第19話:名前

 長いようで短かった冒険を終え、俺たちは夕暮れ時のミズガルドへと帰還した。


 その足で冒険の打ち上げよりも先に向かったのは第四地区の冒険者ギルド。


 フレイヤから託された依頼の完了報告を行うためだ。


「たのもー!!」


 エイルが威勢よく完了窓口へと依頼票を叩きつける。


「はーい……あっ、エイルさんに……ルゼルくんとノアさん!」


 その大声に応じて、事務局の奥からトコトコと小走りで出てきたのは親愛なる我が受付さん。


 俺たちの無事を確認して、その顔には安堵の表情を浮かべてくれている。


「無事におかえりなさい! 依頼の完了報告かな?」

「ええ、そうよ! これを御覧なさい!」


 偉そうにふんぞり返りながら、カウンターに置かれている依頼表をエイルが指し示す。


「あれ? これって……確か……」


 目の前に置かれた依頼票を見て、受付さんが訝しげに首を傾げる。


 しかし、その反応も当然だ。


 見習い冒険者用の依頼票を持っていったはずの俺たちが、何故か特別依頼の完了報告をしにきたのだから。


「ギルドからの特別依頼だよね……? 確か、フレイヤさんが一人で受けたって聞いたけど……どうしてルゼルくんたちが?」

「えーっと、それについては話すと長くなるんですけど――」

「彼女の代理として、私たち三人がちょちょいのサクっと洞窟の魔物を掃討してきたのよ」


 不審がる受付さんに複雑な事情を説明しようとしたら、エイルに死ぬほど簡潔な説明を被せられる。


「えっ? ほんとに?」

「はい……なんかそこに書いてある通りみたいで……」


 依頼票にはフレイヤの文字で『この依頼はルゼル以下二名に代理で行ってもらった。報酬及び貢献点は彼らに授与するように』と書かれている。


 本当はもっと込み入った事情があるのだが、余白の都合で非常に簡潔だ。


 しかも書いた当人が今は怪しい新興宗教の伝道師として旅に出ているだなんて夢にも思わないだろう。


「確かにフレイヤさんの字……ってことは本当なんだ……。でも、こんなケースは初めてだから、ちょっと手続きが大変かも……」

「えっ、じゃあ私たちぎんきゅーになれないの?」


 依頼票を見ながら難しそうな表情をしている受付さんにノアが尋ねる。


 確かに、金級以上の特別依頼を白金級の代理に銅級三人が完了させただなんて説明からして大変だ。


 いくら白金級冒険者の署名があるとはいえ、ギルドは騙りの可能性を慎重に精査しなければならないだろう。


「ううん、それは大丈夫。確認に少し時間はかかるかもしれないけど、この件は私が責任を持って預からせて頂きます。だから心配しないで」

「すいません、なんか余計な手間を取らせてしまって」


 後ろでハイタッチしながら喜んでいる二人の分も合わせて謝っておく。


「いえいえ、こちらこそ難しい依頼を迅速に完了させて頂いてありがとうございます」


 カウンターの向こう側でペコりと可愛らしく、且つ上品に頭が下げられる。


 あの洞窟での出来事ですり減った精神がみるみるうちに修復されていく。


 やっぱり、どこぞの女神よりも女神だ。


「それにしても……あのフレイヤさんに認められるなんて、びっくり……ルゼルくんって実はすごい人?」

「え? い、いやぁ……それほどでも……」

「ううん、私も実はルゼルくんって只者じゃないとは思ってたもん。まずそこで謙遜できちゃうのが良い意味で冒険者っぽくないし」

「そ、そうですかね? あはは……」


 嬉しすぎる称賛に心が軽快なダンスステップを刻み始める。


 宙に浮くような高揚感。


 今ならビフレスト山脈だってひとっ飛びで超えられそうだ。


「一年前、あんなことがあったのに……それでも頑張ってるルゼルくんを見ると私、自分のことのように嬉しい」

「お、俺も受付さんにそう言われると嬉しいです……」


 頬を赤く染める受付さんと見つめ合う。


 いつも以上に持ち上げられるのが照れくさくて頭を掻いていると――


「なーまーえ」


 今度はいきなりムスっと不機嫌そうな顔でそう言われた。


「え? な、なま……?」

「私たち、初めて会ってからもう三年だよね?」

「そ、そうですね。確かちょうどこの辺りでジルドやテンガと一緒に声をかけてもらって……冒険者登録して……」


 三年前、初めてこの人に会った時のことを思い出す。


 冒険者として成り上がりを夢見て訪れたミズガルド。


 街中、見るもの全てが新鮮で緊張と興奮に心臓が高鳴りっぱなしだった。


 そんな中で、右も左も分からない俺たちに優しく声をかけてくれたこの人にはもっとドキドキさせられた。


 あれはエルフの血が入った人を初めて見たからというわけではない鼓動だった。


「それなのに、未だに『受付さん』って呼び方はどういうことなのかなーって」


 更に子供の様に頬を膨らませる受付さん。


 初めて出会ったあの時のように心臓がドキドキと高鳴っていく。


「私の名前、知らないわけじゃないよね?」

「そ、それはもちろん知ってます」


 事務主任らからは呼ばれているので当然知っているし、今も制服の名札に記されている。


「だったら、呼んでくれてもよくない?」

「でも、その……俺ごときが軽々しく呼んでいいものかと……」

「俺ごときとか、ルゼルくんはそんなこと言わないの。ほら、いいから呼んでみて」

「わ、分かりました……では失礼して……」


 カウンターの向こう側で満面の笑みを浮かべている女性の名前を心に浮かべる。


「い……イルザさん……」


 そして張り裂けそうな心臓の音に負けないように、しっかりと呼んだ。


 たった三文字の言葉を口にしただけで、天に上りそうな幸福感に包まれた。


 人類に幸あれ。


「うむ、よろしい! じゃあ今度からはそう呼ぶようにね」


 人差し指で唇をつんと軽く突かれる。


「は、はい! 呼ばせて頂きます!」


 幸せすぎて天上の世界に達し、万神座の中心で運命を司る神と固い握手を交わしてしまいそうだ。


 ていうか、これってもしかして俺の事を男として意識してくれてる!?


 わざわざ名前で呼んで欲しいってことはそうだよな!?


 今ならもしかしてもしかすると、食事に誘ったらOKしてくれるんじゃないだろうか。


 いや、むしろ今しかないだろ!


 そうだそうだ。今だ、行け。やっちまえー。


 頭の中のミニルゼルたちもそう言ってる。


「それで……い、イルザさん。もし良かったらでいいんですけど……今度一緒に――」

「ルゼルー! トシさんのとこに晩ごはん食べに行こー!」


 今こそ千載一遇の好機とみて勇気を振り絞ろうとした瞬間、後ろからノアに腕を引っ張られた。


「ちょ、おまっ! 俺がせっかく勇気を振り絞って――」

「そんなの知らないもん。それにほら、早く行かないと席が埋まっちゃうかもしれないし」

「あの店でそんなことあるわけねーだろ……」

「い・い・か・ら!」

「ったく……すいませんイルザさん、そういうわけなんで今日は失礼します」


 まるで俺と彼女を無理やり引き剥がそうとしているノアに呆れながら、別れの挨拶をする。


 フレイヤの時といい、何なんだこいつは。


 時々、何を考えているのか全く分からない。


「うん、夜道には気をつけてね。依頼の件も任せておいて」


 いつも通りのにこやかな笑顔を名残惜しみながらギルドを後にする。


 食事に誘えなかったのは残念だけれど今日で一気に距離が縮まったのは確かだ。


 いつかきっと、また機会は来るはず。



 *****



「ところでルゼル、あんたのマイナス点はこれで残りいくつになったのよ」


 食事処までの道を並んで歩いていると、唐突にエイルが切り出してきた。


「なんだよ、藪から棒に」

「いや私のおかげで1万点も入ったんだし脱永世銅級も近いんじゃないのって思って」


 ニヤニヤと粘度の高い笑みを浮かべている。


 恩を着せるつもりなのか知らないが、無知もここまでいくと度し難いな……。


「-2512万」


 ニヤけ面の馬鹿に向かって、端的に事実のみを告げた。


「なーんだ、たったのにせんご……え?」


 そのツラに浮かんでいたしたり顔が一瞬で消える。


 顔面を構築する部品の一切がそこだけ氷河期でも訪れたかのように凍りついた。


「1万点増えて、残りは-2512万点だって言ってんだが?」


 ちなみに千の位以下は端数として切り捨てている。


「なんか、その……ごめんなさい」

「今後はよく考えてから物を言えよ?」

「はい……すいませんでした……」


 数字の暴力でぶん殴られてしおらしくなったエイルがトボトボと先を行く。


 もしかして俺、何かやっちゃいました?

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