一章 二人のアコガレ(1)

 夏木瀬律花に出会ったのは今年――二年生になり、生徒会に入った時だった。

 最初の印象は『俺と住む世界が違う人』だった。

 人と話すことに消極的な俺と違って、律花は積極的に話しかけてくる。

 俺はそれが嫌いではなかった。むしろ嬉しくさえあった。

 よく誤解されるのだが、俺は決して人と話すのが嫌いではない。ただ消極的なのは単純に話す内容が思いつかないからだ。人付き合いが苦手――と言えばそれまでだが、人と楽しくコミュニケーションが取れるなら、俺は取りたい。

 だから律花の積極的な姿勢は俺には嬉しいと同時に――憧れだった。

 あの人の役に立ちたい――と願ってもう三か月になる。今ではそんな願望を持ちつつも、ただ律花に憧れるだけの一人の生徒になっている。

 ただそれも――。


「おはよっ、有馬くん」


 俺がゲタ箱のロッカーから上履きを取り出そうとした時だった。

 凛とした声が響くと同時に、ポン、と肩を誰かに叩かれた。

 振り向かなくてもわかる。俺が生徒会に入って三か月の間、聞き慣れた声だ。

「おはようございます。律花会長」

 振り返ってから俺は挨拶を返した。

「疲れてる? 昨日夜更かしでもしちゃった?」

「俺、朝弱いんで、いつもこんな感じですよ。会長は大丈夫なんですか?」

「あたしも割と弱いかも。朝起きたら髪の毛ぼっさぼさだし」

「想像できませんね」

 だがちょっと気になる。写真でも撮ってきてくれないだろうか。いや無理か。

「気になってない?」

「え、いや……そんな――」

「写真撮って見せてあげようか?」

「え!?」

「冗談だよ~。そんなの恥ずかしいに決まってるじゃん」

 あはは、と笑う律花。

「まあ寝起きなんて誰にも見せたくないでしょうね」

「まあね――あっ……」

 律花がロッカーを開けて、「あはは……またか」と乾いた笑みを浮かべていた。なんだろう。

 横からちらりと覗くと、律花のロッカーの中に一枚の花柄の便せんが入っていた。まさか今時そんな……。

 つい目を奪われて立ち止まっていると、律花と目が合ってしまった。気まずくなってつい視線を逸らす。

「へへ……たまに来るんだよね」

「初見じゃないんですね」

 ラブレター、というやつか。都市伝説かと思っていた。

 まさか付き合うつもりなのだろうか。

「でも生徒会も忙しいし、お仕事もあるし……また断らないと……」

「お仕事って、モデル業でしたよね」

「うん。っていってもそっちは月に数回程度だけど」

 実際彼女は有名雑誌に載るほど名の知られたモデルだ。何度か表紙を飾ったこともあり、書店に寄った時にその雑誌を見かけたこともある。

「前にテレビにも出てたんでしたよね。まあ忙しいなら付き合うのも無理ですね」

「レギュラーじゃないけどね。二、三回だけだよ」

 一回出るだけでもすごいことだが。彼女の認知度は学校の枠を超えて、世間にも浸透している。

 そんな彼女にラブレターを出すなんて、高望みした生徒もいたもんだ。

「断るんですね。会長なら両立できそうですけど」

 俺としては最初から会長の凄さを知っているから付き合おうとは思わない。彼女と対等に付き合えるとは思えないからだ。

「今はちょっとね……。相手のことも知らないし」

「好きな人でもいるんですか? 芸能関係者とか」

 何気なく聞いてみた。

「い、いないって。そもそもクラスでも仲のいい男子とかいないし!」

 意外と動揺しているみたいだった。実はいるのではないか? 

 だとしたら少し複雑だ。彼女に釣り合う人というのはどういう人なのか。

「本当ですか? 怪しいですね」

「そういう有馬くんはどうなの? みうちゃんとか好きなんじゃない?」

「いないですって」

(憧れの人ならいますけど)

 と律花の目を見つめる。

 律花に対する感情は憧れであって、好きという気持ちではない。

 ――とはわかっているのだが……。

「ん? どうしたの?」

「なんでもないです」

 つい、視線を逸らし、足早に階段へと向かってしまう。

「あっ、待って待って!」

 二階への階段を上る。すぐ後ろから、慌てて靴を履き替えた律花もついてくる。

 二階に着くと、廊下の掲示板前に人が集まっていた。どうやら貼り出された掲示物を見て騒いでいるようだ。

 一瞬なんだろうと思ったが、すぐに理解した。

「先週のテスト結果出たんだ。どう? 上位五十名に入れてる自信ある?」

 ここに貼り出されているのは総合点数の上位五十名だけだ。俺も入学当初はドキドキしながら表を見ていたが、一年も経てばその行為は無駄だったと知らされるものだ。

「入っていたらそれは夢なんで逆に絶望しますね」

「正夢になったりとか?」

「去年正夢にならなかったんで、不成立です」

 一応、掲示板を覗いてみる。人が多すぎて、頭と頭の隙間からしか覗けない。上から三年、二年、一年、と三段になっていて、右から一位、二位、三位、と名前が書かれている。文字サイズは大きいから後ろから覗いてもわかる。

「…………まあ知ってました」

 一分くらいざっと二年の欄を見ていたけど、やっぱりない。

 会長はどうだろうか――。いや、探すまでもなかった。

「きゃああっ会長!」「会長いらしてたんですね!」と周りで掲示板を見ていた生徒たちが隣にいる律花の存在に気づき声を上げた。

 瞬く間に周囲に伝染し、いつの間にか掲示板中心だった人溜まりは律花中心になっていた。

「会長! またトップ成績ですよ!」「さすが会長です!」憧れの視線を向ける女子たちが俺を押しのけて、会長を掲示板前まで連れて行く。

 トップ成績。最も目立つところに夏木瀬律花という名前が刻印されていた。

 この前の中間テストの時には、律花のことをよく知らない一年生たちも「あれが生徒会長か」「なんかすごいって部活の先輩が言ってた」とざわざわと噂をしていた。

 律花の持つ求心力は実際目の当たりにしないとわからない。三年生はもちろん、二年生の間でも律花は尊敬されている。それにはもちろん生徒会長という肩書のおかげもあるが、人をまとめる力、ミスをしない手腕――それらは体育祭や文化祭でいかんなく発揮されている。

(さすが律花会長……)

 知ってはいたが、改めて目の当たりにすると熱量がすごい。

 俺にはあの輪に入っていく勇気はない。こうして遠目で眺めるのが性に合っている。

「冬季くん! おはよ~!」

 背後から声が飛んできた。

 振り返ると、同じ生徒会役員で庶務の土宮みうがそこにいた。

 ロップイヤーのようにちょこんと栗色の髪を結んだ小柄な女子。成長期という名の概念から忘れられた体型だけでなく、顔立ちも中学生とそれほど変わりない。いや、ランドセルを背負っていたら小学生と間違われることもありうる。

 ――こんななりをしているが、同級生でかつ俺の幼馴染みだ。だからこそ言える。小学五年生の時から身長が一ミリも伸びてない。成長止まってるんじゃないか? と思う。

 そんな小動物がぴょこぴょこと飛び跳ね、

「さすが会長。中間テストに続いて期末テストでも一位だよぉ。ホント憧れる~」

 きらきらと目を輝かせる。

 みうも律花に憧れる生徒の一人だ。自身でも信者を名乗るほどの狂信者だ。

「みうは何位だったんだよ」

「あ、うん……そこそこ、だよ?」

「聞いた俺が悪かった。今後一切聞かない」

「いいもんいいもん! どうせ毎回下から数えた方が早い順位だからっ」

 ぷいっとそっぽを向いてしまった。

 わるいわるい、と俺は謝る。

 小学生の頃から、みうの成績はいつも俺と同じくらいだ。勝ったり負けたり、ちなみに前回の中間テストは国語と英語だけ俺が勝っていた。

「さっきゲタ箱で律花会長、なにか手に持ってなかったぁ? 手紙みたいなの」

「見てたのか」

 同じ道を通ってきていたんだから、目には入るだろう。

 隠しても仕方ないので話した。

「ラブレター、らしい。詳しくは見てないけど」

「うにゃー、やっぱり会長はモテモテだぁ」

「モテるけど、付き合うとなると男の方がかわいそうだな」

「そう?」

「だって、会長と対等に付き合える男なんてなかなかいないだろ。それこそ芸能関係者とか」

「むむぅ……付き合うにはわたしもモデルになるしかないみたいだねぇ」

「付き合いたいのか……」

 まあそういう方面の恋愛感情を否定しないが……。

「うそうそ。会長はわたしにとって永遠の女神だから」

 本当に信者だな。

「そういうこと本人の目の前では言わないようにな」

 苦笑いされるだけだから。

「冬季くんは会長のことどう思ってるのぉ?」

「どうって、みうほどじゃないけど……」

 尊敬しているし、憧れている――けど、面と向かって誰かに話すのは憚られる。

「ん? ん? わたしほどじゃないけど?」

「いいだろ別に」

 頬が熱くなっているのがわかる。

「あっふーん、そーなんだー」

 ニヤニヤするみう。うざい。こういう時、幼馴染みだということを呪いたくなる。隠していてもすぐに察せられる。

「うるさいな。ほっとけ」

 なんて言っても聞かないのも承知の上だ。

「おーけーおーけー。じゃあ聞き方変えて――好きになったりとかしないの?」

 終始ニヤニヤするみうに俺はため息を吐いた。同士を見つけた! とでもみうは思っているのだろう。

 半分諦めて、俺は口を開いた。

「そもそも会長と俺じゃ釣り合わないだろ。かたや全校生徒が憧れる生徒会長、しかも世間的にもモデルとして認知されている有名人。かたや一般男子生徒。一緒の生徒会でたまに頼られるくらいが丁度いいよ」

 律花に憧れてからずっと頼られたい、役に立ちたいって気持ちがある。好きとかそういう邪な感情とは違う。

「ほへぇ~……意外とストイックなんだぁ」

「そうじゃないけど――まあ、会長のことを知れたって意味ではお前ほどじゃないけど、生徒会に入ってよかったよ」

 純粋にそう思う。俺が生徒会に入らなかったら、ただの帰宅部として灰色の高校生活を続けていただろう。

「えへへへぇ~」

「なんだその顔は」

 ぐにゃぐにゃになっているみう。さっきのニヤニヤよりひどい顔だ。

「だってだって、ずっと気になってて! わたしから誘ったのに、後悔してたらやだなぁって」

「そういうことか」

 俺が生徒会に入った理由は、単純にみうに誘われたからだった。

 みうは一年生の頃から生徒会に入っていた。二年生になった時、『暇なんだったら生徒会に入ってみる?』と言われて、バイト以外にやることがなかった俺はとりあえず選挙に出て、偶然当選。生徒会に入った。

 最初こそ惰性だったものの、律花に会えたし、なんだかんだで楽しいし、入ってよかったと思う。忙しいのは嫌だが。

「後悔って……ずっとそんなこと思ってたのかよ」

「そうだよぉ。だって冬季くんってあんまり目立ちたがらないでしょぉ? 会長の隣にいたら否が応でも目立っちゃうから」

「俺は目立ちたがらないってわけじゃなくて、単に話す相手と話題がないだけだって。別に無口じゃないだろ」

「そういえばそうだねぇ~。でもよかった、ちゃんと冬季くんの口から入ってよかったって聞けて」

 みうはホッと胸を撫で下ろしていた。ずっとそんなこと気にしていたのか。なんか悪いことをした気がする。

 なんだかこっ恥ずかしいが、一応言葉にした方がいいかもしれない。ちゃんとありがとうって。

「みう……まあ、お前が誘ってくれて始めたことだし、ありが――」

「――あっ、律花会長!」

 みうの明るい声で言葉が遮られた。

(まあいっか)

 みうもあんまり気にしてないし、また違う形でみうには礼を言おう。

 俺もみうと同じ方向に目を向ける。

 もみくちゃにされていた律花が疲れた表情でこちらに向かって歩いてきていた。

「おはよ、みうちゃん」

「おはようございます、かいちょ――むぎゅ」

 挨拶をする前に、みうが律花によってぎゅっと抱きしめられていた。

「う~ん、柔らか~い。栄養補給、栄養補給~」

「か、かいちょ、ちょっとぐるじいですぅ~」

 みうの顔に律花の豊満な胸が押し付けられていた。なんとも目のやり場に困る光景だ。

 ほら、男女問わず他の生徒たちが律花たちを見て羨ましがっている。

 たまに生徒会室でも小動物のようなみうがこうして被害に遭っている。今日は人前だというのに、律花は人目を憚らずにみうを抱きしめてしまっている。

 このまま待ってても永遠に終わらなそうだ。

「会長、そういうのは生徒会室だけでしてください。人目がありますよ」

「あと一分だけ~」

「長いです」

 最初の頃は女の子同士の絡み合いにドギマギしたりしたが、今ではすっかり慣れた。

 ひとしきり抱きしめた律花は満足したのか、みうを解放した。「はぁぅえ~」ともみくちゃにされたみうは呆けてしまっていた。

「満足しましたか?」

「うんっ! みうはスモールサイズで抱きごこちいいしっ」

 と言ってまたぎゅっと抱きしめる。「ぐうぇ」と今度は本気で締まってるからやめてあげてほしい。

 あ、そうだ。言い忘れていたことがあった。

「今日は俺、バイトがあって生徒会室に行けませんから」

 昨日の内に言っておこうと思っていたのだが、忙しかったせいもあり、忘れていた。

「ん? そう? あたしも今日無理だから、琴葉に任せよっか」

 琴葉――秋沢琴葉は生徒会副会長だ。律花の幼馴染みらしい。

 普段はおっとりしているが、律花くらい優秀な人だ。副会長に任せておけば何か緊急の仕事が入っても何とかなるだろう。そこのテストの成績上位者にも入っているくらいだ。

「会長が用事ってめずらしいですね。モデルの仕事ですか?」

「ううん、違う違う。個人的なものだよ」

 個人的。プライベートの用事だろうか。ならあまり突っ込んで聞くのも失礼かもしれない。

「わたしも今日はテニス部の練習がありますし……。副会長だけで大丈夫でしょうか?」

「昨日のうちに仕事は終わってるし、大丈夫だと思うよ。何かあれば連絡いれてくれるように言っておくし」

 律花に同意。バイトを休んでまで生徒会を優先したくない。

 律花の三年の教室は二階にあるので、ここで彼女とはお別れだ。

「会長~、ばいばいでーす」

 ぶんぶんと律花に手を振ってから、たたっとみうは階段を駆け上がって行く。

「冬季くん、冬季くん!」

 みうは踊り場まで駆け上がると、階下にいる俺に振り返って、

「教室まで競争しよっ! 負けたらジュース一本! よーい、ドン!」

 ぴゅーっ、と走って行ってしまった。

(おい、最初から不公平なスタートじゃないか?)

 そもそもそんなバイタリティーに溢れていないので、俺はため息を吐きつつ、ゆっくりと階段を上っていく。

(生徒会に入ってよかったな)

 と何のジュースを奢るか考えつつ教室へと向かったのだった。

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