタイルとして、"全てに意味を与える"というものがございます。
このような作品をお書きするのでしたら、拙作がどのように見えるのか、お伺いしたくなります
作者からの返信
丁寧なご感想ありがとうございました。
すべてにお応えするのは――やってみたい気持ちもありますが長くなり過ぎるので――止めておいて、すこし気になった点をひとつ。
問題の、叔母が詠んだ歌について。
これは、”私は無趣味だから”が口癖の、まったくの素人である叔母が、叔父への想い(それがどんなものかは、結局分かりませんが)に突き動かされ、たぶん、人生に一首だけ詠んだ歌なのだと想います。
ですので、この程度の綻び・稚拙さはあった方が、歌そのものとしては、より味わいがある――と、そんな風に私には想われましたが、如何でしょうか?
さくらのはやしの 満開のしたへの応援コメント
とても綺麗でした。