第15話 悪霊、怨霊、あるいは……

 実体化した10歳ぐらいの女の子。その女の子の事を牧野はお姉ちゃんと呼んだ。

 そうであれば久しぶりの再会という、ある意味感動的な場面ではありそうなものなのに、牧野は顔を青ざめ、少女はそんな牧野の腹に顔を隠しながらふふふと不気味に笑っている。


「牧野、お姉ちゃんって、こいつがか?」

「あ、ああ」


 駄目だ、俺の声が聞こえていないらしい。一体この二人の間に何があったんだ? それにさっきから何か部室の中が異様に寒い気がするのは、この少女が何かしているのか?


 どちらにしろこのままでは埒が明かない。

 俺はひとまず牧野を落ち着かせるべく、牧野に引っ付いている少女を引きはがしにかかる。だが、何故か少女はその体に見合わないほどに重く、そして一ミリたりとも牧野から離れない。


「おいコラ。牧野から離れんか。話が進まないだろ!」

「……」

「黙ってないで、ん? よく聞いたら何か言ってるな。どれ」


 子供の顔に自分の顔を近づけて何を言っているのかをよく聞く。蚊の鳴くような声だが、流石にここまで近づけば聞き取ることが出来た。


「呪ってやる、呪ってやる、呪ってやる、呪ってやる、呪ってやる、呪ってやる、呪ってやる……」

「む……」


 なんとブツブツと呟いていたのは呪詛だった。呪う呪うとずっと言っている。誰を呪っているんだ? なんて流石に言えなかった、この場合どう考えても牧野だろう。そのためにずっとくっ付いていて離れようとしないのだ。


「牧野、このお嬢ちゃんがお前を呪ってやると言っているが、心当たりはあるか?」

「え」


 どうやら心当たりはありそうだが、それを話す余裕はないようだ。牧野の顔はさっきより青くなっている。唇も紫がかって来た。

 これは俺がこの子を実体化させて認識できるようにしてしまったから起こったのだろうか? 今の今まで牧野は全く何の影響もなさそうだったのに、存在に気付いた途端これならそれ以外ないか。


 仕方がない。この少女は俺が何とかしなければ。でなければ俺が牧野を窮地に陥れ、挙句の果てには死ぬのを見る羽目になる。


「おいガキ!」

「呪ってやる、呪ってやる、呪ってやる」

「おーい、聞こえてますかねぇ?」

「ころす、ころす、ころす」


 駄目だこりゃ。話しかけるだけじゃこいつをどうにも出来なさそうだ。仕方がないので、俺は牧野の腹と少女の顔の間に右手を突っ込み少女の冷たい左の頬に手を置いた。


「ひゃっ」


 そして、左手を少女の右頬に添え、そのままグイッとこちら側に強引に向かせた。

 以外にも抵抗は無く、簡単に俺の方を向いた少女。だが、その少女の顔はとてつもない顔をしていた。


 まず目が無い。いや、無いと言うより真っ黒な穴が二つ空いているような感じだ。形の言い口は笑っていて動いていない。それなのにずっと呪詛がそこから聞こえてくる。髪は、サラサラだ。お手入れが行き届いているな。


 俺は、少女の顔を直視してしまった。普通の人ならこの時点で発狂してしまうだろうその顔。だが俺にとっては日常の一コマである。今までこんなのは何回も見て来たし、それ以上の化け物も見たことがある。


 そんな俺にとってはこんなのは何てことないカピバラの間抜け顔と変わらない。


 牧野をちらりと見ると、ほとんど白目をむいていた。少女の顔を見てしまったんだろう。コイツも慣れていそうなもんだが、この少女が牧野の身内ならショックも倍か。


「おい、小娘。名前は何という?」

「のろう、のろう」


 相変わらずのろうのろうと言うその口。俺はそんな彼女の頬をぐにっと両方から押し込み、口をタコみたいにしてやる。


「ほらほら、早く名前を言わないとお前の口が本当にタコになっちゃうぞ」

「ほろ、ほろひ」


 まだ言うか、まだいうかとさらにムニムニムニ。


「ふあ、ふお、んあ」

「どうだー言う気になったかな?」

「ひ、ひゃい」


 ようやく少女がまともに話す気になったようだ。全く手間かけさせやがって。


「それでお嬢ちゃんのお名前は?」

牧野留美まきの るみ……」

「留美か、めっちゃいい名前だな。綺麗だ」

「……」


 俺が名前を褒めると、少女は無言だったが少し照れている様だった。話を続ける。


「それで、留美はなんでコイツにくっついて呪詛を吐いてたんだ?」

「……こいつが私を殺したから」

「なに……?」


 牧野を見ると、震えてはいたがしっかり意識を取り戻していた。俺たちの話も聞いていたようで、どこか先ほどと違って申し訳なさそうな顔をしている。


「牧野、留美の言ってることは本当なのか?」

「それは……はい。お姉ちゃんは私のせいで死んでしまったんです」

「その言い方は、事故か?」

「違う! 私はコイツに、美香に騙されて崖から落とされたんだ!」

「落ち着け。とにかく二人から話を聞こう。もしかしたら誤解があるかもしれない」


 少女はかみつく勢いで俺に向かって叫び、その声に牧野はビクビクと体を震わせる。

 とにかく話を聞いてみない事には事態は収まらない。少女は崖から落とされたと言っているが、果たしてどうなのか。


「おい留美。崖から落とされたとはどういう事なんだ?」

「そのままだよ! こいつが私に崖の方に何かが居るから怖いとか言ってきて、見て来てって言うから見に行ったらいつの間にか落ちてて死んだの! だからこいつを呪う権利が私にはある!」

「それは、それは、私には本当に見えていたの。白い服を着て烏帽子みたいなものを被った男の人がずっと私たちを見てて、それで怖くて」

「噓だ! そんなのあそこには居なかった! 居なかった!! お前は私が邪魔だったから崖の方に向かわせたんだろ! お父さんとお母さんに褒められるのがいつも私ばっかりだったから嫉妬したんだ!」

「ややこいからちょい黙れ留美。ほっ、と」


 俺は留美を牧野から引きはがすと、ひょいと持ち上げてさっきまで自分が座っていた椅子に座り膝の上に乗せて口を押える。犯罪者とかロリコンとか言うなよ?


「むー! むー!」

「それでどうなんだ牧野? 嘘なのか?」

「いえ、本当です! 先輩も見えるなら分かるでしょう! 時々怖いやつが居るの!」

「ああ、分かるよ」

「私、あの時は6歳だったんです。怖くて怖くてしょうがなくて。そしたらお姉ちゃんが見て来てくれるって! けど……それでお姉ちゃんが」

「むー! ぷはっ! 嘘だよそんなの!」

「嘘じゃない! 私、私あの後ずっと後悔してたんだよ。私が弱虫だったから、私が殺したんだって泣き叫んで、学校も行けなくなったし、私が死んじゃえばよかったって何回も思った。でも、お姉ちゃんみたいに優しくて誰かの助けになれる人になろうって決めて今まで頑張って来たの!」


 涙ながらの妹の訴えに、多少はたじろぎつつもその態度をほとんど変えない留美。だが、さっきよりは落ち着いたようで静かにゆっくりと口を開いた。

 

「私は、もっと友達と遊びたかった。もっと美味しい物も食べたかった。もっと色々な所に行きたかった。そしていつか恋をして結婚してみたかった。もっと生きていたかった」

「う、うぅ」

「でも私にはもう何もない。何もできない。消えたくっても自分で消えることも出来ない。だから」

「牧野に取り付いて出来ることをやってたってわけか。それが呪詛とはな」


 自分のしている事が間違っていることは分かっていたのだろう。俯く留美。

 俺はその頭に手を置いて優しく撫でてやる。

 子供の状態で死んだ人間は霊になってもずっと子供のままだ。体はもちろん、その精神も殆どは成長したりしない。

 10歳で止まってしまった自分。明るく前向きに楽しそうに学園生活を送る妹。そりゃあ負の感情が溜まるのは当たり前だ。


 しかし、美味しいものが食べたいに色々な所に行きたいか。友達やら恋人やらはこいつ次第だが、それなら俺でも叶えてやれそうだ。


「でもな留美。お前、今の状況分かってるか?」

「状況?」

「そう状況。そうだなぁ、これで良いか」


 俺は自分のバッグに入れてあったチョコを一つ取り出した。それを留美は黙って見ている。目は真っ暗で分からないが、その雰囲気でチョコを食べたいと言う感情が浮かんでいた。


「留美、口を開けろ」

「え? はぐっ!?」

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