第3話 ゆうれいよりも怖いもの、それは
俺は幽霊が怖い。そう思っていた。それは確かに今でもそうであるのだが、たった今その怖さを凌駕する人生最大の恐怖を目の前にすれば、塵に等しいものであると言えた。
ではその幽霊への恐怖心さえ塵へと変えてしまった人生最大の恐怖とは何かと言うと、それは、恍惚な表情を浮かべ自分を踏んでくれと迫ってくるドMでド変態の幽霊である。
踏んでなぶってとギラついた目と涎を垂らしながら迫ってくる様は、どんなに恐ろしいホラーをも凌駕する。力強くがっしりと肩を掴んでいる両手は忙しなくワキワキと揉まれ、幽霊のくせにハァハァと吐く息が顔周辺に冷気を吹きかける。これほどの恐怖があろうか。少なくとも俺はこれ以上を見たことも聞いたこともない。
「踏んでぇ、お願い踏んでぇ。そしてなぶってぇ」
「……」
怖すぎる。
しかし、このままただただじっと肩を掴まれているわけにも行かない。俺は何しに家に帰ってきたのか、思い出せば幽霊に話しかける事などやってやらないことはなかった。風呂に入りたかったのである。
「あ、あの、俺の声聞こえますか?」
「! 聞こえるよぉ。それで? 踏んでくれるの?」
コイツは自分が踏まれる事しか考えていないのか。
とにかく話ができることは分かった。これでこの幽霊と交渉出来るはずだ。
幽霊と交渉とか正直自分でも何言ってんだと思ったが、掴まれている両肩はどうやっても俺が剥がせる力ではないし、そもそも金縛りで目玉と口しか動かない。交渉しなければ一生ここで踏んでくれと言われ続けるだけだ。そう思って、口を開いた。
「あの、お姉さん」
「なあにぃ」
「お姉さんは俺に踏んで欲しい、んですよね?」
「え! 踏んでくれるの!」
踏んで欲しいのかと聞けば、幽霊の目は一段と輝き、素敵な笑顔を見せてくれた。そう言えばこの幽霊、顔立ちはかなり整っている。生きている時はさぞモテただろう。……いや、無いか。だって隠しきれないドMだしな。
しかし、ここまで直球だと今の状況ではかなり有難い。向こうの要求は明確で、かつ俺が失うものはドMに付き合ってドSプレイをしたと言うことだけ。精神に来るものはあるが、風呂に入らないよりはマシだ。
「お姉さんが俺のお願いを聞いてくれるなら、その、俺お姉さんを踏んでも良いですよ」
「! 良いわ! 裸になれば良いのね!」
「いや! 違うから!」
いきなり何を言っているんだこの女は! これは認識を改めなければならないようだ。ドMとド変態に加えて露出狂もプラスだな。
「とにかく、脱がなくて良いですから! ただ俺は風呂に入りたいだけなんで、金縛りと肩掴むのやめて欲しいだけだから!」
「そう、残念ね……」
本気で残念がるのをやめろ!
「さあ、これで金縛りは解いたわ。肩も掴むのやめた。だから早く踏んでぇ! なぶってぇ!」
女は俺の肩を掴むのをやめて金縛りを解くと、何故かうつ伏せの土下座のような格好になり、俺に踏んでくれと言ってきた。交渉は成立した。金縛りも解いてもらい、肩も放してもらったのだから、踏まなくてはならない。
「そ、それじゃあ踏みます」
「早く! 早く!」
「えい!」
「はあぁぁぁん! あたまぁぁ!」
俺が幽霊を踏みつけると、幽霊は奇声を発してビクビクと痙攣した。ヤバイものを見た気がする。
「ハァハァハァ、い、いきなり頭なんて、あなた才能があるわね」
「……」
才能があると言われてここまで嬉しく無いことはない。
とにかく俺がやる事はもう終わったのだ、これで堂々と風呂に向かえる。
未だに土下座スタイルの幽霊の横をすり抜け、タンスから着替えを出す。湯船にお湯は張っていないが、今日はもう一刻も早く汗を流したいからシャワーだけする事にした。
ガラガラと風呂の戸を開け、大きな鏡の前に椅子を置いて座る。キュッと蛇口を回すと、すぐに温かいお湯がシャワーヘッドから勢いよく飛び出してきた。
「あ〜、気持ちいい」
「本当にねぇ」
誰もいない後ろから女の声が聞こえて、ガバっと振り向く。するとそこには、全裸の女の幽霊が立っていた。
俺は幽霊が怖い。特に、ドMで変態で露出狂の女の幽霊が怖い。
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