第四章:ミズガルドの王

プロローグ:王の必要性

 四つのどの地区にも所属しないミズガルド中央にある講堂。


 今ここで行われているのは、地区代表者たちを集めた月に一度の定例会。


 運河や道路を始めとした都市機能の使用権や、ミズガルド全体の開発計画などについての議論がなされる場である。


「では、来月の運河使用権については今の内容で異論はありませんね?」


 壇上に立つ進行役の女性が見下ろすのは、各地区からそれぞれ四人ずつ選出された計十六人の代表者たち。


 長々とした議論で疲弊しきった顔が並んでる。


 無言で佇むのは彼らにとって、これ以上揉めても仕方がない消極的賛成を意味していた。


「異論はないようですので、次の議題に進ませてもらいます。えー……次は第一地区代表のアイギスさんからご意見があるそうです」


 四つに分けられた半円状の大きな卓。


 壇上から向かって左端に座っていた女性が名前を呼ばれて立ち上がる。


 全身を重厚な鎧に包んだ茶髪の若い女性――金C級冒険者アイギス・ティレスタム。


 綺麗に切りそろえられた短髪を始めとした一分の隙もない見た目は、彼女が規律を重んじる第一地区の人間だと何よりも雄弁に物語っている。


 一切のブレがない折り目の正しすぎる歩行姿勢。


 一歩一歩と段を上って、発言者のために設えられた壇上へと向かう。


 その姿を見て、他地区の代表者たちは「またか……」と口々に漏らしていく。


 彼女は壇上に着くや否や、誰もが予想していた通りに発する。


「ミズガルドには王が必要なのです」


 それは彼女が口癖のように、この定例会で何度も口にしている言葉だった。


 もう聞き飽きてうんざりしている他の代表者たちを尻目に彼女は更に続けていく。


「虎視眈々と力を蓄えつつある列強諸国。凶暴化の一途を辿っている魔物。それらの脅威からミズガルドを守るためには、今こそ力のあるリーダーが必要なのです! かつて何もない荒野にこの街を作り上げた黎明の四英傑のような者が!」


 広い講堂中に力強く響き渡る声。


 彼女が自分の発言に対して微塵も疑問を抱いていないのは明白だった。


「まーた、その話? これで何回目? 毎回毎回、飽きずによく言うねぇ」


 第二地区の卓に着いている一人が壇上へと向かって茶化すように言う。


 彼女の名前はミネル・メーティス。


 第二地区の代表と職人ギルドの副マスターを兼任するハーフリングの女性。


 言葉にしたのこそ彼女一人だったが、この場にいる半数の者が全く同じ所感を抱いていた。


 また第一地区の連中による御高説が始まったと。


「……ならば問います。前回、私が同様の発言をしてから世の情勢はどう変化しましたか? 国境線の付近で見られる他国の軍事行動の数は? 魔物災害の発生頻度は? 少しでも減りましたか?」

「さぁ、どうだったっけぇ……? 私は鋼を叩くのが仕事で、統計分析は専門外だからねぇ……」


 アイギスは壇上からとぼけるミネルを見下ろしながら続けていく。


「ここ十年間、あらゆる脅威に関する数字が増加の一途を辿っています。目下最大の脅威である帝国からの侵攻こそビフレスト山脈が天然の防壁となり免れていますが、航空技術の発達でそれもいつまで保つか分かりません。隣接するヴァナ共和国とは表面上の友好関係を築いていますが、無防備な背を晒せばいつ刺されてもおかしくありません。そして、人々の不安につけ込むように市井へと深く根を張り出しているリーヴァ教のような組織の存在もあります。それらの脅威へと未然に対抗するために、我らには確固たるリーダーが必要なのです!」


 再び、一縷の疑問も持っていない口調で高らかに宣言される。


 その言葉に、第一地区及び第三地区の卓から拍手が起こる。


「王様がいればその諸問題がぜーんぶ解決するって?」

「もちろん、そう簡単に解決を出来るとは思っていません。ですが、確固たる信念を持った者が上に立てば、議論を茶化すような人ばかりでまともな意思決定すらままならないこの議会も多少は改善されるでしょう」


 ミネルの姿を視界に収めながらアイギスが皮肉交じりに告げる。


 彼女の言う通り、ミズガルド周辺の肥沃な大地や豊かな物的資源を求める列強の標的にされているのは確かな事実であった。


 そして、この対立意識の強い地区間の合議制では対抗策を講じるスピード感に欠けるのも皆が理解していた。


 にも拘らず、反対派が半数を占めているのにも理由があった。


「確かに、ここでの議論が大抵グダグダになるからそういう意見があるのは分かるけどさ。だからといって王だのリーダーだのが街全体を率いるってのは何度言われても大反対。それこそ黎明の四英傑たちの意志に反するもん。彼らが示した自由の理念があるからこそ、ミズガルドはバラバラながらに今日まで上手くやってこれたんだよ。その土台を失っちゃえばリーダーどうこう以前の話でしょ」


 ミネルも気後れすることなく、自らの意見を述べていく。


 黎明の四英雄――かつてこの地にあった地下迷宮を踏破し、ここに冒険者都市の礎を築いた四人。


 今、定例会が行われている講堂の周囲にも四つの地区へと向かって彼らの石像が設えられている。


 そんな彼らが残した世界で最も自由な場所を作るという理念こそが、今日までの発展の礎となっているのもまた事実であった。


 すなわち、この議論は“自由の上に規律として敷こうとする地区“と”何よりも自由を重んずる地区”の争い。


 最も優れた冒険者が集う第一地区と腰巾着の第三地区。


 職人ギルドを中心とした第二地区と奔放の徒ばかが集う第四地区。


 両者はこの議論だけでなく、あらゆる点で何十年以上も対立し続けていた。


「それにさ。もし全員がその案に賛成したとして、どうやってその王様を決めるの? それこそ議論したところでグッダグダのぐっちゃぐちゃになって、最終的には栄光の第一地区様がお前ら下民共を導いてやるとか言い出すんでしょ? そうなったら誰が王様? 最強無敵、屠龍のジークフリート様? それとも見栄え重視でティタニア嬢が女王様に? まさか最近第四からそっちに移籍したっていうあのクソキモレイシストエルフじゃないよね? うえっ、自分で言っといてそれは最悪……。それなら帝国領になった方がいくらかましだね」


 えずくように舌を出しながら、ミネルは挑発的な言葉を連ねていく。


 しかし、アイギスはそれを受けても眉一つ動かさない。


「選出方法こそ皆が納得するまで議論を重ねればいいでしょう。私は別に、それが第一地区から出なければならないとは考えていません」


 その発言に第一地区の卓から小さなざわめきが起こる。


「へー……意外、街のためだのなんだの言っといて結局はただ単に議会の主導権を握るのが魂胆なのかと思ってた」

「今の私は地区の代表としてではなく、ミズガルドの一員として発言しています。まあ、実力がある者を選ぶとなれば現状では自然と第一地区の者になるでしょうが」

「うわっ……でたでた……アイギス嬢の天然見下し発言……。私、そういうとこが嫌いなんだよねぇ……。キツイ物言いに反した可愛らしい顔は好きなのに」

「奇遇ですね。私も貴方のそういう人を食ったようなところは好ましく思っていません」


 瞬きもせずに、視線を交錯させるアイギスとミネル。


 両者の間で見えない火花がバチバチと散る。


 どちらのイデオロギーにもミズガルドの未来を想う正しさがあった。


 故に議論は常に平行線を辿る。


 今回も長く議論が重ねられたが、意見の均衡が覆ることはなかった。


「で、では時間ですので……このお話はまた次回に持ち越しということで……」


 女丈夫の間に立たされる進行係の女性が縮こまりながら告げる。


 持ち時間を使い切ったアイギスは規律に従い、それ以上は何も発さずに自席へと戻っていく。


 しかし、それは自らの考えを諦めたわけではない。


「次の議題は今年のヨルムンガンド災害への対策について――」


 彼女は自身の正義を一点の曇りもなく信じ切っていた。


 生まれ育った愛する街を守るには、絶対的な力を持つ真の王が必要だと。

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