相変わらずの公爵夫妻と共に

「頼む、オリヴィア。今はどうか邸で過ごしてくれ」


「ごめんなさい、旦那さま。公爵夫人として少しでも皆様のお役に立ちたいのです」


 オリヴィアは毅然として、レオンに意見を述べられるように変わっていた。

 だがその性分は育ちの影響が残ったまま……ではなく、これはもう生まれ持った性分だったのではないかと、レオンを含め公爵家の面々はそのように考えるようになっている。


 とはいえ今は、レオンも譲れない。

 いくら妻に甘いレオンでも、いや、妻に甘いからこそ。


 今は妻を説き伏せなければならないのだ。


「もうオリヴィアは十分に役に立っている。いいや、役に立ち過ぎだ。だから頼む。今は邸でおとなしく……そんな顔をしても駄目だぞ、オリヴィア。とにかく今日は出掛けることをやめにしよう」


「今日は駄目です、旦那さま。施設に初めていらっしゃる方がお見えになられます」


「それは施設の者らに頼めばいいし、オリヴィアの仕事ではないぞ」


「私に会う日を楽しみにしているとお手紙に書いてくださった方なのです。滅多に王都にも来られないそうで。お許しいただけませんか?」


「くっ。だからと言ってだな……」


 深緑色の瞳にじっと見詰められて、レオンは負けた。


「……分かった、オリヴィア。だが今日は挨拶だけだ。挨拶だけだぞ?」


「いえ、そのあとは前々からお呼ばれしておりました訓練所の皆様のところにお伺いして。それから街にも──」


「オリヴィア!少しは体のことも考えてくれ!頼むから!」


 膨らんだお腹にそっと手を置き、オリヴィアはにこりと微笑む。


「今は元気なのですよ、旦那さま。まぁ……蹴られました」


「なんだと!平気なのか?」


「旦那さま、子はお腹を蹴るものだとお医者様から一緒に聞きましたでしょう?」


「オリヴィアの腹を内から蹴るなど。なんと無礼な……生まれる前から先が憂えるな」


「ふふ。そんなことを仰らないでくださいませ。旦那さまもお腹にいた頃は、お母さまのお腹を蹴っていたかもしれませんのに」


「俺のことはいいのだ。あぁ、心配だ。やはり今日は大人しく邸で休んでいた方がいいな。そうしよう」


 深緑色の瞳が、またじっとレオンの顔を見詰めた。

 ぐぅっと言葉にならない音がレオンから漏れてくる。


「あの子に会って来てはいけませんか?しばらくはこちらの都合で会えず、きっと寂しがっている頃だと思うのです」


「あれが淋しがるものか。放っておいても、あやつは楽しく働いていよう」


「私が会いたいのです。どうしてもいけませんか、旦那様?」


 はぁっとため息を吐いてから、結局折れるレオンだ。


「分かった。俺も行く」


「え?旦那様はお仕事が」


「いい。もう今日はすべてオリヴィアに同行することにした。その代わり明日はならんぞ。いいや、もう明日からずっとだ。邸で大人しく過ごしてくれ」


「いえ、明日からもしなければならないことが沢山あって。今までお声掛けいただきながら長くお待たせしてしまった方々のところには順にお伺いしなければなりませんし、ご令嬢の皆様がいらっしゃる予定も詰まっておりまして……」


「俺から各所に連絡を入れておくから、気にするな。彼らも事情を知っているから分かってくれる。それからしばらくは貴族らの新規受付は取り止めるぞ!」


「いけません、旦那様。ご令嬢の皆様が泣いてしまいます」


「知ったことか。そもそもおかしいのだぞ。貴族のマナーなどその家で躾けるものだからな?」


「よく分かりませんが、皆様が仰るには箔が付くそうなのです。だからどうしても施設を出た証書が欲しいと。それもなるべく急ぎで欲しいと望まれています」


「どうせ縁談目的だろう。まったく、どうしてこんなことに……」


 レオンはぶつぶつと小さな声で何か続けているが。

 オリヴィアもオリヴィアで、勝手に話していた。


「お断りするならば、私からも謝罪のお手紙を書かなければなりませんね。公爵夫人として至らぬ私であることを誠心誠意お詫びしなければ……手紙だけでは失礼でしょうか。王都でお会いして謝罪する形ではもっと失礼に?やはり領地にお伺いして……お誘いもありましたしその方が……」


「どうしてそうなるのだ!オリヴィアは何も悪くないし、謝罪も無用!王都など行かなくていいし、他領に出向くなどもっての外だぞ!」


 邸内でレオンはよく声を張り上げるようになった。

 もうオリヴィアがびくりと体を揺らすようなことはない。


 


 側で控える侍女長は、公爵夫妻の慣れた会話に耳を澄ませながら、今日は懐かしいことを思い出していた。


「オリヴィアちゃんの美しさったらもう。今日も可愛かったわね。うふふ。成長が楽しみだわ。ふふふ。すべては母親なのよ。オリヴィアちゃんの代で貴族の母親から変えるわよぉ!」


 ある日、先代公爵夫人はやる気に満ち溢れた声でそう言った。


 あのように興奮されることも珍しく。

 どうして忘れてしまっていたのかしら?

 忘れていなければわたくしは──。


 侍女長はかつてを懐かしみながら、かつての己を非難した。

 先代公爵夫人の想いを覚えていたら、最初からオリヴィアを大切に出来ていたはずだったのに。

 なんてことをしてしまったのか。


 侍女長はその心中で先代と当代の二人の公爵夫人に懺悔する。



 先代公爵夫人はこうも言っていた。


「息子を美男子に産めなかったことは残念だわ。だけど私たちの子どもだもの、仕方がないわね。オリヴィアちゃんの成長と、オリヴィアちゃんの血の濃さに期待しておきましょう」


 あの頃の侍女長は、無表情のまま返答もせず、ただ耳を澄ませていた。

 しかし今の侍女長であっても、このときの先代公爵夫人には何も返答が出来なかったと思われる。


 そして先代公爵夫人は次のように続けていた。


「ふふふ。あなたたちも楽しみにしていなさいね。あの子たちに憧れるご令嬢たちが、喜んで貴族らしく振る舞う未来がやって来るわよ。あの子たちの代には公爵家の役割も随分と変わっているでしょうね。あなたたちは、美しい人をもっと美しく輝かせる腕を磨いておかなければならないわよ」


 侍女長は想う。

 先代公爵夫人が生前に望んでいたこと。

 それはまさに今、公爵領で起きていることではないかと。


 貴族としてよく学んだご令嬢が、やがて母になり子を育てれば。

 その子どもたちは、母親たちによって貴族として正しき大人になるよう導かれていくに違いない。


 そしてまた彼らが──。




「おい、お前たちも見ていないでオリヴィアを止めてくれ!」


 レオンの大きな声に思い出から引き戻された侍女長は、現当主夫妻に柔らかく微笑み掛けた。






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