南の島のアクルクス ~離島の女子高生は、ラクロスで日本一を目指す!~

麓清

第1章 スクラップ・アンド・ビルド!

Ep.01 噂と謎の少女

「お疲れ、ミウ。今、帰り?」


 聞き慣れた声に振り向くと、制服姿の椎名しいな泉美いずみがプレハブ造りの部室棟の階段を下りてくるところだった。

 山栄やまえい美海みうは自転車のブレーキをかけて立ち止まった。


「待ってて、一緒に帰ろ。今、自転車取ってくるから!」


 ハーフアップにした明るめの茶髪を弾ませながら、駐輪場にむかうセーラー服の後ろ姿を見送る。

 美海と泉美は物心がついたときから一緒にいる幼馴染だけれど、性格はまるで正反対だった。

 昔から誰とでもすぐに仲良くなってしまう泉美は、明るくて話も上手だし、人を笑わせたり楽しませたりすることが得意で、彼女の周りにはいつも友人たちが集まって笑顔が絶えなかった。笑うと三日月型になる目が可愛らしくて、それも彼女の人懐こさを象徴していた。

 一方、美海は人見知りするタイプで、他人に自分から積極的に声を掛けることはなく、友達もほとんどが泉美との共通の友達だ。引っ込み思案で自分の意見をいうことも苦手だし、冗談をいうのも得意じゃない。いつも泉美のそばで控えめに笑っているか、そうでなければ一人で過ごしている。

 そんな性格も、いつかは変わるだろうと思っていたが、結局、高校生になった今も変わらないままだ。


「お待たせ。ミウ!」

 ほんの少し物思いにふけっている間に、泉美は自転車に乗って美海の隣に並んでいた。友人の笑顔に小さく頷き、美海もペダルを踏み込んだ。


 美海たちが通う鹿児島県立遊路ゆろ高等学校は、沖縄本島から二十キロ北にある遊路島ゆろじまにある。遊路島の大きさは東京の山手線内にもすっぽりと収まってしまうほどで、人口は約五千人。標高は高いところでも百メートルにも満たない、隆起珊瑚の島だ。

 島の中央にある丘の上に建っている学校からは、西に傾き始めた太陽に照らされて、黄金色に輝く水平線が遠くに見渡せる。

 自宅がある青花せいか地区までの帰り道は長い下り坂で、部活終わりで体力を使い果たしているときにはありがたかった。もっとも翌日の朝は、この延々と続く坂道を学校目指して登らなければならないけれど。


「そういえば、スガちゃん。結婚するって噂は本当だったみたいよ」

「やっぱりそうだったんだ。まさか、あの須賀先生がねぇ」


 スガちゃんこと、須賀克樹かつきは、三年前に鹿児島本土からこの高校に赴任してきた三十代半ばの数学担当の教師で、泉美がキャプテンを務める女子バスケットボール部の顧問でもある。いわゆるイジられキャラで、同僚の教師はおろか、生徒たちからもスガちゃんとあだ名で呼ばれている。

 そんな須賀が、少し前に職員室で同僚の教師たちから、結婚することを冷やかされていた場面を目撃した生徒がいて「あのスガちゃんが結婚をするらしい」という噂が校内に広がっていた。


「しかも、その結婚相手って、島の人じゃないらしいよ」

「そうなの? それじゃあ、お嫁さん、この島に移り住むってこと?」


 泉美はご愁傷様とでもいいたげに、「みたいよ」と深く息をついた。

 この小さな島には、本土にあるようなショッピングモールはおろか、コンビニエンスストアさえもない。スーパーマーケットといえるは、役場近くのAコープくらい。マクドナルドも、スタバも、ジャンカラも、ユニクロも、本土の高校生なら一度は行ったことがあるような場所は、この島には一つもない。あるのは観光客向けの飲食店か、常連たちが通う居酒屋やスナックが数件。泉美はこんな島に移住してくる須賀のお嫁さんに同情したのだろう。


 二人は環状道路と呼ばれる大通りに出た。大通りといっても、センターラインが引いてあるだけの二車線道路で、海岸線から五百メートルほど内陸を、ぐるりと島を一周する形で敷かれている。

 それまで畑や防風林ばかりだった沿道には、民家や雑居ビルが立ち並ぶようになり、遠くに見えていた水平線は建物に隠れて見えなくなっていた。代わりに、五月の穏やかな風に乗って、微かな潮の香りが彼女たちの鼻腔をくすぐった。


「ところでミウ、部活は三年生が引退したから、今一人でしょ? 練習とかどうしてるの?」

「ひたすらサーブ練習か、ネット打ち……あとは、筋トレと、たまに森先生とラリー練習……」

「修行感ありすぎ」


 遊路高校では大抵の運動部が、春の大会に出場した後、三年生が引退する。その上、美海の人見知りが災いして、新入生の勧誘にも失敗しており、今期の女子テニス部員は美海一人だけになった。

 それでも、美海はまだよかった。

 テニスのように、個人種目であれば大会に出場することも可能だし、実際、美海は春の九州地区大会で個人の部三位入賞という好成績を残し、全校集会で表彰もされていた。

 しかし、団体競技となるとそうはいかない。


「イズこそどうなの? 公式戦に出るには部員が足りてないんでしょ?」

「まあね」泉美は大きなため息をついた。「それでさ、夏の大会にむけて、またヤチに助っ人を頼もうと思っていたんだけれど……」

「断られたの?」


 泉美は首を左右に振った。その表情は困っているようにも、ほんの少しだけ怒っているようにも見えた。


「ミウ、部活潰しの噂、知ってる?」

「部の存続をかけて勝負しろとかいう?」

「そう。その部活潰しガールと勝負して、負けたらしいんだ。女子バレー部」

「うそ……⁉」

 思わずブレーキバーを握っていた。キッと甲高い音とともに、自転車が停車する。それに気づいた泉美も数メートル先で自転車を停めて、振り向いていた。


 出井でい八千代やちよは、美海たちと同じクラスの二年生で、女子バレー部のキャプテンだ。あそこも三年生が引退し、部員は四人になっていて、公式戦に出場するにはメンバーが足りていない。だからといって、真面目で思慮深い八千代がそんな馬鹿げた勝負を受けるとは思えなかったし、仮に勝負をしたとして、バレーボール部がたった一人を相手にして負けるということ自体が信じられなかった。


「そういうわけで、女子バレー部は解散するんだって」

「でも、それならヤチヨちゃんが女バスに入ればいいじゃない? ヤチヨちゃん、運動神経抜群だし、彼女が入れば女バスだって人数が五人になって試合にも出られるし」


 妙案を思いついたとばかりに、美海は声を弾ませたが、泉美は静かに首を横に振った。


「それが、その部活潰しガール、ただ部活を潰すだけが目的じゃなくて、潰した部の部員をごっそり引き抜いて新しい部を作るつもりらしいのよ」

「そんなことして、うまくいくはずないじゃない」

「あたしもそう思う。自分の部を潰した相手の部活に入れなんて、普通の感覚じゃ考えられないけれど……とにかく、ミウも気を付けたほうがいいよ。ただでさえ一人しか残ってないし」

「一人きりの部活なんて、潰れてるも同然だと思うけど……」

 美海は眉をハの字にしてこたえ、再びペダルを漕ぎだした。


 やがて環状道路は島で唯一の信号機がある役場前に突き当たった。

「私、ママに買い物頼まれているから、ここで」

「あたしも付き合おうか?」

「ううん。大した買い物じゃないから、イズは先に帰って」

「そう? それじゃあ、また明日」

「うん。また明日ね」


 美海と泉美は互いに手を振って別れた。

 交差点を曲がるとすぐに、生鮮スーパーのAコープが見えてくる。

 Aコープと道路を挟んだ反対側には青花港があり、そばにトイレや公園が整備されている。公園にはフットサルコートぐらいの広さのグラウンドがあって、潮風でさび付いた小ぶりなサッカーゴールが一対と、隅のほうに申し訳程度に、ゴールネットがなくなってリングだけになったバスケットゴールが立っている。

 大きな夕日が海と空を焼いて、朱色に染まる世界のなか、誰かが公園にあるバスケットゴールにむけてボールを投げるのが見えた。

 逆光ではっきりとは見えないけれど、膝上の短めのスカート姿であることから、その人影は女の子だと思えた。彼女がジャンプすると同時に、その手を離れたボールは、美しい放物線を描いてゴールリングを通過した。


 誰だろう。

 美海の脳裏にそんな疑問がよぎった。

 青花地区に住んでいる女子バスケ部員は泉美だけで、彼女とはさっき別れたばかり。もし彼女が高校生ならバスケ部に入ってくれないだろうか。そうすれば、泉美たちも引き続き公式戦に出ることができるのに。

 しかし、美海はその人影に声を掛けることができなかった。それができるなら、テニス部だって美海一人きりになっているはずがなかった。

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