第9話 郷愁


「山なんて来るんじゃなかった」


思わずつぶやいてしまうのも無理はないと主張したい。

薬草? 植生が違いすぎて全く期待できない。

時々触手みたいなうねうねを伸ばしている草がいるし。

傍を通りがかるとガサガサ枝を揺らしてアピールしてくる木もいるし。

動物どころか人間大の巨大なカブトムシみたいな虫が寄ってきたし。

ヒッて悲鳴を上げると申し訳なさそうに帰っていったけど。

懐いてくれるのはうれしいけど、虫の裏側とか気持ち悪すぎてダメだ。

ちなみに森や山につきものの小さな虫たちは寄ってこない。多分わたしの虫嫌いという思念が伝わり遠慮してくれているものと思われる。


「なんで森一つ隔ててこんな魔境が広がってるの?」


結局夜まで山をさまよいながらてっぺんまで登って行った。

今はあの魔緒より大きな狼さんのお腹に寝そべって休ませてもらっている。

お礼に浄化魔法をかけてあげたら灰色だった毛並みが白銀色になった。

ちなみに女の子だ。


「人化して美少女化してわたしとにゃんにゃんしてくれないかなー」

「ウォフ」


妄言をこぼしてみる。ごめんなさい無理ですと謝られた。


「ごめん、気にしないで」


妄想を垂れ流しただけで本気でそんな事を望んでいるわけじゃない。

そもそも四足の動物が人間になったってまともに体を動かすこともできないだろう。


「そういえば、この辺りに温かいお湯が出るところはある?」

「ガウ」


ないらしい。温泉を期待してみたが無理そうだ。


「なら作る」


温泉ではないがお風呂くらいは作れる。

『わたしの世界』でも湖から水を引いて温めてお風呂に入っていたのだ。

ソルとステラのあられもない姿を思い返して少し顔が熱くなる。


「……ん?」


一緒にお風呂に入っていた時には何とも思わなかったのに、今になってなぜ少し興奮しているのか。

あの世界ではスキルだけじゃなく思考にも制限がかかっていたのかもしれない。


(怖いからあまり考えないようにしよう)


今はお風呂を作ることに専念する。

ここは山の山頂近く。変な草木もない、どちらかというと岩場っぽい場所だ。

まずは大地に魔素を流し、動けーと念じてみる。

想像するのは15メートルプール。ただし深さは真ん中では5メートルくらいになるよう調整。

水を入れても溶けてこないように、しっかりと底と側面は固く仕上げる。

次は水魔法を使って湯舟を水で満たす。


(なんか魔素が水に直接変わってるみたい)


E=mc2の法則どこ行った。まあ異世界なので深く考えても意味がないのかもしれないが。

手のひらからドバドバ出る水が湯舟を満たしたのを確認し、水面に触れる。


「温まれー」


念じてやればあら不思議。魔素で満たされている水はあっという間にわたし好みの温度まで熱くなる。


「さあ、入ろ」

「ウォン」


わたしは服を血液に還元し、体の中にしまってすっ裸になる。

実は下着も血液製だ。ネトゲで装備全部外した時に着ているインナーみたいな飾りも素っ気もないものだが。

わたしに続いて狼も湯船につかる。全く怖がる様子もないのは、わたしを信用してくれているからか。

ざぱーん、なんて音とともに大きく湯船からお湯が溢れる。


「ふぅ~」

「フスー」


思わず気の抜けた声が漏れる。狼の鼻からも同様の息が漏れた。

浄化魔法で体についた汚れは取れていたとはいえ、2日ぶりのお風呂だ。気が抜けるのもしょうがない。

天を見上げる。なんだかんだで夜空をしっかりと見るのはこれが初めてだ。


「ああ、月が二つある」


蒼い月と紅い月。地球のよりも大きく見える二つの月。

星空も見慣れた並びのものは何一つない。

ふと、地球にいたころの自分に思いをはせる。

家族仲は悪くなかった、と思う。

跡取りがいなくなって悪いが、ほかの兄弟が家は継いでくれるだろう。

後悔があるとすれば育ててくれた両親に恩返しがしてやれなかったことか。


「……帰りたいなあ」


別にあの日々に不満はなかったのだ。

なのになぜか今はこうしてここにいる。

お湯をかき分け、狼が傍によってくれる。

そうしてようやく、自分が泣いていることに気が付いた。


「ありがとう」


慰めてくれる狼の首元に、苦しくないように気を付けながらギュッと抱き着いた。







「さあ、上がろうか」


湯船から出て水を落とす。魔法を使えば水分だけ体から落とすなんてこともできるのだ。

同じように狼の毛についた水分もザパリと落としてあげる。

ついでに温風をふかしてやると、ほっそりとした姿だった狼の体がふかっとした毛並みに早変わり。

湯冷めしないように血装術で再びインナーとドレス、ブーツを纏う。


「一緒に寝てもらっていい?」

「ウォン」


丸まった狼のお腹に抱かれるようにして横になる。

この日のわたしは、いつになく穏やかな眠りにつくことが出来たのだった。







翌朝。


「では、始める」

「ウォフ」


お別れをする前に、わたしを慰めてくれたこの狼にお礼をしたかった。

それで思いついたのが、白竜にもしたおまじないだ。

目の前に伏せる狼のおでこに血をつける。

下に弧を描いた三日月を描き――――


「あなたに紅月の加護を」


呟くと同時に血が額の毛に浸透する。

そこには初めからそういう模様であったように紅い毛が三日月を象っていた。


「じゃあ、元気でね」


空へと浮かび、眼下の森へ向かって飛び立つ。

そんなわたしを、狼の遠吠えが見送ってくれた。

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