第37話

 王城を望む都には不吉な暗雲がたちこめ、人々の胸を不安と恐怖が支配していた。


 魔術王子メーガナーダの敗北。そして討伐隊の事実上の壊滅。白虎門の封印は修復され、羅刹に反逆した戦士たちは、四聖獣と共にこの都を目指している。

 この事実はあっという間に、羅刹に屈する人々の耳に蔓延した。城下に住む人々は予見する。ついに羅刹の支配する天下が、終わりを告げる日が来たのだと。そうして彼等は狂喜のあげく、来たるべき未来を確実にするため、自らも行動を開始したのである。


 メーガナーダの敗北を伝える報が届いた翌日から、城を抜け出し地下へ潜伏する者、密かに反乱軍へ加わる者、戦いを恐れ夜陰に乗じて城下を脱出する者。そんな人々が後を絶たなくなったのである。


 王都に残った羅刹軍は民衆を鎮静化させるため、兵力のほとんどを割いて城下へ出動させたが、次々と勃発する暴動や脱走者のあまりの多さに、正直手を付けかねている状態だ。その上さらに、軍内部から暴動に加わる者まで続出し、軍の規律は千々に乱れた。


 ここに来て羅刹軍の弱体化は、火を見るより明らかとなったのである。


「ふあ~~」

 ざわめきの治まり止まぬ城下町とは裏腹に、王城内は水を打ったように静まり返っていた。

 それもそのはず。現在、城内を守っているのは、羅刹近衛兵が10名余りと、王城の守護者たる真竜の戦士がわずか数名。全部合わせても20名に足りないという少なさであるのだ。

「静かなものですね。考えごとをするには、いい機会です」

 テラスから眼下に広がる森を嬉しそうに眺めていた娑加羅サーガラが、欠伸しながらのんきな声で呟いた。彼は飛竜を護る8人の『竜王』──八大竜王と呼ばれる神殿騎士の1人である。

 真竜族最高の神霊力と、技と心を持つ8人の戦士。飛竜に次ぐとまで言われる彼らの力には、その昔の青竜や紫龍ですら敵わなかった。

 しかし最強を誇った彼らも、長い戦乱の末に3人の仲間を失い、現在では娑加羅を含む5人の竜王だけが、常に飛竜の側にあってその玉体を護っている。

摩那斯マナスヴィン…飛竜様はどうしておられる?」

 黄金の髪を後ろの1束だけ残して、すべて短く切り揃えた美女が、娑加羅の声に振り返った。生き残った八大竜王の1人『摩那斯』である。

「飛竜様は先程、上へ行くとおっしゃられて…」

「あんなことになっても相変わらず空に近い所がお好きなのだな…」

「おおーっ、ここにいたのか!!いや、退屈でなぁ!」

 2人が顔を見合わせて空を見上げていると、豪快な笑い声と共に山伏然とした色の黒い大男がテラスに現れた。男の名は難陀ナンダといって、やはり同じく竜王の1人である。

「……難陀、お前の守備はここではないだろう?何しに来た?}

「はっはっはっ。堅いこと言いなさんな、娑加羅。どのみち城の中で戦うのは変わらんのだろ?…だったら、どこで待ち伏せしたって同じさね」

 幅広肉厚の巨大な剣を軽々と肩に乗せながら、難陀はいかつい顔に人好きする笑顔を浮かべた。

「しようがない奴だ…まったく」

 学者のような顔を歪めて、娑加羅はため息を付いた。長い付き合いで慣れたとはいえ、相変わらず大雑把でいい加減なことの好きな男である。

和脩吉ヴァースキ優鉢羅ウハツラはちゃんと守備位置についてるのだろうな?」

「あ、俺っち途中で和脩吉見たぜ。……昼寝してたっけが」

「……心配になってきたよ…私は」

 生真面目な娑加羅は仲間達のあまりな奔放さに、軽い頭痛がしてきたようだった。

「ま、そう心配なさんな。普段は不真面目でも、いざ戦闘になりゃ、俺っちだって真面目にやらあな。…ただ、どうも待機ってのは苦手でなぁ…」

「ああ、そう……」

 呑気さと不真面目さにおいては、仲間内で敵う者のない難陀から、面倒臭げにそう慰められても、イマイチ安心できない不幸な娑加羅であった。


 一方、王城の最上部。


 人界における西洋の城然とした尖塔の中に、一際高くそびえ立つ白い塔があり、真竜族の王飛竜はその屋根の上に立っていた。

 神霊界を流れゆく風が、山の冷気を運んで通り過ぎるこの場所は、王城が真竜の所有物であった頃から、彼の1番のお気に入りであった。

 王城を中心に広がる鬱蒼とした緑の森。青紫の空は手に掴めそうなほど近くにある。

緩やかな風と共に一望する、壮大で美しいこの光景が、彼はとても好きだった。

「………来たな」

 いつもの様に愛しげな瞳で、世界を見詰めていた飛竜の視線が、ふと、北東にそびえる山の一角に止まった。王城から徒歩で2日はかかろうかというその山の最深部には、真竜一族の聖地『竜の谷』がある。

 一族の者でも滅多に足を踏み入れることを禁じられたその谷に今、聖獣のものらしい4つの聖気が漂っていた。

「紫龍は死んだか…やはりな」

 飛竜は微笑んだ。まるで天使のように美しい笑顔。

だが、その口元や瞳の奥には、以前の彼とは明らかに異なる気配が潜んでいた。

「……相変わらず甘い奴らだ」

 彼はそう言うと声を上げて笑い始めた。最初は低く、それから徐々に甲高く。

ソコから滲みだした気配は、もはや完全に透らの知る『飛竜』でも、透の弟『龍二』でもなかった。


 聴く者の心をまで黒く染める──その名を『邪悪』という。

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