第88話 複雑

 目標海域まであと1日かかるということで、俺たちは個室で休みを取ることになった。戦争が始まってしまえば、いつ休めるかもわからない。だから、休める時に休んでおく。


 とりあえず、剣の手入れを早めに済ませて、エルに食事を与える。


「美味しいよ、我が主よ」

「明日は頑張ってくれよ」

「もちろんじゃ」

「頼りにしているぞ、相棒!」

「当たり前だ。お主たちは、邪龍を討伐し、わしらを解放してくれたんだ。恩は返さなければな!」


 頼もしい相棒に、俺は安心する。双頭龍は、S級冒険者数人分の強さに匹敵する。そいつが俺たちを助けてくれるのだ。魔王軍最高幹部とも正面から戦えるほどの戦力になってくれるだろう。


「しかしな、我が主よ?」

「なんだ、エル?」

「今日のうちに、ナターシャとよく話しておいた方がいいぞ!」

「……」


 だよな。エカテリーナとの偶然の再会のせいで、ナターシャにはちょっと悪いことをしてしまった。いくら鈍感な俺とはいえ、それはよくわかる。さすがに、思い人が、自分とは違う他の異性と抱擁していたら、どんな聖人だって、モヤモヤする。


「ああ、そうだな。ちょっと、行ってくるよ」

「健闘を祈るよ、主様」

「ありがとう!」


 俺は駆け足でナターシャの元へと向かう。


 ※


「どうしたんですか、先輩? 休まなくていいんですか? 明日は決戦の日ですよ?」

 ナターシャは、一見普通に振る舞っていた。


「ああ、でもさ、なんか眠れなくてな。もし、よかったらお茶でも飲まないか? つきあってくれよ」


「仕方がないですね。入ってください。少しだけなら、お茶につきあってあげますよ」


「ありがとう」


 俺はナターシャの個室に、案内された。


「はい、どうぞ!」

 ナターシャは温かい紅茶を淹れてくれる。艦の中では、火気の使用は危ないので、俺が魔力でお湯を沸かすしかなかったのが面倒だったが――


「いい匂いがするな、このお茶!」

「少しだけワインを混ぜました。お茶とアルコールには気持ちの鎮静効果がありますからね。少しだけ砂糖を入れているので、美味しいと思いますよ」


 アルコールとお茶の香りが俺の心を鎮めてくれる。たしかに、リラックス効果があるな。


「それで、なにか話したいことがあるんですか?」

「うん、エカテリーナのことなんだけどさ」


「やっぱりそうですよね。でも、わかっていますよ! さっきのは、との感動の対面ですからね。感情が爆発したっておかしくはありません。たしかに、嫉妬感がなかったといえば、嘘になりますよ? モヤモヤしたのは、私も悪くないですよね?」


「ああ、悪くない! 俺が、無神経すぎたんだよ。本当にごめんな、ナターシャ」


「だ・か・ら、謝らなくていいですよ。無神経なわけがないじゃないですか。エカテリーナさんの件は、私だって昔から聞いてましたよ。だから、先輩がどれだけ嬉しかったのかはよくわかるつもりです」


「本当に、ナターシャはすごいな。現代の聖女様ってあだ名は伊達じゃない」

「おだててもなにもでませんよ。でも、今回のクエストが終わったら、1日私と楽しくデートしてください。それで水に流します」


「ああ、それくらいなら、お安い御用だ。むしろ、お前と遊べるのなら、俺にはご褒美だからな!」

「ご飯くらい、奢ってくださいね」

「もちろんだ!」


 俺たちは、真正面から向き合うことで、わだかまりが解けた。やっぱり、エルの助言に従ってよかった。


「先輩、そろそろ寝た方がいいですよ? 明日は大変ですからね」

「ああ、そうするよ。ナターシャ、明日も頼りにしているからな、よろしく頼むぞ!」

「もちろんです! ゆっくり休んでくださいね!」


 こうして、俺たちは解散した。


 ※


「私って意地っ張りだな……でも、意地くらい張るよね? だって、私は女だから――」

 なんとか、自分の本心を先輩には隠し通すことができた。


 先輩とエカテリーナさんが話しているだけで、私の心には嫉妬で狂う自分がいた。


 そんな自分が大嫌い。


 先輩の話を聞けば、エカテリーナさんが初恋の相手だって簡単にわかる。でも、彼は私を選んでくれているのだ。彼を信じなくてどうするのよ?


 理性ではそう分かっているのに、どうしても割り切れない自分がいた。


 だから、私は


 エカテリーナさんのことをを、先輩の「親友」と呼んだり、次のデートの約束を取り付けて、自分の浅はかな独占欲を満たしたり――


 これじゃあ、"現代の聖女様"なんて呼ばれる資格なんてないよね……


 私は自己嫌悪に陥りつつ、それでも変わらない彼への気持ちを胸に眠りにつく。


「あなたのことが、大好きなだけなんです」

 これをもっと簡単に言える関係なら、こんなに悩まなくても済むのに……

 私は、長い夜を迎えた。

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