Lesson.10
鏡を見て、ゆっくりとリップを唇に沿って動かす。美咲には『色が明るすぎ』と称された色だけど、休みの今日くらいは許されるはずだ。
『一緒に買い物に行こう』と誘われ、その後詳しく予定を立てたところ買い物に行けるのはその日から二週間後の土曜日。つまり今日だった。
何故か紗月よりも美咲の方が楽しみにしていて、「当日は私起こしに行かないからねっ?家の前に時間集合だからね!」と明るい表情で言っていた。
決意を固めてから二週間もの間自力で起きる努力を重ねてきたものの、冬の布団の誘惑と長年の慣習と言うのは中々に抜けないもので完全に自力で起きられるようになったのはつい昨日のことだ。
布団との誘惑と戦った後に何とか勝利し、寒さに震えながら洗面台までやってきたとい紗月は、あの日から封印を余儀なくされているメイク道具を引っ張り出してきている。
まだスキルは低い紗月だがグロスを塗るくらいの技量はある。鏡を見て丁寧に唇に塗ると、唇がほんのりピンク色に染まりラメも控えめに自己主張をする。
今までの紗月からすればこれだけでも考えられないことだが、今日はひと味もふた味も違う。
時間が無いとほとんど使ったことの無いヘアアイロンを取り出した。
先週の土日に母親に頼み込んで使い方を教えてもらい、ストレートにするくらいのスキルを習得したのだった。
火傷をしないように、と耳にタコができるほど言われた言葉を頭の中で反芻しながら恐る恐る髪の毛を一束掴み、それをアイロンで挟み込む。
手が熱せられた部分に当たらないように注意しながらゆっくりと降ろす。蒸気と髪が焦げるような独特な匂いが出てくる。
おぼつかない手つきで繰り返し、練習よりも格段に綺麗な内巻きに仕上がった自分の髪の毛を見て紗月は満足げに微笑んだ。
時間の余裕があればヘアアレンジなんかも勉強したい気持ちもあったが、何せ二週間ではおしゃれ初心者に学べることはヘアアイロンのマスターが精一杯で、非常に少ない。
そのまま上機嫌な足取りで自室に戻り、前日のうちからコーデを組んでハンガーにかけていた衣類を身に着ける。
大した数の服を持っていないばかりか、可愛い服もほとんど持っていないため美咲の隣を歩いても見劣りしないような服のチョイスには難儀した。
スマホの記事や、母から借りた雑誌の写真と睨めっこした結果結局シンプルに行こうということで決定し、白のオーバーサイズのニットにジーンズという組み合わせに落ち着いた。
普段着と何も変わり映えしなく、本当に大丈夫かと何度も悩んでいたが髪の毛やメイク(グロスだけだが)をしっかりするだけで服すらも可愛く見えてくるんだから不思議だ。
茶色のバッグに同色のコートを合わせて姿見の前に立つとぐっと大人っぽく見える。
なんだか照れくさくなり鏡の前から立ち去り、バッグの中身を確認したりスマホを見たりしているとあっという間に集合時間となり、家を出た。
時間ピッタリになるように家を出ると、既にそこに美咲はついている。予想通りだ。
美咲はというと、白のストライプのブラウスに淡いピンクのシフォンスカート。腰よりちょっと高い位置にあるベルトはリボンのような形になっていてとても可愛らしい。足元はブラウンのブーツで、その上には白に近いピンクのコート。
ガーリーでいて大人っぽいコーディネートは顔も見劣りしないくらいに可愛くスタイルがいい彼女だから出来るものだろう。
髪の毛は綺麗に編み込まれ、メイクもばっちり。頭のてっぺんからつま先まで、とても気合が入っているのが一目でわかる。
「ふふ、今日は時間ぴったりだね。……髪、まっすぐじゃない?唇も!今日グロス塗ったの?すごい、気合入ってるね~。」
開口一番、彼女の口から飛び出してきたのは紗月を褒める言葉。
普段聞く言葉の大半が呆れのニュアンスの含まれる言葉であるためか、それとも向けられた笑顔が酷く可愛らしかったためか、紗月の胸が大きく跳ねた。
「うん。美咲と放課後以外に出かけるの、久々だからさ。」
動揺を悟られないようにと言葉を返す。美咲はそんな紗月を知ってか知らずか、再度微笑むと片手を差し出した。
「じゃ、行こうか?」
「え、その手は何?」
「今日、寒いでしょ?なら手を繋いでいかないかなって思って。」
その笑顔にまたしても心臓の鼓動が早くなるのを感じながら、差し出された手を握り返す。その手は寒風によって冷え切っていて、紗月が来るずっと前から外で待っていたことを如実に示していた。
それくらい楽しみにしていてくれた美咲に胸がいっぱいになりながら、少しでも自分の体温が分けられるように、と強く握り直しながら二人は駅に続く道を歩き出すのだった。
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