一章③
そうして、わたしは西燕国の王宮に
「
一人、出迎える者がいた。王宮に留まる可能性があるなら、初めから神子として会いに行く方が後々都合がいい。それならば筆頭神子に話を通しておいた方がいいだろうと蛍火が事前に
蛍火が声をかけ、待っていた神子が顔を上げる。長い
「蛍火様、一人、この国付きの神子を増やしたいとのことでしたが」
「ええそうです。心配せずとも、役立たずの増員はしませんよ」
もう少し良い言い方があるだろう、と思っていると、蛍火の手がわたしを示し、瑠黎がわたしを見た。瞬間、瑠黎は息を
「睡、蓮様……?」
瑠黎もまた、外見は蛍火と同じくらいの
「ご本人です。理由は不明ですが、記憶をお持ちのまま再びお生まれになりました」
「久しぶり、瑠黎」
わたしの声を聞き、瑠黎は
「お久しぶりです、睡蓮様」
「ちょっと、瑠黎まで?」
瑠黎も自然に最敬礼をするものだから止める
「瑠黎、これからわたしがあなたの部下になるんだから」
「部下……?」
無表情に戻った瑠黎は声だけ
「増員の神子は彼女です」
「は?」
瑠黎も「は?」とか言うのだな、とわたしは場違いなことを思った。
「花鈴様も蛍火様もご存じかとは思いますが、陛下の私室へ案内させていただきます」
あの後
「私室にご案内しますが、少し待っていただくことになるかもしれません」
「どうして?」
「瑠黎?」
何かを
そういえば、とわたしは正門の前で衛兵が気になることを言っていたと思い出す。蛍火と再会したり一気に色々なことが起こって頭の
「また新王が
そのとき、後ろからそんな声が聞こえてきた。新王という単語に、わたしは歩みを
「ただでさえ
「先代王の時代の
「そもそも百年
後ろを横切ったのは、文官のようだった。やっぱり新王に対するよくない評判は
「実は、陛下はよく部屋からいなくなられるのです。その
「自分で、部屋を
はい、と瑠黎は歯切れ悪く言う。
勉強が
「瑠黎、新王の評判は
蛍火が、先ほどの臣下たちの会話を示して、瑠黎に尋ねる。
「はい。陛下の度々の失踪でさらに悪くなった点は
「最初から? 何もしないうちから? 『初対面』から?」
わたしの食い気味な問いに、瑠黎は「はい」と
弟が逃げ出したくなる理由はそれだ、と思った。わたしの不安は
「わたしも捜す」
「今女官達が捜していますので、お待ちいただければ……」
「瑠黎、人手が増えるのですからいいでしょう」
わたしを止めようとした瑠黎を、蛍火が制した。そのままどうぞと促されたので、わたしは頷いてその場を
部屋で待ってなんていられない。足早に私室へ向かう
弟はもう十五だが、幼い頃は一人になりたくなると、物が乱雑に置かれた物置によく
王宮の図書室の一角に、不要なものしか置かれていないため司書すらも
部屋の
大きな木に
今日はどんよりと
「雪那」
名前を呼ぶと、
「姉さん……?」
弟に歩み寄りそっと顔に
「どうして、ここにいるの。簡単に入って来られるような場所じゃないでしょ……? 僕が、姉さんに会えないか聞いても、身分が低いから
「そうね、わたしも同じことを言われて困ってたら、
雪那は、そのとき初めて姉が神子の
「姉さん、神子になったの……?」
「そうよ。雪那に会いに来たの」
その一言で、雪那の目に浮かんでいた驚きと戸惑いが、
「もう、一生、会えないかと思った」
張りつめていた糸が切れたように、雪那は力なく笑い、
もう幼い頃のように、雪那が自分から抱きついてくることはなくなっていた。
しばらくして抱擁を解き、雪那と
「僕がこんなところにいる理由? ここに来たっていうことは、僕が部屋からいなくなっていることを聞いて捜しに来たんだよね」
雪那は力ない
「そうよ。
責める気はない。ただ心配なのだ。どれだけ雪那の気持ちを考えても、それは
「姉さん、僕は、王になりたくないよ。……いや、なれないよ」
予想はしていたけれど、弟の後ろ向きな言葉と様子を
「どうしてなれない、なんて言うの? 雪那は役人になるための勉強をしていたじゃない。知識が足りなくても、これから勉強すればなれないなんてことはないわ」
「最初は、
そうだ。弟はそんな子だ。だから、後ろ向きなのには理由がある。
でもね、と雪那はそのときを思い出したような暗い目になった。
「日が
雪那は、もうわたしを見ていなかった。
「千年王」
心臓がどくりと鳴った。表情も少し
「姉さんも知ってるよね。この国を千年にわたって治めた伝説の王だ」
神に選ばれた各国の王は、神より不老性を
けれど二百年前までこの国を治めていた千年王だけは
「歴史に
王の持つ神秘の力は、神子のそれより
「僕なんか、見てもらえないはずだ。僕自身そのようになれるとは思えないし、千年どころか、即位前から望まれていない身分の僕が王になるべきじゃないよ」
「それは違うわ。千年王も元は農民だったのよ」
あまり知られていないことだけれど、と付け加えたわたしの言葉に、雪那は「本当に?」と信じられないことでも聞いたような反応を見せた。
「……いや、たとえ本当だとしても、僕にはその王のような素質があるはずがないよ」
雪那はまた自らを
「雪那……」
そんな弟の様子に、わたしは
二百年の時を
でも、何も言わないわけにはいかない。雪那をどうにか前向きにさせなければ、彼を待つのは暗い未来だ。王は自ら王を
雪那は今、出身から立派な王にはなれないと思わされている。何を言えば今の雪那の心に
「……雪那、恒月国の王が今治世何年なのか知っている?」
蛍火が、紫苑がまだ生きている、と言っていたことを思い出した。そして、わたし自身が今世で少しだけ耳にした
「うん。もう六百年以上になる。恒月国王も、長い時代を築いている王だ」
「じゃあ、彼が王になる前は商人であったと知っている?」
「え……?」と雪那が顔を上げた。
恒月国は、先代の王が恒月国史上最悪の王と呼ばれ、最悪の時代を作ったと言われている。今の王が立ったときには、国土は
「商人も平民よ。職業的な地位はこの国でも恒月国でもあまり変わらなくて、決して高いとは言えないし、政治に
でも、恒月国は今なお時代の
「問題は生まれや身分ではないわ。どんな国にしたいのかという将来像が頭にあって、そのためにどれだけ努力できるかよ。政治経験や知識のある貴族出身であっても数年で
もちろん、生まれや身分で最初の苦労の度合いは異なるだろう。けれど、長い時代を築くなら、最初のそんな期間は誤差のようなものだ。最も重要な点は、知識の先にある。
「雪那は、この国をどんな国にしたい?」
問うと、雪那は困った顔をした。何とか答えようと考えているのが側から見ていて分かるが、口を開く様子はない。
「じゃあ、どうして役人になろうと思ったの?」
わたしは質問を変えた。雪那は元々役人を目指していた。自分から言い出したことなのだから、理由があるはずだ。すると雪那は今度は少しだけ間をおいて、口を開いた。
「姉さんや、生まれ育った村の人たちが幸せに暮らせるようにと思って。……村に来る役人が、村の人たちに身勝手をしていたのを見てきたから。僕でも、大きな学校に行って良い成績を収めれば役人になることができる。だから、僕は役人になって、皆が
言ってから、「でも、これは役人になるために思っていたことであって、王様は同じじゃいけないでしょ?」と小さな声で言う。
「最初はそれでもいいわよ。国に暮らしている人の事を思っているのは同じでしょ?」
わたしは、少しでも不安を
神子になって聞いた秘密のことだと言い置いて、わたしは雪那に言う。
「西燕国ではここまで三代続けて農民が王に選ばれていると知っている? そう、千年王も
「僕にしか、できないこと……?」
わたしは、雪那が役人を目指していた理由を聞いて、そんな考えを持つ彼だから王に選ばれたのかもしれないと思っていた。雪那は昔から周りの人をよく見ている。人のために
ずっとその考え方でいるのは、
家族は、いつまでもこの世にいてくれはしない。
王は、通常の人間とは異なる時間を生きる
だから家族のために、知る人のためにと、身近な人間を心の支えにすると、彼らがいなくなったときに、大きな
村の人たちはやがて死んでしまう。神子になる資格のないわたしも、百年と経たない間に死んでしまう。雪那とずっと
かつてのわたしがそうだったように。
「まだ、雪那は本当の評価を受けていないんだから、これから認めさせてやりましょう」
雪那の目を真っ
雪那が出身や身分に対する
どうすれば、雪那に自信を持ってもらえるだろう。今、わたしの言葉はこの子の心にどれくらい響いただろう。きっと、『姉が言った言葉』以上の効果はない。わたしはもう王ではなく、王であった前世を明かすつもりもない。何より雪那と同じように
わたしより、そう、紫苑のような王の言葉がきっと今の雪那には必要なのだ。
『言いたい
即位当初、わたしとは異なる理由から王宮内に味方が少なかった彼は言った。
雪那が真っ直ぐ前を向いて歩いていくためには、味方も
雪那と部屋に
蛍火は、弟が本当に助けが必要な
答えはもう決まっている。
「蛍火、わたし、三年力を
「私の力で内界と繋がるようにしてあります。移動用ではなく、
水鏡を通り
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