交われば何の色?
小石原淳
きつねとたぬきの化かし合い? いいえ、愛ばっかし、です
あれは二〇二一年。僕らが大学二年生になって半年ほどが過ぎた頃。みんな直に揃っての講義が、ようやく当たり前に感じられるようになっていた。
* *
そのとき、僕は台所に立っていた。
すぐ隣のダイニング兼リビング兼夜には寝床になる部屋で、彼女、
「何て?」
カランを閉め、やかんを火に掛ける。
「あ? 全然聞こえてなかった?」
「うん、全然」
「“赤いたぬき”と“緑のきつね”が出てたこと、知ってる?と聞いたんだけど」
「何て?」
聞き返すのに、同じフレーズになってしまった。苦学生(貧乏学生とも言う)の僕らは今、僕の下宿の部屋にて、カップタイプの即席麺を食べようとしている。まさしく、きつねうどんとたぬきそばのあれを一つずつ用意している。まだどちらがどちらを食べるかは決めていないものの、彼女はどちらも好みだと言っていたくらいだし、まさか商品名を誤って覚えているとは考えられない。
「だから、“赤いたぬき”と“緑のきつね”」
絹田さんはいたずらげに笑った。
彼女とは小学生のときから何かと縁があって、ずっと同じ学校が続いている。もちろん学年も同じで、さすがにクラスが異なったことは二度あったけれども、こうも縁があるとそれなりに親しくなる。恋愛感情がゼロとは言わないし、向こうだって僕を少なくとも嫌ってはいないはずだが、幸か不幸か、中学に上がってから大学二年の春までお互いが同時にフリーだった時期はなかった。それ故に、男女で友達関係が長く保てているのかもしれない。
ただ、少し前、六月頃に二人とも独り身になった。流行病のせいで、付き合っている彼氏あるいは彼女と会う頻度が減ったせいだろう、多分。なので僕らの友達関係、この先どうなるかは分からない。
「だめだめ。担ごうったって引っ掛からない」
湯飲みとコップをそれぞれ二つずつ用意し、テーブルに並べる。絹田さんの方は急須にお茶っ葉を入れたところで、動きを止めた。
「何よ、信じないっていうの?」
「だって、二番煎じだから。今年の四月半ばくらいだったかな、ネットで見たよ。見出しだけでぴんと来た。エイプリルフールネタだって」
その記事のヘッドラインを見たときは、なかなか面白いエイプリルフールネタだと思った。若干、時期がずれているなとも感じたものの、ネットには旧いニュースが残っていても不思議でも何でもない。
「えー、それ、見ておきながら?」
ところが絹田さんは認めようとしない。
「何その反応。まるで、エイプリルフールネタじゃなかったみたいな言い種」
「その通りよ」
彼女は携帯端末の操作を始めた。素早く検索を済ませて、「ほら」と画面を僕の方へ向ける。くだんの食品メーカーによる特設サイトだった。
「……ほんとだ」
まさか、あの記事がちゃんとしたニュースだったとは。クリックして中身を読まなかったことを、結構悔やむ。何というか、川縁から水面を眺めていてちらと見えた魚の背びれが、実は生きた化石だった、みたいな。大げさかな?
「どんな物か、ちょっと食べてみたかった。話の種になるし」
「まあ、私も気付いたときには遅くて、手に入れられなかった口なんだよね。だから偉そうには言えないんだけど」
「何だ。感想を聞きたかったな」
「もしも“赤いたぬき”と“緑のきつね”の雰囲気だけでも味わいたいのなら、今、ちょうどいいじゃない」
続けて絹田さんが何か言ったけれども、また聞き取れなかった。お湯が沸いて、やかんがけたたましい音を立てたからだ。
台所へ数歩で引き返し、すでに開封済みのカップ麺二つにお湯を注ごうとして、手を止める。
「一応聞くけど、天ぷら、しとしとにしていいんだよな?」
「ええ、それでこそたぬきそばってもの。ていうか、そもそもどちらがどちらを食べるか、まだ決めてないでしょ」
そうだった。とりあえず、うどんの方からお湯を注ごうとしたとき、彼女が台所へ跳んできた。
「ストップ。さっきの話の続きなんだけど、雰囲気だけでも味わいたいのなら、こうしてみるのはどう?」
絹田さんは割り箸を使い、“赤いきつね”からお揚げを取り出す仕種をした。続けて、それをそのまま、“緑のたぬき”へと投入する、これまた仕種だけ。でも充分に伝わった。
「具を入れ替えてみるってか。面白い」
「じゃ、決まりね。うまく引っ張り出せるかしら」
規定よりもフタをめくることで、お揚げも天ぷらもきれいに取り出し、入れ替えに成功。あとはお湯を注いで……。
「あ、ちょっと待って」
「何なに、今度は」
「時間のことを忘れていたわ、ほら」
彼女がそれぞれのパッケージ、フタに記された数字を指差す。そうだった、“赤いきつね”は5分、“緑のたぬき”は3分。
「これは軽々しく扱えない問題だな。天ぷらを五分間も蒸らすと、食べ始める最初からぐちゃぐちゃにならないか」
「かもしれない。お揚げの方は、食べ始めの最初の二分間は口を付けないようにすれば、どうにかなるかも」
「それじゃあお揚げはいいとして、天ぷらをどうするか。……最初は天ぷらを入れずにお湯を注ぎ、二分経過した時点で、天ぷらを入れる。途中でフタを開けるのは忍びないが、これしかない」
「仕方がないわね。素早くやれば、大丈夫でしょ」
やかんが鳴ってから時間が経ってしまっていた。念のため、改めて火に掛けて音が鳴るのを待った。
「どっちもおいしい。けど強いて言えば」
僕らは二つのカップ麺の具を入れ替えて作ったあと、さらにそれぞれを半分ずつに分けた。どちらがどちらを食べるか、迷ってしまって決められなかったから。
「私は“緑のきつね”の方かな」
絹田さんは「かな」と語尾に付けながらも、なかなか強い調子で言い切った。
「理由は?」
「まず、きつねそばって実は食べたことなかったの。その目新しさでプラス。次にお揚げが、うどんのときと変わらず美味。結構濃いめだから、ただでさえ汁がよく絡む細い麺には不向きだろうなって予想してたのに、意外とそうじゃなかった。そばにも合う」
「へ~、凄く分析的で驚いた」
「全部、後付けだけれどね。“赤いたぬき”もおいしいけれども、よりおいしかったのは“緑のきつね”。“赤いたぬき”はうどんと天ぷら、どちらもボリューム感があって、かきこむのがちょっとしんどかったのもあるかも」
「女の人には食べづらいって?」
「そこまでは言わない。適切に噛んで口に入れたらいいだけよ。それよりも、そっちの感想を教えなさいな。さっきの反応からして、私と反対、“赤いたぬき”?」
「いやいや。僕が好きなのも“緑”の方」
答えた直後、変な間ができた。言った僕だけでなく、聞いていた彼女も恐らく、その理由にはすぐに気が付いた。僕は急いで言い足した。
「あー、“緑のきつね”に軍配を上げる。理由も絹田さんのとほとんど一緒」
「……」
絹田美土里さんは僕の顔をしばらく凝視し、それからふと思い付いた風に手のひらをぽんと打った。
「私、変更しようかな。“赤”の方が好みだって。ね、
僕の名前を呼ぶ絹田さんの口ぶりは、冗談なのか本気なのか判断が付かなかった。
そのまま適当に笑って受け流して、曖昧にしようと思っていたら、意外にも彼女が言葉を重ねてきた。
「真面目な話、どうかなぁ。私もそっちも、相手がいなくなって三、四ヶ月。ぼちぼち席を埋めようというのはいい考えじゃないかと思えてきた今日この頃なんですけど」
「まあ……悪くはないと表現するのが失礼だと思えるくらい、いい考えだ」
突然の成り行きだったから、返事がちょっとおかしくなってしまった。
「確認するのは野暮でしょうけど、それはOKって意味?」
「あ、ああ。ただ、この流れで付き合い始めるのは、お互いの名前とカップ麺が縁を結んだみたいで、まるで笑い話だ」
「あれ? 気に入らない?」
気に入らなくはない。知り合いに聞かせるにはちょうどいいネタだ。でも、小学生から知り合いの彼女と付き合い始めるきっかけは、もっとこうロマンチックな要素があってもいいんじゃないかと。
僕がそのような意味のことを言うと、絹田さんはすかさず反応した。
「それじゃ、ネタとロマンチックを一緒にすればいいわ」
「どういうこと?」
「そうねえ……将来、“赤いたぬき”と“緑のきつね”がレギュラーの商品として売られるようになったら、そのとき、赤井君はロマンチックなフレーズで私にプロポーズすること、なんてのはいかが?」
「……」
それって永遠にプロポーズしてくれるなってことじゃないのかとつっこみそうになった。僕はそれでも念のため、自分の携帯端末を取り出して検索してみることに。やっぱりないなぁ……と思っていたら、不意にその記事が目に飛び込んできた。
“緑のきつね”と“赤いたぬき”がこの十月の半ばぐらいから、コンビニ限定とは言え全国で発売される予定になっているというニュースが。発売日まであとほんの数日だ。
僕は改めて絹田さんの顔を見、様子を窺った。このニュースを知らずに言っているのか、それとも知っていてわざと……?
「うん?」
彼女は小首を傾げるばかりだった。きつねかたぬきを思わせるつぶらな目をして。
* *
「今さらなんだけど」
胸の内での回想を終えた僕は、隣のソファで編み物をしている彼女に聞いてみることにした。
「何、
子供がまだのためか、妻は僕を下の名で呼ぶ。
「結婚して名字が変わるの、嫌だなって思わなかった?」
「ええ? 全然」
面を起こし、笑顔での返事に、僕はまさしく今さらながら安堵する。
「それもこれもみんな含めてネタになるし、私は好きよ、今の氏名も」
おしまい
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