第22話:料理男子と買収

 ニューヨークから戻った嘉一は料理にどはまりしていた。

 今までは肉や魚を焼くか炒めるのがほとんどだった嘉一が、今では出汁の種類や配分に凝った煮炊き物を中心とした料理ばかり作っていた。

 もちろん肉や魚をメインディッシュにしてはいるのだが、メインディッシュに使う時間よりも煮炊き物に使う時間の方が遥かに長かった。


 そうして作った料理は、嘉一だけが食べているのではなかった。

 神仏に御供えされるのは当然だったが、神仏に加えて付喪神や物の怪達にも分け与えられ、別に材料も与えられていて、何時でも好きなだけ作り食べる事ができた。

 そのお陰もあって、付喪神と物の怪達は率先して嘉一に協力していた。

 マスゴミに対する情報収集と噂の流布をしてくれた。

 嘘偽りのない真実を広めてくれていた。


 嘉一がテレビの放映権を入札制にするという裁判が佳境を迎えていた。

 時間稼ぎをしようとしていたテレビ局だったが、世論が厳しかった。

 テレビを観ないようにしようという、不視聴運動によってスポンサーが離れてしまい、番組の制作も放送も大幅な赤字になる状況になっていた。


 テレビやラジオを放映放送するのに有利な電波を、入札もなしに優先的に割り当てられた電波地上基幹放送事業者が既存のテレビ局とラジオ局だ。

 そんな既存のテレビ局とラジオ局の株が暴落していた。

 その株を嘉一が買い占めていたが、放送免許を持つ放送局を傘下に持つ純粋持株会社である、認定放送持株会社の株式買収には色々な制限があった。


 日本国籍を持つ一株主の出資比率は、一〇パーセント以上三分の一未満規定されている。

 そして外国人による出資比率は二〇パーセント未満と規定されている。

 更に持株会社の傘下に入る地上波放送局の数は、放送の多様性や地域性を尊重するため最大十二局に限定されている。

 しかも一局とは一つの都道府県内に放映を限定されている地方局の事だ。

 広域に放映している在京キー局は七局相当、在阪の準キー局は六局相当、在名広域局は三局相当と計算されている。


 つまり在京キー局と在阪の準キー局だと十三局となってしまい、認定放送持株会社に統合する事ができないのだ。

 そもそもアナログ放送からデジタル放送に移動するための設備資金を、資金力のない地方局に確保させるための援助政策が認定放送持株会社の解禁だった。

 だから在京キー局や在阪の準キー局が主軸になり、一局計算の地方局を傘下に収めていたのだ。


 嘉一は全ての認定放送持株会社に買収攻勢を仕掛けた。

 いや、認定放送持株会社だけでなく、全ての在京キー局、在阪の準キー局、在名広域局、地方局の株を、制限一杯まで買収した。

 個人で行っただけでなく、マスゴミによる放映権の独占犯罪を阻止するNPOや、これまでの運動で知り合った人々と一緒になって買収を仕掛けた。

 同じ志を持つ者が組むことで、過半数の株を手に入れようとした。


 だが嘉一が創り出した好機に便乗しようとする者は数多くいた。

 今までなら絶大な権力を持っていたマスゴミに逆らう事などできなかった。

 同じようにテレビ局を買収しようとして殺された人もいれば、会社を潰された人もいたが、今のマスゴミにそのような力はなかった。

 外資だけでなく、テレビ放送に魅力を感じている国内企業が、嘉一の動きに連動して襤褸株になったテレビ局の株を買収し始めた。


 広範囲に全てのテレビ局の株を買収している嘉一だったが、別に全テレビ局を支配下に置きたいわけではなかった。

 マスゴミによる反日反政府活動さえ制限できればよかったのだ。

 外資によるマスゴミ支配を証明し、外患誘致を行う連中を摘発できればよかった。

 外資が日本人活動員を使ってテレビ局の株を買い漁っているこの状況は、絶好の機会だったのだ。


 外資も日本人活動員も細心の注意を払って買収工作をしている心算だった。

 国会議員や地方議会議員になっている、帰化した活動員も自分達の動きが表に出るとは毛頭思っていなかった。

 だが嘉一には付喪神と物の怪達に加え、神仏の協力があった。

 振り込みの証拠を残せない裏金は、現金で受け渡しをしなければいけないのだが、その現場をカメラの付喪神や無線機の付喪神が盗ってくれていた。


 付喪神や物の怪達が動いてくれている間に、嘉一は料理の練習をしていた。

 大阪の学校給食がまとめてくれているレシピ集の習得とアレンジを行っていた。

 レシピ集通りに作るだけでは、祖母の味を超える事はできないのだ。

 特に出汁の組み合わせを追求する事は大切だったし、漬物をアレンジした郷土料理も多かったので、糠漬けも始めていた。


 神仏はもちろん、付喪神や物の怪達も嘉一の想い出料理を心待ちにしていた。

 だが、日に日に料理の腕が上がっている嘉一は、中途半端な料理を神仏や付喪神や物の怪達に食べさせる気にはなれなかった。

 そこで今まで作った事のある料理を神仏に御供えしていた。


 最初に御供えしたちらし寿司とは雲泥の美味しさになったばら寿司。

 蛸と海老の酢漬けも、大正海老や泉州蛸に拘るのではなく、漬ける酢に拘って昆布酢にしてみた。

 そして鱧の照り焼きと鱧の湯引きを作ったが、神仏にも付喪神にも物の怪達にも大好評だった。

 いや、毎日のようにやって来る高齢のヘラ師達にも大好評だった。


 毎日の事だから、他の料理も作っていた。

 一番簡単なのが肉や魚、野菜を炭火で焼くバーベキューや、鉄板で焼く事だった。

 もちろん手間暇をかけた料理も作っていた。

 生節を使った押し寿司やおにぎり、鶏のすき焼きも好評だった。

 アカエイや焼干の鱚を甘辛く煮た煮魚も好評だった。

 特に年老いたヘラ師達は涙を流さんばかりに喜んでいた。


 喜んでもらえれば嘉一も嬉しくなって張り切るのが当然だった。

 莫大な利益のお陰でお金の心配がないので、幾らでも食材を買うことができた。

 鯨肉を買い漁り、鯨肉のすき焼きやはりはり鍋、おでんも作って振舞った。

 出汁とキャベツの切り方に拘ったお好み焼きも焼いて振舞った。

 出汁に拘ったタコ焼きも作った。


 だが流石に箱寿司や江戸前寿司は嘉一も作る事ができなかった。

 この二つは買って来るしかなかったが、ヘラ師達はとても喜んでくれたが、神仏と付喪神と物の怪達はあまり喜んでくれなかった。

 神仏は実際の味よりも想い出の強さが美味しさの基準となっていた。

 付喪神と物の怪達は嘉一の手料理であることを美味しさの最優先にしていた。


 嘉一は出汁の応用を鮒豆にも行った。

 一昼夜煮る時に昆布だけを使っていたのを、出汁じゃこ、鰹節、干むきえび、干椎茸、干貝柱などを使って味の違いを確かめていた。

 色々試したが、やはり昆布を使うのが一番美味しかった。

 他のものを使った方が美味しいのなら、料理上手と褒め称えられた祖母が使わない訳がなかったのだと、嘉一は深く反省した。

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