それは誰のせいでもなく


 雪――――?


 突然の暗転から意識をたぐり寄せた僕の頬に、ひんやりした雪の粒が触れる。

 そしてそれと同時に目の前の視界がぱーって開けて、僕の目に小さな異国の街並みが飛び込んできた。


 石造りの建物に、灰色の空。


 赤や青に塗られた屋根には分厚く雪が積もっていて、どの家の屋根からも小さな煙突が伸びているのが目に付いた。


 ここは……?

 ううん……もしかしなくても、ここがエリカさんの心の中……!?


 さっきは確かに雪を冷たいと思ったのに、そう気付いた時には寒さは感じなくなっていた。


 そして、僕がここに跳ばされる前に見たあの光景……。

 最後に聞こえてきたあの声は、きっと円卓の殺し屋だ。


 きっともう時間はない。

 とにかく、急いでエリカさんを見つけないと……!

 

 でも、そう意気込んだ僕が一歩を踏み出そうとしたその時。

 そんな僕の耳に、〝二人の女の子〟の言い争う声が聞こえたんだ。


「もうお姉ちゃんなんてキライっ! 今日は私の誕生日なんだから、ケーキ食べさせてくれてもいいのに!」

「わがまま言わないでっ! お父様もお母様も、いつも私たちのために頑張ってくれてるでしょう? 私たちだって、少しは我慢しないと……」


 振り向いた僕のすぐ目の前。

 僕がすぐそこに立っていることにも、ぜんぜん気付いていない様子の二人。


 二人ともとても可愛らしい顔立ちで、同じ銀色の髪をお揃いの三つ編みに。

 お姉ちゃんと呼ばれた大人びた子は青いコートを、その子の妹の活発そうな子は、赤いコートに身を包んでいた。


「知らないっ! お友達はみんな、こんなに大きなケーキにいっぱいのろうそくでお祝いしてもらってるのっ! わたし、もう知ってるんだから……っ!」

「友達は関係ないでしょ……っ? そこまで言うなら、私だってもう知らないから……っ!」

「バカっ! お姉ちゃんのバカ――――っ!」


 しんしんと降りしきる雪の中、赤いコートを着た六歳くらいの女の子はそう言うと、お姉ちゃんに背を向けて、大声で泣きながら走り去ってしまったんだ。

 

「なんでいつも私ばっかり……っ。私だって、あなたなんて嫌い……! 大っ嫌い……っ!」


 ああ、そうか……。

 そうだったんだね、エリカさん……。


 走り去って行く妹をまっすぐ見つめて、その大きくて透き通った青い瞳いっぱいに涙を溜める女の子の横顔。


 それは僕も良く知っている……いつも一生懸命で、辛いことがあっても我慢して耐えようとする、エリカさんの横顔と同じだった。


 そして、それに気付いた僕の周囲の光景が一瞬で変わる。

 灰色と白に塗り込められた世界が、黒と赤に染まる。


 さっきまでの雪空も、降り積もった雪も。

 小さいけど美しい、ファンタジー映画の世界みたいな街並みも。


 そこでは、何もかもが燃えていた。

 

 もう燃える物も残っていないだろうに……それでもその炎は全てを焼き尽くすまで消えることを拒んでいるようだった。炎の赤が滲む夜の闇から白い雪が降ってきては、その炎に焼かれて溶けて、消えていく……。


「あ……ああ……っ! なんで……? どうして……っ!? どうして消えてくれないの……!? どうして……ッ!」


 泣いていた。


 エリカさんは泣きながら、何度も渦巻く炎を消そうとして……最後には自分が燃えるのも構わずに炎の中に飛び込んで……でも、その火は絶対にエリカさんを傷つけることはなかった。


「消えて……! 消えてよぉ……! もう止めて……お願いだから……っ! もう焼かないで……! 私の大事なみんなを……燃やさないで――――っ!」


 やがてその炎は赤から蒼に色を変えて、後から後から零れ落ちるエリカさんの〝涙だけ〟を拭うように焼いた。


 それはまるで、自分のやったことが分からない犬か猫みたいな仕草で。

 エリカさんの蒼い炎が、ご主人様のエリカさんに〝どうして泣いてるの?〟って……語りかけてるみたいだった。そして――――。


「〝私〟が……? 私が……あなたなんて嫌いって……もういらないって、そう思ったから……? だから……?」


 蒼い炎の輪に囲まれたエリカさんが、震えながら自分の手を見る。

 

 そして自分が妹さんを拒絶したから、嫌いだって言ったからこうなったんだって、何度も呟き始めたんだ。


 永久さんから聞いた殺し屋の力、その理由。


 それが本当なら……エリカさんの言う通り、この炎はエリカさん自身が望んだから、こんな大惨事を起こしてしまったのかもしれない。


 でも、それは子供なら誰だってする、些細なケンカやすれ違い。


 本当はそんなこと全然思ってないのに……嫌いだって、お前なんていなくなれって考えちゃう。そんなこと子供なら……大人になってからだって、そういうことってあると思う。だから――――。


「うぁああああぁぁ――――あああああああッ! 私が……っ! 私がみんなを嫌いだって言ったから……っ! お母様ぁ……お父様……ステラぁ……っ! 許して……ぜんぶ、私の――――っ!」

「――――違う!」


 だから僕はそう言って、エリカさんをできる限り優しく抱きしめた。

 気がついたら、いつの間にか僕もボロボロ泣いていて。


 息も出来ないくらいに胸が締め付けられて、それでもそうせずにはいられなかった。


「あなた、は……?」

「違うよエリカさん……っ! 君のせいじゃない……っ! 全部、この力が悪いんだ……! エリカさんは、とってもよく頑張ったんだよ……っ!」


 僕には、ただそう言うことしか出来なかった。


 泣いてるエリカさんを同じように泣きながら抱き締めて、君のせいじゃないって伝えることしか出来なかった。


 悠生ゆうせいからも、もう何度も聞かされてる。


 エリカさんの持つ膨大な力が、もし本当に全て解放されていたら、きっと被害はこの小さな町一つじゃ〝済まなかった〟だろうって。


 それこそ一つの島や地区そのものが吹き飛ぶような、途轍もない大惨事になってただろうって。


 それをさせなかったのは、エリカさん自身だ。


 殺し屋の力に負けなかった。

 こんなにとんでもない力を突然与えられたのに、その力に身を委ねなかった。


 だから、エリカさんは凄いんだ。

 本当に頑張ったんだ。


 エリカさんが妹さんに言ったこと、考えたことは、本当に誰にでもある些細な気持ちだったんだ。僕だって小さい頃は、そんなこと何度だって考えたよ。


 人は誰だって聖人君子なんかじゃない。

 誰にも……エリカさん自身にも、それを防ぐ事なんて出来なかったんだ。


「僕がいる……! これからは、僕がエリカさんと一緒にいるから……っ! だから、お願いだから消えないでエリカさん……! 僕はこれからも、エリカさんと一緒にいたいんだ……っ!」

「こ……ぬき……さん……?」


 いつの間にか、小さかったはずのエリカさんの姿は、僕の良く知っている今のエリカさんの見た目に変わっていた。


 辺りを覆っていた蒼い炎も、燃え広がった赤い炎も消えて。

 雪も、何もかもが暗い闇の中に沈んでいく。


 その闇の中。僕はそっと星を輝かせて、エリカさんの横顔を照らす。

 そして抱きしめていた彼女の体を離して、まだ真っ赤に泣きはらしたエリカさんの目を真っ直ぐに見つめた。


小貫こぬきさん……私のために、ここまで……っ?」

「助けに来たのは僕なのに、こんなに泣いちゃってごめん……っ。でも、僕だけじゃないんだ……! 悠生も、永久とわさんも、サダヨさんも、四ノ原しのはら君も……マンションのみんなも、エリカさんが帰ってくるのを待ってる……!」

「マスターや、みなさんが……っ」


 これから先がどうなるかなんて分からない。


 僕がここでエリカさんの力を砕けば、エリカさんの殺し屋の力も無くなってしまうかもしれない。


 でも、そんなこともうどうでも良い。


 ただエリカさんが元気で、笑ってくれてさえいれば。

 ただ生きてさえいてくれれば、それでいいんだ。 


「だから帰ろう……! 僕と一緒に、みんなのところへっ!」

「はい……っ」


 暗い闇の中。差し出した僕の手をエリカさんは確かに握ってくれた。

 なら、僕がここでやることは一つだ!


「月よ! 森羅万象を抱き、星辰の道行きを――――!」

『――――その光、最後に見たのはいつのことだったか』

「っ!?」


 その声は、まるで僕の耳のすぐ傍で聞こえたように感じた。

 その声は、僕がこの場所にくる前に聞いた声に似ていた。

 その声は、僕が生まれて今までの中で、一番どす黒く、恐ろしい声だった。


「星よ――――ッ!」


 エリカさんを抱きしめながら闇の中を跳ぶ。

 同時に、僕は二十七個の星全てを呼び出して、全力でその声目掛けて光を叩き付けた。だけど――――!


『どうやら、保存状態は良好のようだな? よく〝再現〟できている……』

「誰……っ!? 誰なの!? どうしてここに……!?」


 僕の放った星の光は、紫色の靄に飲み込まれるようにして消えた。

 そしてその靄の向こう。


 そこには、闇の中で興味深そうに僕を見上げる〝一人の男〟が立っていたんだ。


『〝円卓の父〟――――もしくは〝創世主Lord Genesis〟。今はそう呼ばれている』


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