第4話 絶海の孤島

 やがて、不思議な香りが船室に漂ってきた。ドーレマとデューンは香りに導かれるように、フュリスを抱いてデッキへ出た。

 船の進む先に薄ピンク色の霧に包まれた綿菓子のような陸地が霞んで見え、香りのほうは船内よりグンと濃くなり、徐々に迫ってくる。


〈あれが、ネプチュン鳥島・・・〉


 パトスは一度だけ、新婚旅行でネプチュン鳥島を訪れたことがあったらしい。墓守の家の祭壇に祀ってある四柱の遺魂いだま〔故人の遺骨と鉱石を混ぜて、冶金部門の錬金術師…主に火葬場直属の公務員…によって製造された玉〕のうち、ふたつは、ネプチュン鳥島の石をベースに作られている。パトスの妻メリッタと子どもロドゥの遺魂。ロドゥは幼い頃事故で亡くなり、ほどなくメリッタが自殺して、独り遺されたパトスは、新婚旅行のときメリッタが上着のポケットに入れて持ち帰ったネプチュン鳥島の石を二人の遺魂にした。

 ネプチュン鳥島はビイル薔薇の花畑とその香りに包まれた、まるで天国みたいな島だった、とパトスから聞いていた。デューンの異父姉グリンも同じように『天国みたいな島』という言い方をする。

 グリンに近寄ると微かに漂う芳香は、香水とかじゃなくて、ネプチュン鳥島人の細胞に染みついたビイル薔薇の香りなのだ。


 デッキに立つドーレマたちの身体をぐるりと取り巻いている香りは、グリンの香りをもっとずっと濃縮したような、高貴にさえ感じられる香りだ。

 グリンのルーツでもあり、パトスじいちゃんの思い出の場所でもあるネプチュン鳥島。〈天国〉の意味が、いまやっとドーレマにもわかるような気がする。

 霧というのは、目を眩ませ、この世ではないどこかへ意識を掬い上げていく界境の煙幕。あの霧の綿菓子の中へ入れば、そこは〈天国〉・・・戻って来れるのだろうか。


 デューンの腕に抱かれたフュリスは、霧に覆われた島を、さきほどからじっと見ている。まだ新しいヒスイ色の宝石のような澄んだ瞳が、あの霧の向こうに神様でも見えているかのように、神々しい輝きを映している。魂が何ものかと交信していてもおかしくないような、神秘的な表情でネプチュン鳥島を見つめる腕の中のフュリスを、時空を超えた遠い世界から託されてお預かりしている尊い宝物のようにデューンは感じる。その天使のこめかみに、デューンは祈りをこめて静かに口づける。


 接岸した港に降り立つと、乗ってきたフェリーの規模になるほどと納得する。隣島には空港もある。そこのフェリー乗り場は、大型フェリーが並んでいて、いくつもの航路をもつ。そのなかで一番こぢんまりした船が、ネプチュン鳥島行きだった。ネプチュン鳥島の港がこぢんまりしているのだ。



 ナオスガヤさんが出迎えてくれた。デューンたちの姿を見つけたナオスガヤさんは、目を潤ませながら歩み寄る。

「ナオスガヤさん、港まで来てくださったんですね。ありがとうございます。お元気そうでなによりです」

 無口でうつむきがちな学生だった12年前とは違い、デューンはこんなふうにちゃんと相手の目を見て挨拶の口上を述べられる大人になった。あのとき宿の手配やら何やらとてきぱき世話をしてくれたナオスガヤさんより、いまではデューンのほうが頼もしく見える。*


 12年前はグリンの卒業旅行に同行した旅だった。今回は、ソーラーシステム第五大学の研究員として、ナオスガヤさんの会社と職務上の大事な打ち合わせをする。


「姉が一緒に来れなくて残念です。ナオスガヤさんによろしく、と」

「グリンちゃんのことも、レイヤさんのことも、お父さんからの手紙で読んだよ。デューンくんもいろいろと大変だろうね。でもまずは、会えて嬉しいよ。素敵な奥様と、可愛いお嬢ちゃんとも!」

 ナオスガヤさんが差し出す手を握り、ハグで挨拶を交わすドーレマは、ナオスガヤさんの温かいお人柄を肌で感じ取る。フュリスも、ナオスガヤさんの腕に抱っこされて、人見知りもせず、笑顔を返している。


「古参社員たちがお待ちかねだ。長旅でお疲れのところ申し訳ないが、歓迎会をさせてほしい。会議の予定は週明けだから、一両日、ゆっくり観光でもして楽しんでね。いや、これといった観光スポットもないのは相変わらずだけど・・」

「ありがとうございます。明日、アルチュンドリャさんのお墓参りに行こうと思っています」

「それなら、わたしが送っていこう。きみたちの来島を、わたしもアルチュンに伝えたい。いつも孫を乗せてるからチャイルドシートも完備だよ」

「いいんですか? 明日、何かご予定でもあったのではないでしょうか・・・」

「大丈夫。業務のほうは、もう次の社長と幹部たちに任せているから。わたしは理事職に残っているだけで、ほとんど隠居だよ。現役だったとしても、デューンくんのお世話優先だ。ねぇ、フュリスちゃん」

 そんなにご高齢でもないのに、すっかりでれれーっとおじいちゃんの顔になっているナオスガヤさん。


 グリンの実父アルチュンドリャの親友で仕事仲間だったというだけで、ナオスガヤさんはもちろんデューンとも血の繋がりはないのだけれど、そのお人柄のせいか、ネプチュン鳥島人の気質なのか、肉親のように優しい心遣いが伝わってくる。

 ナオスガヤさんは、かつてジュピタンに滞在したことがあり、当時、第五大のグル・クリュソワの研究室へアルチュンドリャと共に通っていた。レイヤと知り合ったのもグルの研究室においてだ。

 レイヤがアルチュンドリャの子を生んだことを、アルチュンドリャは知らないまま亡くなった。ナオスガヤさんがグリンの存在を知って驚いたのは、アルチュンドリャが亡くなったあと、5歳か6歳のグリンを連れてレイヤが来島したときだ。1週間ほど遅れてグルが小さいデューンを連れてきてレイヤたちに合流した。

 ナオスガヤさんの気持ちの中では、グリンは自分の娘か姪のような存在だし、その弟のデューンも同じくらい愛しい甥っ子みたいなものだ。




* 12年前のデューンたちの旅のおはなしは〈薔薇の墓標☆ディープ・ブルー〉で・・・ *

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