一杯の年越しそば

アキラヒカル

一杯の年越しそば

私が産まれたのは1979年、赤いきつねは1978年

私の一個上に誕生した、その後に緑のたぬきが1980年に

誕生した、私はその間に挟まれている。


 思い出せば、私は産まれて直ぐに母親が子宮癌で亡くなった

兄妹は三人いたが、父だけでは仕事しながら、育児も

出来るはずも無い、仕方なく施設に入ることになった。


 そこでは同じ境遇の子供達がいて歳もバラバラでだいたい

幼稚園に行くくらいの子供達と親が迎えに来ない

中学生まで過ごせる、その後は詳しくは無いのでここでは

その施設の生活とその後の生活を書きます。


 大人は多くないのでみんなはとにかく言う事を聞いて

わがままを言う子は居なかった、とにかく愛に飢えていた

のを覚えている、月に一度面会に来る親をみんな

待ち望んでいた、楽しみはそれだけです。


 お昼寝はみんなで布団を敷いて並んで寝ると決まっていた

ご飯は何を食べていたのか思い出せない、自由時間は朝と

午後にあった、当然カップうどんは出て来ない。


 どれくらい、いたのだろうか長くは無かった父が再婚して

私は施設の子供達と別れた、その後はアパートで暮らしていた

家族で一緒に過ごした時間は短かった、中学生を卒業すると

私は父の建設業のタイル職人を手伝ったが、直ぐに家から

遠くに一人暮らしで仕事することになった、その間に両親は

離婚した、母親は台湾の人だったので、日本の行事はわからなくて

年越しそばを知ったのは中学生の頃だった。


 一人暮らしが十五歳からなので、クリスマスとか大晦日で

おせち料理を食べることは無かった、誕生日も一人で祝う事も

無く、暇な時間はゲームをしていたので

それでも年越しそばを食べてみたいって気持ちはありました。


 私は断然赤いきつね派なんです!

あのお揚げを最後に食べる派なんです!

寒い冬には温かいうどんを少し柔らかめでまず先に

うどんを食べてソープを飲むからのお揚げで

ご馳走様でしたと満足してました

だがしかし何故年越しそばなんだ!


 仕方あるまい、これが日本の行事なんだから、なので

年越しそばは、が現れる!

いつも赤いきつね派だから年越しそばに食べる緑のたぬきは

私にとっては年に一度のこのイベントで登場する。


 一人で食べる年越しそば

普段は赤いきつね様、今日だけは緑のたぬき様に出番を!


というわけで私にとって年越しそばとは緑のたぬき様の

恩恵を受けている、たまに食べるのか食わず嫌いなのか

知らないけど、緑のたぬき美味しいじゃん!


それからは緑のたぬき様と赤いきつね様を二つカゴに入れている

日本の行事を知らない私でも毎年の年越しそばとは

緑のたぬきを食べる日になった。


二つとも私とほぼ同い年なんて、なんか無くなって欲しく

無いな、施設で別れたり、両親が離婚したり、慣れしたんで

来たものはいつまでも一緒に居たいから、消えてくれるなよ


『赤いきつねと緑のたぬき!』



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