第3話 サンクチュアリ παρθενών

 新緑が芽生え始めたうっそうとした森林地帯にも、細かい雨が音もなく降り続いていた。山麓にある廃墟は白く煙り、何ごともなかったかのように静かにたたずんでいる。

 栄華を極めた帝国の神殿であれ、激しい戦闘が繰り広げられた要塞であれ、科学技術の粋を尽くした超高層ビルであれ、自然に還ったが最後、時と共に朽ち果てて、緑に覆われ砂に埋もれ海底に沈み、人間の営みの痕跡は消え失せてしまう。

 その地で起きたむごたらしい惨劇も、催された華やかな宴も、流れた涙もこぼれた笑みも、そのすべてが時の流れと共に忘れ去られてしまう・・・


 アポカリプス以前、この地域には大型遊園地と世界の古代文明を復刻したテーマパークがあり、毎年、数多くの観光客が訪れていた。しかし、大地震と津波の直撃こそ受けなかったものの、地上風に乗って広がった大量の放射性プルームは、山脈に遮られて雨と共にこの山麓に降り積もった。

 ここは、人類史上初のレベル8の核事故を起こした新型高速炉の周辺を除けば、世界最悪の放射能汚染を被った地域である・・・

 

 緑に覆いつくされた神殿や王宮や庭園の廃墟が広がるこの一角に、新人類の第二世代が密かに住み着いたのは、アポカリプスから七十年以上後のこと、ちょうどシティの建設工事が始まった頃だった。

 古代ギリシャのパルテノン神殿の原寸大のレプリカも、新人類の手で復刻された。現物には残っていない知恵と戦略の女神アテナ像、木製の梁、屋根、浮かし彫りメトープの破風もすべて揃っていた。神殿全体がつたに幾重にも覆われて、偵察衛星からの映像では、他の建築物同様ただの廃墟としか映らない。神殿内部が小ぎれいに手入れされているとは分からない。

 アポカリプス後、事故が起きた高速炉の石棺が完成して放射性物質の放出が止まると、無人機やドローンが調査のために、汚染地帯を頻繁に飛び交った時期もあった。けれども、時が経つにつれて、この山麓までやって来ることもなくなった。


 霧雨の中にぼうっと白い人影が浮かび上がった。続いて一人また一人と、神殿の中から姿を現わす。

 髪を結いあげ白いキトンをまとった女たちは、神殿の正面右手に広がる草地に、直径五十メートルほどの円を描いて等間隔で並んだ。

 位置についた女たちの全身が、相次いでふわっとほの白い光に包まれた。

 全員が揃うと一斉に手をつないだ。瞬間的に女たちを包む光が急激に広がる。人の輪を囲むようにして、高さ五十メートルにも達する光のドームがほのかに輝き出した。

 徐々にその輝きが増すにつれて、それがドームではなく、百人ほどが手をつないでいる高さから、上下に広がった巨大な球体を成しているのが見えてきた。

 半透明だった白い光は次第に輝きを増して、ついには真っ白に眩しいほどの明るい輝きを放ち始める。女たちは手をつないだまま一斉に目を閉じた。

 突然、巨大な光の球がスーッと浮かび上がったように見えた。けれども、よく見ると球体は浮かび上がったのではなく、中心に向かって光が収束するかのように縮み出したのだった。

 同時にジジっという音が断続的に響き出す。雨粒が当たると微かに火花が散り、バリバリっと空中へ細く放電が続き、神殿の回りにはオゾン臭が立ちこめる。


 神殿の正面に立つ黒髪の女性だけは、遮光ゴーグルを着けていた。つないだままの両手を前に伸ばし、直径二メートルほどに縮んだ球体に手のひらを向けた。地上一メートルほどの高さに浮かんでいた球体は、その手の動きに操られるようにゆるやかに舞い上がった。女たちの頭上を通り過ぎ、神殿の入口を囲む吹き抜けの間から中へ入り、そのまま奥へと進んで行く。

 吹き抜けの回廊を囲むエンタシス状の石柱の間から、霧雨を白く染めて放射状の光が八方に漏れ出た。球体が移動するにつれて、サーチライトのように広がった光の間を、石柱の影が揺らめきながら動いてゆく。地上三メートルほどを浮遊する球体は、奥行きが七十メートルある神殿を滑るように移動して、中央に設けられた円形の台座へと向かった。


 実物のパルテノン神殿には存在しない台座の中心には、避雷針が突き出していた。球体が避雷針の真上に達すると、ゴーグル姿の女性は、両隣の女性とつないだまま斜め前方へ挙げていた両手を不意に放した。

 その瞬間、まばゆい閃光が稲妻となって球体から避雷針に向かって走った。バリバリという音を伴って放電が立て続けに起きる。

 避雷針に向かって稲妻が走るたびに球体は小さく姿を変え、やがて最後の放電とともに跡形もなく姿を消した。

 球体が消えたのを見届けると、黒髪の女性はゴーグルをはずした。他の女たちも閉じていた目を開け、つないでいた手を放した。身体を包んでいたオーブも消し去り、三々五々と連れ立って神殿の中へと戻って行く。賑やかな話し声にまじって、時折り華やかな笑い声が聞こえた。


 神殿に戻る女たちは、キトンとサンダル身につけている以外、人種も様々で髪や目や肌も色とりどりだった。その中に、ひときわ明るい金色の髪の少女がいた。仲間からやや遅れて歩き出し、途中で立ち止まった。かがみこんでサンダルの紐を締め直しながら、上目づかいに誰もこちらを見ていないか確認した。

 少女の青い目には、いたずらっ子のような輝きが躍っている。立ち上がるとそろそろと後ずさりを始めた。庭園の端まで来ると、豹のように機敏に身をひるがえし、原生林の中へ飛びこんで姿を消した。


 ゴーグルを頭に掛けた黒髪の女性は、この地に隠れ住む第二世代のリーダーで名を飛鳥アスカと言う。飛鳥は神殿に入る直前、不意に後ろを振り向いて少女が森に消えて行くのを見送った。一緒に歩いていたアラブ系のマリヤムが、飛鳥に話しかけた。

「雨で視界が効かないから、森にリープしなかったのね。どこへテレポートするのかしら?」

「さあ、どこかしら?前に、西の都にあるクラブの電子タトゥーが、あの子の手の甲に残っていたわ」

「西の都?ここから七百キロよ!便利な能力ね~」


 飛鳥とマリヤムはしようがないわね、と顔を見合わせた。テレポートされては追いかけようがない。どの道、新人類の長老ナラニから、しばらくカタリーナを好きなようにさせておくよう指示されている。

 二人は向き直って神殿に入り、奥の女神像へ向かって皆の後を追って歩いた。女神像の背後に回り、地下へ続く螺旋階段を降り始めた。二人の頭上で石の床が音もなく動いて、隠し階段の入口を閉ざした。


 風も動かず降りしきる雨に濡れそぼった神殿は、立ちこめる霧にすっぽり蔽われ、辺りは再び白い静寂に包まれた。


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