第48話

「守る約束……か」


 飛竜の遺したというその言葉は、透の心に苦い痛みをもたらした。

何故ならかつて自分も、それと同じ言葉を口にし、そしてまた、同じようにその約束を果たせなかったからだ。

「飛竜様はお優しい方だった。自分の意志に反するものも、賛同する者と同じに愛された。人の持つ憎しみや、妬み、恨み…そう言った感情をまるで、どこかに置き忘れてきたかのように」

「だから……悪辣非道な羅刹でさえも、あの方にとっては愛すべき存在だった。そう、飛竜様は、神のように無限に命を愛せる、おそらくは世界で唯一の……」

 急に言葉を詰まらせた難陀は、慌てて透に背を向けると、隠れて鼻をひとつ啜り上げた。

 外見はいかにもがさつで大雑把、豪傑豪胆そのものな容姿に、不真面目なニヤニヤ笑いを常に浮かべている難陀だが、根は案外、純朴で一途なのかも知れない。

「話が逸れちまったな…すまねえ。本題に入るぜ…って、どこまで話したっけ?」

「これまでの話を要約すると、飛竜は魂のない完全体で転生し、それを利用した羅刹王と夜叉の企みによって、お前達は青龍の竜珠を奪われた…と」

「お、おう。すまねえな。俺はどうも物事を上手くまとめられねえタチでよ」

 大きな手で頭を掻きながら、人懐こい顔で笑ってみせる難陀。

「ついでに俺の考えを言わせてもらうと、羅刹王は青龍の竜珠を破壊しようとしたが、さすがの奴でも飛竜の結界には歯が立たなかったのだろう。だから奴は方法を変えた。

 おそらく青龍の竜球に呪いをかけたんだろう。長い年月をかけて、じわじわと。青龍の神霊力を削ぐために。そしてその結果が、我々の間に生じたこの年齢差と、それによる結界と青龍門の崩壊だ。違うか?」

「さっすが。娑加羅の言った通りだぜ…」

 透の推論を聞いた難陀は、心底感心した顔で口笛を吹いた。

 その先を口にしようとした透の顔に、ほんのわずかな陰りが落ちる。

そして、先ほどとはうって変わった躊躇い勝ちの口調で、


「飛竜の身体に魂が入ってなかったのはおそらく…」


「それも当たりだ。魂だけが人界に転生してたからさ。人界の…そう、あんたの弟の中にな」

 言い難そうに口籠った透の代わりに、難陀がハッキリとした口調で真実を明かした。

「……………」

 その時、透は完全に無表情であった。だが、その仮面の下では様々な感情が交差し、万華鏡のような目まぐるしい変化を繰り返している。


 龍二が、弟が、生きている。

 飛竜王として、この世界に。


 失ったと諦めていた存在が、何より大切にしていた弟の魂が、今この瞬間も生きて存在している。

 そんな喜びの感情が渦巻く一方で、そんな飛竜と戦わなければならないかも知れぬ不安と苦悩が、玄武透の胸中を千々に掻き乱していた。

「期待はするなよ、玄武。今の飛竜様には、お前さんの弟であった頃の記憶なんざ、ただの情報にすぎん」

 透の心境に鋭く勘付いた難陀は、珍しく深刻な目をして彼に忠告した。

「記憶がない…ということか?」

「イイや。記憶はあるさ。それこそ生まれた瞬間からな。だが…どんな記憶も思い出も、そこに感情が伴わなければ、ただの記録と同じことさね…解んだろ?」

「……そうか。すまん。忠告に感謝する」

「別にアンタのためじゃねえ。飛竜様を助けてぇからだ」

 突き放した物言いの割に、難陀の顔には笑みが浮かんでいる。

それを目にした透は、彼流の思いやりをすべて理解した。

「魔に支配されている…と言ったな?」

「ああ…しかし、ちょいと訂正するぜ」

「…………?」

「飛竜様が魔に支配されている、と俺は言ったが、実は少し違うのさ。正確に言えば…えっと、そうそう、『精神汚染』だ。今の飛竜様は、羅刹の強烈な破壊意識に、純粋な精神を汚染されちまってるのさ」


 空間がわずかに揺れていた。


 最初、気のせいかと思っていた難陀だが、徐々に大きくなる地鳴りにハッキリした確信を持った。この閉じられた空間へ、何か異変が起こっていることを。


「精神を…汚染」

「つまり、洗脳なんかと違って自分の意識はあるし、もちろん判断力もある。けど」

「その根本が汚染を受け、やることなすことすべて負の影響を受けているのだな?ならば、いずれ存在すべてが、暗黒面に呑み込まれてしまう…」

「そういうこった。いやあ、理解力が優れた奴ぁ、説明が短くて済むから助かるぜ。もう、あまり話してる暇はなさそうだしな。しかし…アンタにとっても残念な話だが、一度汚染された魂は二度と元には戻らん。それが穢れなき魂なら、なおさらな」

 二人が存在する空間に起こった揺れは、もはや地震と言って差し支えないほど大きくなっていた。おそらくはこの結界に、目には見えぬヒビが入ったのだ。この様子では、すぐにも限界に達するだろう。

「あと数秒で、この結界は破壊される」

「ほほう…やっぱりお前さんの仕業か。俺らはもちろん、作った奴にすら絶対破れねえものを。…さすがだな、玄武」

 戦闘が終わったあと、再び瓦礫と化した床に突き立ててあった黒曜を引き抜くと、透は片手でそれを斜めに翳した。黒い刃が光を反射し、透の顔に一本の白い線を落とした。彼は地に突き立てた神剣を媒介にして、結界を破壊する力を大地に送り込んでいたのだ。

「最後にもう一つ聞きたい…」

「どうぞ」

「俺は…何をすればいい?どうすれば…あの子を助けてやれる?」

 予期していた問い掛けだったのか、難陀の表情にも態度にも動揺の色はない。ただ、豪胆な彼にはとても不似合いな、深い哀しみの色があるだけだった。

「汚染された魂を救う方法は、何もない。あるとしたら、ひとつだけだろうさ」

 悲痛な彼の表情が、すべてを語っていた。

「そしてそれが出来るのは…お前さんだけだろう」

「……………ッッ」

 次の瞬間、何かが割れる音と共に、娑加羅の張った結界が消えうせた。

 硝子の割れる瞬間のようなその音は、難陀の耳にも鋭く響いてきた。


 だが彼にはそれが、どこかからか発せられた、誰かの悲鳴のように感じられたのである。

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