Lesson.19

 勢いだけで家を飛び出してきてしまった紗月は、美咲の家の前で大きく深呼吸をする。

インターホンに指を掛け、少し力を入れれば音が鳴り家の中に上げてもらえるだろう。しかし、ここにきて急にそれが怖くなる。

 一か月一切話していないというのに、突然部屋に押しかけて何も思われないだろうか?何も思わない訳がないだろう。

 それに、久しぶりに会って言うことが告白だなんて、どう思われるんだろう。


 家の前で突っ立って五分ほど。これ以上は近所の人から怪しまれるだろうと思い、思い切って力を加えた。

 ぴんぽーん、と間抜けた音がして少しすると『はい。』と美咲のお母さんの声がする。

 思い返してみると美咲が紗月の家に来ることはあっても、逆は早々ない。勿論会話することもあるし面識もあるが、最近はそんなに会っていない彼女にどんなリアクションをすべきかと少し悩んだ。


「紗月です。美咲と話したいことがあるんですけど、大丈夫ですか?」

 着の身着のまま、直前まではそれこそ廃人のような目をしていたためどんな印象を持たれたかはわからない。が、かなりな確率で断絶してしまう関係性なんだから、もうどうとでもなれという気持ちだった。


「紗月ちゃん?今鍵を開けるからちょっと待っててね。」

 そう返され、少し待つと鍵が開いて美咲のお母さんが顔を覗かせる。エプロンを身に着けていて、夕飯の準備を邪魔してしまったのではと申し訳なくなった。


「すみません、忙しい時間に。」

「ううん、いつも美咲もそちらにお邪魔してるから。美咲の部屋は、階段上がって突き当りだからね。」

 最後に会った時と何一つとして変わらない若々しい姿でそう手をひらひらさせると、適当な感じでリビングの方へと戻ってしまった。

 玄関で一人取り残されどうすべきかと悩みながらも靴を脱ぎ、恐る恐る家に上がる。

 あれだけ毎日顔を合わせていたというのに美咲の家に入ったことは数えるほどしかない。

 記憶を辿りよせながら階段を見つけ出し、一弾一段をびくびくしながら登る。まるで泥棒のようだな、なんて自分でもおかしく思う。


 家の中はどこも控えめで品のある花や小物が飾られていて、ここであの美咲が育ったということがよく分かる。


  美咲の部屋の前に立ち、腕を軽く持ち上げる。ノックをしようと思うのだが、その手が動かない。

 きっと彼女はもう紗月の存在に気付いているだろうが、自分の存在を示しに行くのはやはりハードルが高い。

 ここで引き返すという選択肢は存在する訳もなく、腹をくくって軽く握りしめた手でドアを何度か叩く。


「紗月?」

 ドア越しに聞こえるくぐもった声。最後に聞いたときより若干掠れていた。


「うん。あたしさ、美咲に話したいことがあって。」

「ごめん、帰って欲しいの。」

 笑顔で迎え入れられるとは到底思っていなかったが、想像以上に拒絶を孕んだニュアンスの声音に思わず息が詰まる。今まで一緒に過ごしてきた中で、ここまで冷たい声を聞いたのは初めてだった。


「なんで?」

「それは、ちょっと…………。」

 口もごる美咲からは、いつも自分を引っ張る強さのようなものは微塵も感じられず、とても弱り切っているように見える。

 これ以上ドア越しに会話を続けたところで何の意味もないと判断し、強引に扉を開いた。

 空気は読めていないと思うし、やられた側からすればたまったものではないだろう。が、どうしても顔を見て話をしたかったのだ。

 白と黒の二色を基調とした落ち着いた清潔感のある部屋。それでいて所々にピンクやオレンジの小物が飾られ女の子らしさもある、いかにも美咲らしい部屋だった。


 ベッドの上に座っていた彼女は慌てたように立ち上がり、入り口を塞ぐように立ち塞がった。


「紗月?何で入ってきたの?私、ダメって言ったと思うんだけど。」

 先程よりも、強く尖った口調で拒絶を告げる美咲。でもその口調とは裏腹に、その表情は今にも泣きだしそうなくらいに歪んでいる。


「さっきも言ったけど、美咲に話したいことがあるの。きっと美咲はあたしのこと気持ち悪いって思うだろうけど、聞いて欲しいの。」

 部屋に入ることを云々言うのではなく、とにかく伝えたいことをストレートに告げる。まっすぐと目を見て、少しでも今の気持ちが伝わるように。

 

 お互いに見つめ合い、無言の時間がしばらく続いた。体感としては十分以上に感じられたが、実際は二分も経っていないだろう。


 根負けしたように息を吐いた美咲は、しぶしぶと言った様子で体をずらす。こう言いだしたら聞かない性格だというのを一番分かっている為だろう。


 毛の長いラグに向かい合って座る。落ちる沈黙が紗月に話すことを促しているように感じられた。

 ここまで来たらもう迷うことはないだろう。刹那の躊躇いを気付かなかったことにして、口を開いた。


「あたしさ、美咲のことが好きだよ。」

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