第21話 無慈悲な教師

「またこれか……」

 累が、ぼやいた。

 帝陵ていりょう高校校舎二階にある職員室。開け放たれた窓から陽が差し込み、乾いた風が吹き込んでいる。ここには、岡村、九十九、累以外に人の姿はない。岡村は、自分のデスクの前に座り、九十九と累は立たされていた。

 昼休みが終わり、五時限目の授業が始まっているが、岡村教諭には関係なかった。九十九が、授業を一時間参加しなかろうが今更な話である。それよりもこの問題児の生活態度についての議論の方が大事だ。

「阿原」

「……」

「彼女が……例の親戚とやらか?」

「えぇ……まぁ、一応」

「はいか、いいえ」

「はいっ」

 この女教師に、曖昧な返事は許されない。目の前に座る岡村は腕を組み、氷のような視線で上目でこちらを見ている。

「はぁ~、雪ちゃん。勘弁してよ。俺、数学落としちゃうじゃん」

「お前の場合、数学だけではない。進級できるかどうかという話だろうが。今回は私の話を聞いて、明日から挽回出来るようにしろ。あと、敬語だ阿呆」

「勘弁してください、雪ちゃん」

「雪ちゃんはやめろ。次言ったら去勢するぞ」

「冗談に聞こえねぇよ……」

 ふざけおって、と、岡村は眉間に皺を寄せ、不機嫌顔だ。


 この岡村雪という日本史教師は、生徒から恐れられているが、嫌われているわけではない。むしろ、真面目な模範生徒達にとってはありがたい存在だった。ただ歴史をなぞるだけの暗記授業ではなく、歴史にストーリーを持たせた面白い授業をする。表舞台に立った偉人のみならず、その影に埋もれた裏の立役者にまでスポットを当て、どうしてこの出来事が起きたのか、この事件が遡ればどこに繋がっているのか、良質な歴史小説のように展開する。淡々としていながらも、分かりやすく嚙み砕いた説明に、まるで見てきたかのような迫力ある語り口。難解に絡み合う歴史を紐解いていく興奮は生徒達にも伝わり、一部の生徒を除いて、岡村の授業は非常に好評だった。

 そして、ありがたい存在である理由がもう一つある。その美貌だ。顔の全てのパーツの均整がとれていて、美人といわれる類のものだろう。それは、無表情であろうが、眼鏡を掛けていようが損なわれるものではなかった。美貌だけではない。細くすらっと伸びた手足に、引き締まって窪んだ腰。なにより、リクルートスーツを盛り上げる豊満な胸が、男子生徒の目を釘づけにしていた。現に、岡村を見下ろす九十九には、組んでいる腕が見えない。担任教師に邪な思いを抱くほど落ちぶれていないつもりだが、こうしてその胸を見てしまうのは、男の本能がそうさせていた。

 教師としての高い腕と、妖艶な大人の魅力で生徒の人気を獲得している岡村だが、授業進行を妨げられることを非常に嫌う。大概の教師がそうだが、岡村の授業スタイルの性質上、どうしても授業内容がタイトになる。日本史というものの面白さを伝えるには、高校の教育課程では少なすぎるのだ。だからといって、要点のみを黙々と暗記させる授業では、苦手意識を植え付けてしまう。それに、生徒達が学ばなければならないことは、他にも山ほどある。どうにか生徒達の心と頭に残る授業に出来ないものか。そうして、日々苦心して組み立てた授業である。大人しく聞いてもらいたいものだが、生徒もそれぞれ、十人十色だ。


「毎日こう、口うるさく言われるのは嫌だろう?先生は嫌だ」

「いや、俺らばっかじゃんっ。桧山とか全然学校来てないし、村上だってずっと寝てるぜ?」

「あいつらにも個別で対応してる。他の者を引き合いに出すんじゃない」

 岡村が咎めるように言って九十九を睨んだ。

「……あのな、阿原。何度も言うようだが、義務教育はもう終わってるんだ。この学校に入学して、私の生徒となった以上、出来る限りサポートはしていく。だが、限界もある。生徒はお前だけではないしな。となれば大事なのは姿勢だよ」

「姿勢ねぇ……」

「可能性がなければ、先生は何も言わない。折角、良い友人がいるんだ。友人の為に学校に来い。友人の為に勉学に励め。友人と次のステージに昇れるように……頑張りなさい」

「頑張れって……」

 珍しく曖昧な言葉だ。だが、最後の言葉は柔らかく、優しさを含んでいるような気がした。

「良い師ではないか」

 九十九が声の方へ振り向くと、累が腕を組んでうんうん、と頷いている。岡村の言葉に感銘でも受けたか。

「お前なぁ……」

 がっくりと肩を落とす。もう、言葉も出てこなかった。

「それで……君が佐々木累さん?」

「そうです。貴殿は……雪ちゃん?」

「岡村だ」

「あぁ、申し訳ない。岡村殿」

累は、慇懃いんぎんに頭を下げた。

「この阿呆は、君を親戚だと言っているが、それに間違いはないか?」

「ちょっ、雪ちゃん!疑ってんの?」

「お前の話すことは全てな」

「……」

 またしても言葉が消失した。普段の生活態度のツケが回っている。

「し、親戚で間違いないが」

「本当に?」

「う……うむ。本当だ」

 岡村が目を細めた。かなり疑っている。累の恰好を見れば当然とも言えるが、このままでは、累がぼろを出しそうだ。岡村の圧に動揺してしまっている。

「どうしてそんなおかしな恰好を?」

「やっぱりおかしいか……」

「コスプレだよ、コスプレ!趣味なんだよ」

「その腰に下げているものも、小道具ということか?」

 腰に下げているもの――累の大小に目を遣る岡村。何故か累は、刀に布を被せていた。しかし、すぐ抜けるようにか柄の部分が露出している。全く意味がない。

「と、当然じゃん。たくっ、こんな恰好で歩き回るなんて困ったもんだぜ」

「お、お前までぇ……」

 累が半眼で九十九を睨んだ。おかしいと立て続けに言われ涙目になっている。

「睨むな。待ってろって言ったのによぉ」

「少しくらいいいだろう!どいつもこいつも子供扱いしおってっ」

「何を怒ってんだよ……って、雪ちゃん?」

「……」

 気付くと、岡村は黙りこくって思案顔だ。累の姿を、じっと見つめているようで見ていない。その表情に色は無かった。

「ちょ、ちょっと?雪ちゃん?」

「……ん?何だ?」

「いや、何だって……どうしたの?」

「……何でもない。さぁ、話は終わりだ。阿原は教室に戻れ。佐々木さんは帰りなさい」

「は、はぁ……」

 どこか急いているように見える。恐らく六時限目に岡村の授業があるのだろう、と思って退出しようと振り返った。出入口に向かおうと数歩、歩き出した所で累が付いてきていないことに気付く。

「おい、累」

「岡村殿っ」

 累が岡村に声を掛けた。その声音は、何かを決意したような強いものだった。

「なにか?」

「この学問所で……私に手伝えることはないだろうか?」

「はぁ!?」

 岡村は呆けた顔で累を見た。九十九も初めて見る顔だった。虚を突かれた、といった様子だ。

「……というと?」

「雑用でも何でもっ……ここで働かせてくれ!」

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