深夜特急①

 深夜の新橋駅ホームには、饗宴帰りの西洋人のためだけに仕立てられた列車が止まっていた。

 西洋人は客室で、発車はまだかと待っている。

 殿しんがりを務める陸蒸気は、海へと伸びる線路を鼻息荒く睨みつけている。

 陸蒸気が発車できない理由とは、ホームに残るふたつの影のせいだった。


「高島様の使いと聞いたから、特別に客車を増やして乗せてやると言ったのに。あんたら、ただの見送りか!?」

「まぁ、そんなところだな」

 駅構内を見回しつつ煮えきらない言葉を放ったリュウに、車掌は辟易としつつブレーキを緩め、機関士に発車の合図を送った。


 列車がゆっくりと動き出すと、広い新橋駅構内が露わになった。

 ちょうど陸蒸気が差し掛かった駅の出口を根本とし、何本もの線路が扇形に広がっている。

 そこには客車も貨車も列をなし、ひとつ残らず眠っている。

 ところどころに西洋風の簡素な建屋があって、車両工場や切符の印刷所など、目的別に分かれて建っているが、どこもかしこも今日の仕事を終えている。


「見送りは済んだろう。さあ、出て行ってくれ」

 駅員が冷たく言い放つと突然、線路に火の玉が現れた。

 陸蒸気ほどの火の玉は、扇形に敷かれた線路を行ったり来たりしはじめて、列なす客車に狙いを定め、それが止まる線路へとそろりそろりと進入していった。

 客車の目の前までやってくると、低いところで鞭打つように炎が踊り、気付くと客車と火の玉は連結していた。


「用があるのは、あの列車だ!」

 線路を走り、火の玉がゆっくりとき出す客車に乗り込んだ。

「暴走列車が走るから、全部の列車は駅から動かないよう電信を打って! お願いだよ!」

 腰を抜かした駅員はコンコの言葉にハッとして「幽霊列車だぁ!」と叫びながら駅舎に向かって走っていった。


 ふたりが乗り込んだのは、最後尾のブレーキ車だった。留置してあったからブレーキが締まった状態だ。火の玉が無理矢理引きずっているから、車輪からシューッとかすれた音がして、焦げ臭い匂いが立ち上ってくる。

「このままだと壊れちゃう。とりあえずブレーキを緩めよう」

 そう言ってコンコはハンドルを回すと、何かがこすれるような音は止み、焦げ臭さも薄まった。

「コンコ、詳しいな」

 まぁね! と言って小さな胸を張っていたが、鉄道建設に協力した高島からの受け売りだろう。


「幽霊じゃなくて、良かったね」

「馬鹿を言うな、これからどうする」

「まずは、ここから敵の様子を見てみよう」

 窓から先頭を覗くと、火炎の中で大車輪が高速回転しているのが見えた。目を凝らすと、牛車の車輪であることがわかる。これが左右ふたつあり線路に乗っているのだ。

「コンコ、あれは何だ」

 コンコの表情は固かった。

「マズい……あれは輪入道わにゅうどうだ。しかも左右に車輪があるから、ふたりいる。見つめちゃダメだよ、目が合うと呪われるんだ」


 上り線を逆走していた輪入道は、幸いにも対向列車と正面衝突することなく、品川駅までに先を走る臨時列車を追い抜いた。

 ここから先は単線だ。電信の連絡が間に合っていれば、対向列車は駅に止まっているはずだ。

 正面衝突する心配は、恐らくない。


 リュウは扉を開けて、ブレーキ車の屋根へと上がった。

「どこへ行くの?」

「敵情視察だ」

 ちょっと待ってと、コンコは投げ文の紙を取り「此所勝母このところしょうぼの里」と一筆書いて手渡した。

「効き目があるか、わからないけど……」

「恩に着る」

 激しく揺れる屋根上を這うように歩き、前へ前へと客車を渡り、先頭にまでやってきて輪入道をそっと見下ろした。

 コンコの言う通り、燃え盛る炎はふたつあり、その中に車輪も禿げ頭もふたつ見える。


『うわぁははは……俺が一番速い……』

 野太く不気味な笑い声とともに、輪入道の目的までもが聞こえてきた。車輪としての誇りから、線路を誰よりも速く走りたくなったのだろう。


 リュウの気配に気付いたか、ひとりがぐりんと後ろを向いた。すかさず屋根に這いつくばって、ギョロリとした視線をかわした。

『どうした兄弟』

『どうもしないぞ、うわぁははは……』

 細く長い深呼吸をして気持ちを整えた。どんなものだか知らないが、何もせずに呪われるなど、たまったものではない。


 大森駅が近付く頃には気配のことなどすっかり忘れて、速く走るのに夢中になっている。

 今なら隙を突いて背後に回れる。

 問題は、客車だ。

 一方だけ斬ると、残ったもう一方が反撃するに違いない。狐火と同様に、ふたり同時に斬るのが良いだろう。

 しかし屋根からでは遠く、斬っても浅い傷しか与えられない。

 この真下は開放乗降台オープンデッキになっているが、床から屋根を支える鉄棒が生えており、刀を振ることができない。


 意を決したリュウは、ブレーキ車から心配そうに見つめるコンコに合図をすると、音を立てないように乗降台へと降り立った。

 縦に4本、横に1本植えられている鉄棒が邪魔でしょうがない。

 無理な姿勢は承知の上で、鉄棒を避けるように身を乗り出して斬るしかなさそうだ。


 青白く輝く刀を鉄棒よりも外に出し、横に通された鉄棒に寄りかかり、横一文字に刀を振った。

 振った瞬間、やはり力が入らないと苦虫を噛み潰したような顔をした。

 そんな顔は、一瞬にして消え去った。

 ふたつの輪入道は左右に割れて、車輪を水平にした。太刀筋の下に逃げたのだ。


 ふたりが再び直立すると、どちらの首も後ろを向いた。

 リュウが客室に飛び込むと、輪入道は怒りの火柱を上げていた。

『兄弟、誰かいるぞ!』

『邪魔しおって……次こそは呪ってくれる、うわぁははは!』

 輪入道が前を向くまでやり過ごし、呼吸を整えブレーキ車まで戻っていった。

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