とても貴重な公爵夫人

「公爵位を避けられる理由は他にもあるんだ」


 ルカはオリヴィアを諭すように、ゆったりと語る。


「公爵領は通常の領地と同じようには経営出来ない。罪人を多く抱え、特殊な施設も沢山あって、善良な領民もいて。多角的に考えながら領地を経営していかなければならないんだ。そのうえ処分の決まった罪人たちを管理する重要な責務まである。これがなかなかに大変な仕事でね。分かっている貴族ほど、公爵位なんてとんでもないと考えるものなのだよ。君主危うきに近寄らず、ってやつでね。奥さんに言えたことではないかもしれないけれど、レオンも公爵になってからはかなりの苦労をしてきたんだ」


 オリヴィアが心配そうにレオンを見詰めると、ついうっかりとレオンはオリヴィアの手を取り、自身の膝に乗せ指を絡めるようにして握り締めるのだった。

 ちなみに向かい側のソファーに座るルカにはどうせ見えないだろうと、この部屋に入ってからずっと妻の背に手を回していたレオンであるが、そちらもルカにはばっちりと見えている。


 ルカは何も見なかったことにして、先を語る。


「そんなレオンに、さらに領地を与え、もっと働けと陛下は言っているんだよ。酷い話だと思わないか?」


 王命に対して酷いと言うわけにもいかないオリヴィアは、「旦那様が大変なのだと分かりました」とだけ伝えることにした。

 その視線はレオンに縋る。

 

 ルカはこれで満足したらしく、にっこりと微笑むと、今度はオリヴィアについて語っていく。


「奥さんもこれと同じことなんだよ」


 オリヴィアがレオンからルカへと視線を移した。

 ぱちんと片目を閉じるようなことをしたルカは、レオンに睨まれているが、それも見えないことにしてオリヴィアに自身の本意を説明する。


「犯罪者を多数抱えた領地に住みたいと願う令嬢はどれだけいるだろうか?視察などで犯罪者と向き合うことになるかもしれないが、そんな役目を果たしたいと望む令嬢はどれだけ存在しているだろう?」


 オリヴィアは何かに気付いた顔をした。

 わざとらしく悲し気に息を吐いてから、ルカは続きを語る。


「実は歴代の公爵たちも妻探しには大変苦労してきたようでね。どうしようもない場合には、王命で無理に結婚させるようなこともしてきたんだ。そんな僕らは、レオンの結婚相手として伯爵家が早々に名乗りを上げたと聞いたとき、状況は掴めていなくてもおおいに喜んでしまってね。どういうわけか、レオンに見合う年齢の令嬢たちは幼いうちにさっさと婚約相手を確保しているし、最悪、王女の誰かが降嫁しないとならないかなぁと考えていたところでね」


 レオンは目が合ったオリヴィアに、必死に言った。

 別にオリヴィアは疑うような目で見ていたわけではない。

 だが、おそらくは……レオンにはそれが分かったのだろう。


「俺は王女殿下など望まんぞ!これまでだって一度も望んだことはないからな!王家の娘だからなんだというのだ。そんなもの、俺には必要ない。信じてくれ」


 これにはルカが呆れて首を振っていた。


「あのね、君はそう言うけれど。僕の姉妹たちだって嫌がっていたからね?罪人相手の公爵夫人なんて嫌だってさ。それからレオンのことも好みではないそうだよ」


「何をっ。こちらからお断りだ!それにだぞ、俺と見合う年齢の令嬢たちがさっさと婚約していったのは、お前たち兄弟が恐ろしいからではないのか?」


 そこではっと気付いたレオンは言う。


「すまない、オリヴィア。俺のせいで、王家も嫌がる公爵夫人などにさせてしまった。嫌であろうし、やはり俺も──」


「だから、陛下の決定だってば。ねぇ、奥さん。公爵夫人の役目、罰としてこれからも引き受けてくれるね?」


 オリヴィアはすっと頭を下げた。

 レオンと手が繋がっていて、それも一向に離してくれないので、なんとも恰好は付かないが。


「謹んでお受けいたします」


「オリヴィア、本当にいいのか?」


 顔を上げたオリヴィアは、レオンに微笑みを見せ、頷いた。


 ルカはうんうんと頷き、良かった、良かったと繰り返しては、やがて言う。


「だからさ、レオン。馬鹿なことは考えていないで、奥さんにも仕事を手伝って貰うようにね」


「オリヴィアに辛い仕事など。いや、しかし……」


 ぶつぶつと誰にも聞こえないような声で何か続けていたが、そんなレオンを無視し、ルカは覚悟を決めたオリヴィアに説明していく。


「安心してよ、奥さん。すでに知っていると思うけれど、陛下は罪人の命を無駄にしないことになっているからさ。処刑の場なんて目にすることはないし、今日のような重罪人もそう出るものではないからね。出たところで、今回のようにこの場に奥さんが付き合うこともないんだ。それはレオンの役割でいい」


「はい」


「歴代の夫人がしていたことは──」


「待て、待て。その先は俺が説明するから、もういい。お前は帰ってくれ」


「えー」


「えーじゃない。本当にそろそろ帰れ」


「夕食の誘いは?」


「誰が招くか。早く帰れ。今すぐにだ」


 二人の男の言い合う声とくすくすと笑う声が響く部屋は、管理棟の一室とは思えぬ温かい雰囲気に包まれていた。

 公爵領の新しい時代が来たことを、部屋の前で待機していた騎士の一人はこの日感じたという。




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