第008話 ほくそ笑む者(第三者視点)

 時間は少し遡る。


「くっくっくっ。いやぁ、今日はツイてたなぁ。あんなカモが家にやってきてくれるなんてよ」


 ボロボロで、およそきちんとした商品を扱っていないのが一般人に丸わかりの外見である『クーリ不動産』の店内にて、高笑いをしているのは髭面の男。


 『クーリ不動産』の店主であるヴォッター・クーリである。


 彼は今日客として訪れた、格好こそみすぼらしかったが、身長が高く鍛え上げられた肉体をもつそれなりに整った顔の男のことを思い出し、笑いが止まらなくなっていたのだ。


 なぜならどこの国にも属さず、誰の土地でもない土地を、さも自分が権利を持っているかのように振る舞い、その客がまさかその誰の物でもない土地を買ってくれたのだからそれは笑いが止まらないだろう。


 権利書も、親から引き継いだこの店の倉庫に眠っていて、内容が自分の知らない言語で書かれている解読不能な書類を適当に渡しただけだった。


 権利書であるかさえ怪しい。


 勿論その客が誰なのかと言えば、仲間に解雇され、この辺境にやってきた元探索者であり、盾役タンクをしていたアイギスのことである。


「まさか無の大地、深淵の森、獣の山、生贄の海のことを知らない奴がいるとは驚きだぜ。この辺りの事を全く知らなさそうだったから適当に話を吹っかけてみたら本当に乗ってきやがった。どれだけ無知なんだよ、あの男。くっくっく、まぁそのおかげで俺は苦労もせずに金貨十八枚をせしめることが出来たんだからありがたい話だけどな」


 ヴォッターは手に握った金貨を軽く上に放り投げては受けとめるという仕草で金貨を弄びながら、右手では酒を持って呷り、飲み干した後で思わず出てしまう笑みを堪えきれない様子で呟く。


 無の大地と呼ばれる土地には、その名の通り何もない。そこには雑草さえも生えず、地盤が固すぎて誰も耕すこともできない。文字通りどんな生物も生存できない場所である。


 一体なぜこのような場所あるのか、最初からこうなのか、いつからこうなったのかを知る人間はいない。それほどに前から今の姿をしていた。


 そこではどんな生命の営みも許されない不毛の大地。それが無の大地であった。


 深淵の森には、非常に珍しい薬草や果物などが生えていて、人々を惹きつけてやまない。


 しかし、古き精霊や状態異常を得意とするモンスターが多数住みついていて、森の中には常に迷いの霧が漂い、入ってきた獲物をいつ食べてやろうかと虎視眈々と狙っている。


 中に入ればほとんどの者は生きて帰ることができない。


 それこそが深淵の森たる所以である。


 その上、森林内のモンスターがしばしば無の大地を通り抜けて人の居る区域に現れては多大な被害をもたらし、一攫千金を目指す無知な若者か、もう後がない人間しか行かないような場所だった。


 獣の山は、伝説と呼ばれる魔獣が縄張りにしていて、誰かが山に入ろうものなら縄張りに入ったものとして、その対象はすぐに殺されてしまう。その山にも森と同様に、鍛冶師や探索者なら喉から手が出るほどに欲してやまないような素材がゴロゴロと転がっていたり、多種多様な動物が生息しているが、そのせいで誰も足を踏み入れたりしない。


 この山の住むモンスターも人里に下りて多大な被害を齎し、恐れられている。


 生贄の海は、少し外界に出れば巨大な海の魔獣の巣窟。船などすぐに襲われて破壊されてしまい、漁業なんてすることができない。


 しかし、そこには海の魔獣が好むのも分かるほどに美味い魚介類が多く、手に入れることが出来れば目の玉が飛び出るほどの金額となること請け合いで、深淵の森と同様に夢のある場所でもある。


 そのせいで幾人もの人間が挑み、敗れていき、その海岸には多数の船の残骸が流れ着いて、船の墓場とも称されていた。


 アイギスはそういう場所に放り込まれたことになる。まず間違いなく生きて帰ってくることはないだろう。それにもかかわらず、ヴォッターは率先してアイギスをかの地に送り込もうとした。


 未必の故意。現代の日本で考えるとそう言われる可能性がある行為を犯しているヴォッターであるが、この世界にはそう言った考え方は全くないため、何か罪に問われるようなことはない。


 騙される方が悪い。そういった考え方だ。


「二週間後のあの男の顔が目に浮かぶようだなぁ」


 ヴォッターはアイギスが無の大地に辿り着いた時の表情を思い浮かべて、クツクツと笑い声を上げる。


 無の大地はまっさらな大地が延々と続くだけの場所だ。そこで牧場や農業をやろうと思っても無理だということが一目で分かる。


 その上、地盤が固すぎて耕すことさえできない。見るだけで一度絶望し、耕そうとしてさらに絶望する。


 二度の絶望を経験するであろうアイギスの様子を思い浮かべるだけでヴォッターは腹を抱えて笑い出した。


 まさに他人の不幸は蜜の味を体現しているようなクズである。


「いや、そもそも辿り着くこともできないか……」


 右の手に持った酒を再び呷ってからヴォッターは呟いた。


 そもそも無の大地までの道のりには強力なモンスター達が何匹も生息している。そのため、辿り着く前に死ぬもの者も少なくない。


 店主はアイギスも辿り着く前に死んだだろうと予想する。


 勿論アイギスが一般的な人間であれば、その呟きは現実のものとなったであろう。


 しかし、ヴォッターは知らなかった。


 アイギスとは一体どういう男なのかを。彼の圧倒的に規格外の防御力を。


 ヴォッターがそのことを知るのはまだ先の事である。

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