ランダムが好きだった頃

新橋

第1話 キラキラ SOS

 まだ微かにヒバの香りが残っている円筒形の箸立てから長さがちょっぴりづつ違う箸を今夜もまた3膳取り出して、茶色く光るテーブルの上に並べる。小学校に入学してから1日も休まず続けてきた、島百代(しま ももよ)の日課だ。テレビから一番遠い席に母の白い箸、その右に兄の青い箸、左には自分の赤い箸。仕事が忙しい父はまだ帰って来ない。寂しいけれど。

 置き終わって顔を上げると、大好きなアニメの主題歌が聞こえてきた。兄の千里(せんり)が付けてくれたのだろう。名前の通り広く周囲を見渡してくれる兄だ。

 「お兄ちゃん、ありがとう」

満面の笑みで言うと

 「偶然さ。テーブル拭いたら気付いた」

照れ隠しなのか、ぶっきらぼうだ。

そこに母の十和子(とわこ)がお盆を持って来た。スープの匂いと湯気がこちらに向かってくる。

 「千里、気が利くのね。有り難う」

 「よせやい、大人がアニメなんか」

千里はまたツンとしている。

 「違うわよ。テーブルを拭いてくれたじゃない。それに、付いていれば百代がぐずらないし」

 「ひどいなぁ。赤ちゃんみたいに」

声を上げようとしたら、千里がテレビを指した。

 「ほら、始まるぞ」

 「はぁい、いただきます」

3人は手を合わせて食べ始めた。

 島親子が見ているのは「変革大使ランダム」というアニメだ。宇宙からの色々な要望を日本語に翻訳し時には周りにある物を他の用途に変えて、宇宙と地球の窓口として活躍するネリという青年の成長物語だ。ランダムはネリが乗っているロボットの名で、頑丈に出来ていた。万一宇宙人から危害を加えられても大丈夫なようにだろう。ネリは宇宙から何かを受信したら、すぐランダムに乗ることになっていた。ランダムはロボットなので頭脳明晰。翻訳も得意だった。百代は、アニメって便利だなぁと思っている。本当に未来はこんな風になるのだろうか?

 前回は、手を滑らせてビーチ・ボールを地球の方に飛ばしてしまった火星人の子供からの頼みだった。地球にあるのか?あるとしたらどこか?いくつもの言語に訳して各国に捜索依頼を出してゆくネリの横顔に惹き込まれた。ボールを投げ返して無事に火星に届いた時、ランダムの腕力というか筋力?に拍手を送った。穏やかで楽しい回だった。

 ところが、今回は様子が違う。ネリがランダムに乗った瞬間、雷に打たれたように全身が黄色く光ったのだ。ランダムは白い。いきなり攻撃されたのだろうか。緊張が走る。

 が、それにしては静かだ。空が青い。ネリは事態を把握したらしく、ポーチから手鏡を出してランダムの口の部分に当てた。そうして、ランダムの顔の向きを変えて鏡が陽の光を受けやすいようにする。キラッ。交信開始だ。

 相手はネリが気付いたのが嬉しかったのか、光の強さをネリと同程度まで抑えた。それからしばらく光の交信が続いた。

 CMが終わると、宇宙からの使者は空に文字を書き始めた。ネリの解釈によると相手は土星人で、土星の周りに地球由来のゴミが溜まっているので回収して欲しいとのことだった。ネリは担当機関に連絡すると約束し、迷惑を掛けている事を詫びた。土星人が回収を見守る場面でアニメは終わった。

 十和子は

 「へぇ。アニメで社会問題描くとは」

と感心した。

 千里は

 「大人が見ても良かったな、ごめん」

気まずそうに謝った。

 百代はすっかり満足して

 「色んなところに電話できるネリってかっこいいなぁ。お風呂お先に」

 と洗面所に去って行った。 

 

 翌朝、百代のクラスはいつものようにランダムの話でもちきりだった。

 「見た?」

 「見たよ」

 「面白かったよね」

 「土星人が気持ち悪かった」

 「それ、言わない」

男子のボヤキに女子が突っ込むと皆が笑った。いや、例外が一人いた。担任の森見(もりみ)先生だ。もしもここが小学校でなくて喫茶店だったら、頬杖を付きながら窓の外を眺めそうな雰囲気だ。

 朝の挨拶をして全員が着席しても暗い顔のままの先生を見兼ねて、ガキ大将・バッちゃんが声をかける。テストの☓(バツ)から付いた渾名だ。

 「どうしたんだよ、朝から。変だよ先生」

一見文句を言っているようだが温かい声だ。いつもいたずらをして先生に怒鳴られているバッちゃんだが、先生が好きだから気にかけて欲しくていたずらをしているのかも知れないなと百代は思った。いつもと反対の構図に、クラスは戸惑いつつも固唾を呑んでいる。先生が口を開いた。

 「柾木(まさき)君、心配をかけてごめん。これだよ」

 先生は新聞記事のコピーを黒板に止めた。一番上に「地域産業と一緒の運動会」と見出しがあり、蓮根をバトンにして走る児童達の写真が載っている。この小学校は隣町にあり、運動会に地元特産の野菜が登場したことが話題となり記事になった。森見先生は、その小学校に勤める教師から食事に誘われ自慢されつつコピーを手渡されたそうだ。

 「大学の同級生が同じ道に進んだんだ。嬉しく心強かったけれど、今度ばかりは…」

 と、落ち込んでいる。普段優しい森見先生を励ますにはどうしたら良いのか?運動会は今週末に迫って来ている。このままは嫌だが。

 すると、先生が顔を上げて言った。

 「話を聞いてくれて有り難う。今度は君達の番だ。先刻、楽しそうに話していたのは?」

 「ランダムだよ」

 「ランダム?」

 「アニメだよ。へんかくたいしランダム」

 「どんな話なんだい?」

 「う〜んとね。ネリって人がランダムに乗って宇宙から来る伝言みたいなの受け取って願いを叶えていくんだ」

 「夢があるな。ランダムって何だ?」

 「ロボットだよ。丈夫なんだ」

「ボールを火星まで投げ返せてたよ」

 「オリンピックに出たら優勝するな」

 「そうだね」

 「頭もいいの。日本語を何ヵ国語にもする」

 「宇宙の言葉も日本語にしちゃうしね」

「凄いんだな。ランダムがいれば先生の悩みも解決しそうだ。今のが一番新しい話かい?」

 「ううん、その前の。昨日のは珍しかった。土星からゴミを片付けてって頼まれたの」

 「そう。白いランダムが黄色くなって驚いたよね」

 「でも、鏡でキラキラさせるの綺麗だった」

 「運動会でもやらない?体操服の肩とか」

「できたら綺麗だろうなぁ」

 「面白いしね」

 「思い出に残りそうだし」

 「あ、思い出した!」

不意にバッちゃんが大声を上げた。

 「何を?」

皆一斉にバッちゃんを見詰める。

 「夏休み前の安全学習だよ。覚えてない?」

 「もしかして、鏡を空に向けたあれ?」

百代が思い切って言うと

 「そう、それ。SOSって書いたじゃん」

バッちゃんは嬉しそうだ。

 その瞬間、クラス全体にハッとしたような空気が流れた。そうなのだ。このクラスはもちろんこの小学校の児童全員が夏休みが始まる前日、終業式の直後に安全学習と称して校庭に集まった。そして、山で遭難した場合の行動説明を受けたり、鏡を代わり番こに持って太陽光を反射させて助けを求める方法を実践した。最後に空にSOSを書いて終わった。思えば、自分達はネリより先に太陽光を鏡に反射させていたのだ。児童全員、力が抜けた。

 今度は、先生一人が元気になった。

 「柾木君、島さん、みんな。思い出してくれて有り難う。思い出させてくれて有り難う。鏡を持って陽の光を反射する案を校長先生に話すよ」

 「でも、どこに組み込む?」

 「全校でのダンスの後半部分にすれば?今、個人で好きに動いているんだし」

 「鏡を持って踊るの危なくない?」

 「間奏になったら取りに行けばいいよ。見学しに来た人に渡してくれるように頼もう」

 「見学に来た人に協力してもらえるように、学校からお願いしてもらえませんか?」

 話しているうちに、クラス全員も笑顔になっていった。皆は、ランダムと同じようにこのクラスのことも好きなんだと百代は思った。

 その日の昼休みに森見先生は校長室へ向かった。記事を見せながら話すと、校長先生も読んでいたことが分かった。子供にとって楽しいはずの運動会を大人の都合で教訓めいた物にしてしまってよいのだろうかと頭を痛めていたという。そんな時目の前にやってきた教師が、児童たちが「安全学習で習ったとおりに運動会で動いてみたい」と言っているというのだ。反対する理由などどこにもない!

 校長先生はすぐに事務員さんを呼んでこう依頼した。

 「忙しいところ済みませんが、今日中にプリントの形にして下さい。全校児童に配りたいのです。お願いします」

 「はい、分かりました。間に合わせます」

 事務員さんは校長先生から箇条書きされたメモ用紙を受け取りながら一礼し、足速に去って行った。


 運動会の日は雲一つない青空だった。

 「陽の光取り放題だな」

千里がからかってみたが百代は動じない。

 「うん。てるてる坊主作って良かった」

それから、てるてる坊主の頭をなでながら

 「本当に働き者だねぇ。ありがとう」

なんて言っている。無邪気なのか賢いのか。

 ダンスは大成功だった。間奏になってから3分でどの子にも鏡が行き渡った。さすがの辛口批評家・千里でも舌を巻く他なく、正に安全学習の成果だと校庭の真ん中でクラスメイトと鏡を持ちながら感心した。

 次の15分で、全員がお互いの体操服の肩を照らし合った。中には2人の子に両側から光を当てられてポーズを取っておどけている子までいた。まるで学芸会だ。

 校長先生のホイッスルが鳴った。子供達は一斉に真顔になりあっという間に朝礼時の様に列を整えると、空に文字を描き始めた。森見先生がマイクを通して説明してくれる。

 「今描いているのはSOSです。夏休み直前の安全学習で、遭難したら空に向かって描きましょうと教わりました」

 周囲からパチパチと音が聞こえてきた。拍手だ。キャンプ・ファイヤーの火が徐々に回るように、あちこちに広まってゆく。パチパチ、パチパチ…。

 精一杯腕を伸ばしてSOSと描きながら、百代は近所の人達の顔を思い浮かべていた。

 初めてのおつかいに行った時

 「えらい、えらい」

とほめてくれて、何も言わないのにかごに出回り始めたみかんを4個入れてくれた八百屋のおばちゃん。家族分なのが嬉しかった。お礼を言うと

 「じゃあ、三河屋(みかわや)のみかん美味しいって、みんなに言ってくれる?三河屋のみかん、よろしく」

 と、笑っていた。みかん、美味しかった。

 一杯練習してやっと自転車に乗れた時ほめてくれたのは、植木屋のおじいちゃんだった。

 「ももちゃんが自転車に乗れるようになったぞ。うえき〜、じゃない。うれしぃ〜」

町内中に聞こえるような大声で叫ばれて、恥ずかしくもあったけれど。

 みんなみんな、優しい人ばかりだ。みんなみんな、拍手をしてくれている。私、ここに生まれてきて良かった。大好きだよ、みんな!

 いつの間にか拍手は収まり、鏡は回収された。

 運動会らしい記録は生まれなかったが、誰の心にも残るような記念すべき会となった。


 一週間後、森見先生はまた元同級生と一緒に夕食を食べていた。向かい合っているテーブルの真ん中には新聞の切り抜きがあり、見出しにはこう書かれていた。

 「児童が発案 キラキラ SOS」

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