4話 「兄弟子、ゼブラエス」
「甘い…口の中が、甘い。姉ちゃんの味が取れない…」
口の中には、姉の甘い味が残っている。
いくら唾液を分泌しても、飲み物を飲んでも取れない。姉そのものが、すでに身体に染み付いているかのように。
「はぁ…空が綺麗だ」
アンシュラオンは口実を並べ立て、なんとか三十分だけ時間をもらう。
標高二万メートルから見る景色は綺麗だ。まあ、たまに撃滅級魔獣が飛んでいる以外は、空しか見えないのだが。
「オレ、耐えられるかなぁ…」
美人である。綺麗である。スタイルもいい。弟には甘いので何ら問題はない。他人が見れば羨ましがるかもしれない。
だが、【重い】。
愛が重い。重すぎる。
いろいろなものが重く、ねっとりと絡み付いてくる。最初はよかったが、年を重ねるごとに、徐々にその異常性が強まっていった気がする。
「はぁ…」
「アンシュラオン、どうした?」
そんなアンシュラオンに、通りがかった男性が声をかける。
わざわざ顔を上げて誰かを確認する必要もない。ここにいる若い男性は、自分以外には一人しかいない。
「ゼブ
「なんだか死にそうだな。まだ昼だぞ」
「オレは望んでいない! 鳥になりたかった!!」
「会話をしようぜ!? 何の話だ!?」
投げられたボールを、思いきり崖から投げ捨てるアンシュラオン。他愛もない会話をする元気など、今の彼には残っていないのだ。
「人生、いろいろあるさ。そういうときもある」
青年の名は、ゼブラエス。
金茶の髪に、精悍な顔つき。ボディビルダーのごとく胸板は厚く盛り上がり、その逞しさを思う存分アピールしているが、その筋肉は常に実戦で鍛えたもので紛い物などではけっしてない。
アンシュラオンとは六歳の差があり、面倒見もよいので、頼りになる兄貴分としてよく相談に乗ってくれる。
パミエルキのことも姉弟子としてよく知っているので、この苦労を唯一分かち合える仲間と認識していた。
「ゼブ兄、死にたい」
「早まるな。どうせパミエルキ絡みだろう」
「そうなんだ…。今日から、あの日なんだよ…」
「あの日って何だ?」
「あれだよ、あれ。あーくんの日だよ!! 自分で自分のことを『あーくん』って言わないといけない気持ちがわかる!? オレはもう大人なのに!!」
「そうだな…。アンシュラオンがここに来て、もうだいぶ経つからな」
「ここに十三年いるんだ。十三年間、姉ちゃんとべったりさ。家にいたときからそうだったけど、だんだんと激しくなっていくよ」
「あいつからすれば、まだ可愛い弟なんだろう。お前だってここに来た当初は、あいつの愛情を普通に受け入れていたじゃないか」
「今は愛が重いんだよ!! 重すぎるんだ!」
「愛されて文句を言うとは贅沢者だな。ははは」
「笑い事じゃないから!? 本気だからね!! ゼブ兄、よかったら代わってあげるよ。貴重な女性だよ! 人類で唯一生き残った、たった一人しかいない女性だよ!!」
「さすがに遠慮……ん? その話…あいつがしたのか?」
「その話って?」
「その、人類で唯一とか…いう話だ」
「そうだよ。世の中に女は姉ちゃんしかいないんだって。だからオレと結婚して、子供を作るんだって」
「…そう……か。そうだな、うん。それならしょうがないな。そういうことならな。それじゃ、オレは行くところがあるから…」
「待って」
よそよそしく出て行こうとするゼブラエスを止める。
「ねえ、それって本当なの?」
「それ…とは?」
「誤魔化さないでよ! 姉ちゃんがした話のことだよ! この世は、本当に山と森だけなの!? 女は姉ちゃんだけなの!? そんなのおかしいよね! ありえないよね!? だって、そもそもおかしいよ。師匠が最強の覇王って段階で、この四人の中だけで最強って話になっちゃうじゃん! 全人類が四人だけなんて、ありえないでしょう!!」
「…気が付いたか」
「気が付くよ!!! 誰だって気が付くよ!」
「だが、昔のお前は全然気が付かなかったぞ」
「それは…子供だったし、姉ちゃんがいればいいかな、って思っていたから…。あんな綺麗で可愛い姉ちゃんができて、本当に嬉しかったんだ。キスもしてくれるし、身体も触らせてくれるし、オレが喜ぶことは何でもしてくれた。それに夢中で気が付かなかった。あまりに気持ちよくて…姉ちゃん以外はいらないって思ってたから」
「うん、お前も相当病んでるな」
弟もかなりのものである。
あの姉にして、この弟ありだ。
「オレからはなんとも言えん。師匠に訊いてみろ」
「いつもそうやって誤魔化すじゃん! 真実が知りたいんだ!」
「知ってどうする? あいつを説得できるのか?」
「そもそもどうにかできるの、あの人? この前なんて撃滅級魔獣を絶滅させかねない勢いで殺していたよ」
「年々強くなるな、あいつは。オレや師匠でも、太刀打ちできないレベルにある」
「ゼブ兄、助けて」
「すまん。オレは忙しい」
「忙しいってなにさ。ゼブ兄も、一週間休みでしょう? 見捨てないで!」
「本当に忙しいのだ。オレにもやるべきことがある」
「じゃあ、師匠はどこに行ったのさ!?」
「野暮用で出ているらしいな」
「くそおおおお! 逃げたなぁあ!」
ちなみに師匠の陽禅公は、この一週間の間、どこかに出かけて不在である。
ゆえに彼女を止められるとすれば、この男しかいないのだ。
「待って、見捨てないで」
「そんなに必死にしがみつくなって。本当にやるべきことがあるんだよ」
「やるべきことって何さ?」
「天空竜の話は知っているか?」
「えーっと、世界中の空を飛び回っている六匹の竜、だっけ?」
アンシュラオンは、師匠に聞いた話を思い出す。
ここでは一応、座学のようなことも行っており、戦闘や魔獣に関しての講義が行われることがある。
天空竜は世界中の空を飛び回っており、人間を監視しているという謎の存在だ。一説では古の時代の兵器という話や、女神の使者などという話もあるが、どれもはっきりしない。
ただ、彼らに目をつけられたら、それはもう恐ろしいことになるという。一晩で国がなくなった、という逸話もあるくらいだ。
「で、それが何?」
「どうやら今晩、このあたりを巡回するようなのだ」
「えっ? そうなの!?」
「うむ、師匠の話では二十年に一度、この火怨山の頂上に止まるそうだ。そして、今日あたりに来そうなのだ」
「だ、大丈夫なの!? そんなヤバイのが来て?」
「何もしなければ大丈夫だそうだ。彼らは温和で、けっして好戦的ではない」
「なんだ…よかった」
一瞬、姉を排除してくれないかとも思ったが、姉なら倒してしまいそうで怖い。
それに、そこまで嫌っているわけではない。死んでほしいなどとは夢にも思わない。
ただちょっとだけ、もうちょっとだけ普通であってほしいだけだ。今のままでは、ただの変態であるから。
「だから今夜、ちょっくら行ってくる!」
「竜見学か…。姉ちゃんと離れられるならオレも行きたいよ…」
「駄目だ、駄目だ。あれは、オレ一人で倒す!」
「…え? 倒すの? 見るんじゃなくて?」
「見てどうする」
「記念になるかなって」
「倒したほうが記念になるぞ」
「あれ? その竜って、空から人間を監視しているって言ったよね。普段近寄らないのはおかしくない? だって、残った人間がオレたちだけなら、常にいてもいいはず…」
「じゃあ、またな」
「待って!!! いるんだろう!! この世には他の人間もいるんだろう! ゼブ兄、たまに下山するじゃん! 真実を教えてよ!!」
「…オレが竜を倒せたら教えてやる」
「死亡フラグみたいなこと言わないでよ! ちゃんと帰ってきてよ!? 死んでもいいから真実だけは書き留めておいて!」
「パミエルキみたいなこと言うなよ。まったくお前ら、ほんとそっくりだな」
「それはオレに対する最大の侮辱だよ。ちゃんと戻ってきてね。ゼブ兄がいなくなると姉ちゃんが増長するから」
「わかった、わかった。ちゃんと戻るさ。今日は本気でいくからな。楽しみでしょうがない」
その顔は、キラキラと少年のように輝いていた。本気で挑むつもりのようだ。
(なんか…駄目かもしれない。まずオレが今晩、生きて戻れるかわからないし…)
「それじゃ、またな!!」
「…うん、お互いに生きていたら、またね」
そう言って別れたゼブラエスは、この日の夜には戻ってこなかった。
一週間後、五千キロくらい吹き飛ばされたゼブラエスが、ボロボロなのに素晴らしい笑顔で戻ってきた。
もう手の付けようがないほど、脳筋が進行しているらしい。この人も駄目だ。ここには、ろくなやつがいない。
そして、この段階で決定した。
―――姉と二人きりの一週間、ということが
その夜、怯えるアンシュラオンにパミエルキが、じりじりと迫る。
逃げられない獲物をいたぶるように。
「さあ、あーくん。今日から一週間、楽しみましょうね~~。お姉ちゃん、ずっと楽しみだったのよ。待ちきれなくて待ちきれなくて、思わず魔獣を殺しまくっちゃった♪」
「どんな心境なの!? 理解できないよ! お、オレは! オレはもう十分楽しんだよ! もういいじゃんか!」
「初めての時は、あんなに嬉しそうだったのにぃ? 夢中だったのにぃ? 一週間、離してくれなかったのにぃ?」
「そ、それは、そうだったけど…。あの時は初めてで嬉しくて、お姉ちゃんがあまりに気持ちよかったから…」
「んふふ、可愛い。あーくん、お姉ちゃんのこと、大好きだもんね」
「あうっ!!」
がばっとアンシュラオンに襲いかかる姉。
「あひっ! あっ、駄目! 姉ちゃん、あっ!!」
「あーくんの、可愛い。もうお姉ちゃん、我慢できないからぁー、ここにぃ…入れちゃうね」
「あああ! 駄目駄目駄目! 入る…ああ! ちょっ! なんでこんなに柔らかいんだよ!!!!」
「いやぁあああああ! らめぇえええええええええええええええ!」
「あはぁあ! お姉ちゃんも最高よおおおお!」
「あふんーーーーー!」
それから一週間、ねっとりじっくり時は流れたとさ。
めでたし、めでたし。
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