第88話 郊祀の日の星空

なんだかんだで質屋を出て、あたしが普段バイトしているそのみせに行くと、案の定、多くの客で混雑していました。普段は奥の方に鎮座していたはずの店長も今日ばかりは作業着を着て、キッチンから出された料理を次々と運んでいます。

あたしはスタッフ全員と顔見知りです。肆に入るとスタッフが1人駆けて、店長に報告しました。すると店長は顔色を変えて、あたしのところへ走ってきます。


「今日のシフトは大丈夫だと言ったが、やっぱり手伝ってほしい」

「わかりました」


そんなことだろうと思ってましたよ。


「それでは私は客として中にいますね」

「はい。わかりました。‥‥あれ?」


あたしははっと我に返って、肆の中に入る子履しりの後ろ姿を眺めていました。いや子履いたんかい。いたよ。ずっと横にいたよ。同行してたよ。忘れてたよ。


◆ ◆ ◆


もう建未けんみの月(※グレゴリオ暦6月相当)ですし、そろそろ冷やしうどんの季節ですね、新しいメニューでも開発しましょうか、などと思いながらキッチンで作業していると、キッチンの外側から叫び声がします。姬媺きびの声です。あの3人、ここに来たんですね。もしかして姬媺きび、数時間も諦めずに叫び続けていたんですか。品性はともかく、根性はすごいです。


注文が入ったので、あたしは料理を運びに行きました。子履の席でした。


「持ってきてくれたのですね。ありがとうございます」

「あ‥‥冷めないうちに食べて早めに帰ってくださいね」


あたしは少し乱暴に料理をテーブルに置きますが、子履は懲りずに話を続けます。


「こうしての料理を食べるのも久しぶりですね。斟鄩しんしんに来てから、めっきり機会が減りました」

「あっ‥」


確かにそうです。あたしは料理人としてしょうに行って働いていたのですが、学園に来てからは数日に1回しか料理しなくなりました。あたしがシフト表をできるかぎり隠匿したのも手伝って、子履にこうやって料理を手渡す機会はほとんどありませんでした。


「‥そうですね」


料理人として感慨深いです、と言いかけましたが‥‥言わないほうがいいですね。それよりも、今日は客が多いので早く次の料理を作らなければいけません。あたしがそのテーブルを離れると、ふと、そばのテーブルに妺喜ばっき終古しゅうこがいるのに気づきました。2人きりです。急がなければいけないのでろくに話し声は聞きませんでしたが、妺喜は微妙に終古から視線を外しつつ、ぎこちなさそうに話していました。


◆ ◆ ◆


郊祀こうしは、うらないで選ばれた牛を大切に育て、美しく着飾ったものを天や地に捧げます。その年も、美しい牛が北の郊外に連れてこられました。‥‥が、どうやら様子がおかしいようです。


「おい、動け」


牛が地面に固まったまま動きません。夏后履癸かこうりきがその尻を蹴ろうとしますが、「穢してはなりませぬ」と羊玄ようげんに止められます。すると夏后履癸は、周囲の家臣たちに目で合図します。家臣たちはすかさず、その牛を引っ張って先に連れて行こうとしますが、牛は蹄を地面に引っ掛けて動きません。


「もういい、ここで殺せ!」

「陛下、縁起でもないことをおっしゃるものではありませんぞ。牛はあの円丘まで連れて行って殺さなければいけません。まずこの祭祀を成功裏に終わらせるのです!」


羊玄が怒鳴って、夏后履癸を無理やりたしなめます。夏后履癸は「はぁ」とわざとらしく大声でため息をつきます。


えんえんが待っているのだ」

「2人の女と国益のどちらが大事ですか!」


そこまで問答してから夏后履癸はもう一度わざとらしくため息をついて、地団駄を踏みます。地鳴りで牛が驚き、足をばたつかせ、そのまま横に倒れます。


「起こせ!」


夏后履癸は当然のようにその牛を指差し、家臣たちに怒鳴ります。兵士が3人ほど集まって牛を起こそうとしますが、なぜか牛はくったりとしていて動きません。兵士の1人が報告します。


「申しあげます。牛は死んでいるようです」

「そうか。ならば郊祀は中止だ。わしは琬・琰にこのことを報告する」


そう言うやいなや、小走りになって夏后履癸は用意した馬車に乗ろうとしますが、それを後ろから羊玄が大声で止めます。


「祭祀の牛がここで死んだのはにとっての凶兆に違いない。にもかかわらず女と遊ぶとはどういうことであるか。まつりごとに励み、国難に備えなさい」


夏后履癸はまゆをひそめて、羊玄を睨みつけます。


「政はお前らの役目だろう。わしの代わりに何年も何年もやっておいて何を言う」

「我々の仕事は、本来陛下がやるべきことだったのです。ここ数年の大冷害にありながら全てを家臣に任せる王など、古今東西聞いたことがありませぬぞ」


ため息をついて、しぶしぶ牛のところに戻った夏后履癸は、「くそ!」と言って牛の尻を蹴り上げます。それから、そばの文官に怒鳴るように命令します。


風䅵ふうしゃく風普ふうしん

「はい」

「お前らは呪術が得意だったな?この冷害を止めろ。いいな?」

「陛下、私たちはそのような能力は持ち合わせておりません‥」

「今年のうちに止められなかったら死罪にする」


そう言って夏后履癸は小走りになって馬車に戻ります。そうして、何人も入りそうな馬車の中にたった1人だけ鎮座して、そのまま斟鄩しんしんに向かって走らせます。

羊玄は頭を抱えてため息をつくと、2人を振り返ります。


「風䅵、風普。さっきの陛下の命は忘れてほしい。わしからきつく言っておこう」

「ありがとうございます」


2人ははいをして、羊玄に深く礼をします。それをうなずいて見たあとで、羊玄は空を見上げます。すでに夕方になっており、うっすら星の見える暗さでした。

その星の配置がいつもと違うことに気づき、羊玄は目を凝らします。


「‥‥夏は滅びぬ。わしの生きている限り」


祭祀は朝におこなう予定でしたが、夏后履癸が寝坊だの女と酒だので遅れてしまいこの時間になったのです。日を改めるわけにもいかず、半ば無理やり実施した郊祀で、このような天文が出ていては世話ありません。

羊玄は、少し騒がしくなった家臣たちを背に、1人で歩いて行きます。


「俺もいるぜ、じじい」

「お前はもう少し礼儀を習ったらどうだ」


羊玄の肩を掴んで、公孫猇こうそんこうは笑いました。


◆ ◆ ◆


同じ星空の下で、あたしは及隶きゅうたいの体を水で洗っていました。屋内ではしょうの屋敷のような専用設備があるわけではなく普通の部屋でやるとしめってかびがでてしまうので、屋外の庭でビニールのようなシートをしいてやっています。もちろん近くに男子の部屋がないのは確認済ですがそれは1,2階の話で、3階の男子の部屋が真上にあるので早く終わらせなければいけません。


「水は冷たいっす」

なつくらいいいでしょ」


及隶の体をこすり終わったあたしは、桶をひっくり返して一気に洗い流します。及隶は寒そうに震えていましたが、あたしがタオルで拭いてやると落ち着いたようで、服を着始めました。あたしも自分の体は先に洗っていたので、そろそろ服を着ないと冷えてしまいます。


急いで服を着終わって及隶を見ると、なんだか星空を見上げているようでした。何か声をかけようとしましたが、見上げている及隶の後ろ頭と背中がかわいかったので少し見とれていた後、あたしも一緒に星空を見上げました。

星空は前世とは比較にならないほど美しく、くっきり見えます。前世の田舎でも見たことがないくらい、くっきりはっきり、星がきらきら輝いていました。


「‥‥は残り数年で滅ぶ」


ん?

あれ、今、及隶がなんか言った?ですが‥及隶が言うとは思えないまじめな言葉です。周りに誰かいる?と思ってあたしは見回しますが、このあたりには茂みも多く人を探すのに時間がかかるのですぐやめました。ていうかあたしたちの他に誰かいた?裸を見られたんでしょうか?


たい、早く戻るよ」

「わかったっす」


及隶はやはり無邪気な笑顔で、その洗い終わったばかりの体を激しく動かして、元気いっぱいであたしに返事しました。

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