第四章:消えぬ想い
消えぬ想い1
机に投げられた一通の手紙。それはお店も閉まり後片付けをしている時だった。
「あの、これは?」
椅子に座っていた僕は手紙を持って来た(机を挟み向かいに座る)秋生さんにそう尋ねた。煙管を片手に彼は相変わらずの眼光で僕を突き刺している。
「読めばわかる」
淡々とした声が答えると僕はとりあえず手紙を手に取り中を見てみる。それが誰からの手紙なのかはすぐに分かった。だからこそ前のめりで読み進めあっという間に読み終えてしまったのだ。
「これって……」
「書いてある通りだ。もうあいつと会う事はない」
「そんな急に……」
「諦めろ。あいつはお前のどうこう出来る女じゃない」
「でも僕は――」
「何故あいつがお前のような奴と関係を持ったか分かるか?」
「え? 直接は聞いた事ないですけど、楽しんでくれてくれてました。それに僕の事を……」
脳裏で思い出す夕顔さんはその声や温もりまでもが鮮明なものだった。
だけどそんな僕を一笑する声が想い出の外から聞こえ現実へ連れ戻す。
「それがあいつの本音だとでも思ってるのか?」
「どういう意味ですか?」
全く、そう言いたげな表情で微かに首を横に振り煙管をひと吸い。
「あいつはそうやって男を取り込むのが仕事だ。どんな男でもあいつの隣に座れば自分に好意があると思い込む。お前のような男を落とせないと思うか?」
「でも僕にそんな事をして何の得があるんですか?」
「お前は唯一客達にないモノを持ってる」
「ないモノ?」
お金も地位も何もない僕が彼女の客になれる程の人達が持ってないモノなんて持っているはずがない。僕は思わず小首を傾げた。
「新鮮さだ。誰にも知られないよう会うそこら辺の何でもない男。金を持ちの己の欲求の為に来る客とは違う。その新鮮味があいつを引き寄せた。だが人間はいずれ慣れる。それがその証だ」
秋生さんは僕の手にある手紙を煙管で指した。
「あいつはうちの大事な遊女だ。替えは早々利かない。そんなあいつがもう会わないと言ってるんだ。もう二度と近づくな」
僕は手紙に目を落とした。そして頭では最後に会った時の事を思い出していた。夕顔さんの声や表情に手、首の温もり。肩に寄り掛かる幸せの重み。
急ってこともあるけどやっぱりそんなすぐに受け入れられるものじゃない。もしそうなんだとしてもこんな手紙だけじゃ。
「手紙じゃなくて直接聞きたいです。そしたら諦めます。二度と会いません」
終始刀のようだったがその眼光は、僕の言葉で更にその鋭さを増すとより一層深々と突き刺さってきた。
「勘違いするな。諦めてくれと言ってるんじゃない。決まった事を伝えてるだけだ」
「だとしても僕はそれを彼女の口から聞きたいです」
だけど僕は無心で噛み付くように返していた。本気だと言うように彼の見るだけで怪我をしてしまいそうな双眸へ負けじと視線を向けながら。
「そうか。なら好きにするといい」
「ありが――」
「だが、あのじいさんにとってこの店は全てらしいな。お前もその店で働く身。好きにするのはいいがその責任はとってもらう。それを忘れるな」
「この店は――」
「話は終わりだ。俺はそんなに暇じゃない」
秋生さんは僕の言葉をまともに聞かずそれだけを言い残し店を出ようと立ち上がり歩き出したが、丁度戸が開き源さんが戻ってきた。
「これはこれは吉原屋の楼主様。わざわざこんなところへ。どうかされましたか?」
「いや、もう済んだ」
そう言うと秋生さんは源さんの開けたままの戸から店を出て行った。彼のいなくなった店内に残された沈黙の中、源さんは戸を閉め手紙をまた読んでいた僕の傍で足を止めた。
「なんだそれは?」
僕は答えはせず手紙を源さんに見せた。状況が把握できず眉間に小皺を寄せながら源さんは手紙へ視線を落とした。
「お前、これ……」
言葉を詰まらせた源さんは手紙を僕に返すと嘆息を零し近くの席に腰を下ろした。
「ずっと会ってたのか?」
「最初は手紙だけでそれから」
「あの一夜で満足したはずだろ?」
「それはそうだけど。やっぱり忘れられなくて手紙を書いたんだ。返事がなかったらもう忘れようって思って。でも返事が来た」
源さんは机に肘を着けた手で頭を抱えた。
「あの人はなんだって?」
「彼女はもう会わないって言ってるから二度と会うなって。もし会ったらこの店をって」
「そうか」
「大丈夫だよ。流石に僕もそこまではしない。だってこの店は源さんにとって大切な物でしょ? それに僕にとっても家だし」
少し間を空けた後、源さんはゆっくりと口を開いた。
「儂が間違ってた」
「何の事?」
「お前がずっと夕顔花魁を見てたのは知ってた。それにその為にずっと給料を貯めてたのも知ってる。だから一夜だけでも過ごせればそれも終わると思とった。きっとこの場所に幼い頃からいた所為なんだと思とった。だから会わせたんじゃがな」
僕は源さんが何を言ってるのか全く分からなかった。話が見えない。
「一体何の話をしてるの?」
源さんは答える前に顔を僕の方へと向けた。
「この店の先代はあの人に貸しがあった。それが何かは分からないが大きな貸しがな。だが結局それを返して貰う前に先代は死んだ。その時、儂に言ったんだ。いつか必要な時にこの貸しは使えとな」
「まさかそれを使ってあの夜を?」
思わず僕は立ち上がった。
「いくら客がいないとは言え、お前があの夕顔花魁を一夜だけ買うなんて本当に出来ると思うか? ましてやその条件が偶然揃うなんて。儂が事前に取引をしていたからだ」
「何でそんな事を!」
吉原屋の楼主への貸しがどれ程のものかは僕でも分かる。それが大きなものとなると、ましてやこの遊郭に店を構える者となると猶更だ。今後一生の繁盛が約束されたも同然。吉原屋の一切の食事を担い提携関係になる事だって夢じゃない。
そんな金塊より貴重な貸しを僕のこんな願いを叶える為に使うだなんて……。団子に使い捨てで金の串を使うようなものだ。
「儂はお前にここを出て欲しい。別に儂に恩を感じてここにいる必要はない。お前には外に出てもっとしたいことをして欲しいだ。辛く困難だとは思うがそれは悪い人生じゃない。家を飛び出した儂が言うんだ間違いない。だがお前は彼女にずっと夢中だった。それはお前をここに引き留める存在になる程にな。だからその夢から覚めれば少しはここを出る決心が付きやすいと思ったんだ。その為にあの貸しを使った。どうせ使う予定もない宝の持ち腐れだ。だがそれは間違いだったようだな。むしろお前をより強く彼女にのめり込ませてしまった」
そして源さんは静かに立ち上がると歩みを進め始めたが、僕の横で一度立ち止まると肩にぽんと手を置いた。
「もしその所為でお前に辛い思いをさせていたらすまない」
それだけを言い残して源さんは行ってしまった。僕は倒れるように椅子に座ると手紙を手に取り文字に目を落とした。
それから僕はどうする事も出来ぬまま三好での日々を過ごしてた。夕顔さんと会う事も手紙が届くことも無いあの一夜以前の日々と同じように。でも以前の日々と違い毎日のように僕は彼女から届いた今までの手紙を読み返していた。同時に頭では会った時の事を思い出して。だけど毎回、最後の手紙になると自然と浮かんでいた笑みが消えていく。そしてこの手紙が届けられた日の夜を思い出してしまう。
仰向けで寝転がっていた僕は手紙を持った手を横に落とし天井を見上げた。
今思えばこれまで源さんが頑なに僕に料理を教えてくれなかったのはこの為だったのかもしれない。この店を継がせる気がなかったから。僕が少しでもここを去りやすいように。
ある日突然、独りぼっちになった僕をここまで育ててくれただけじゃなくて僕の未来もちゃんと考えてくれてる。彼は一体僕にどれだけのモノをくれたんだろう。彼が居なかったら僕はどうなってたんだろう。源さんには感謝の気持ちしかない。だから正直言って夕顔さんとの事は納得出来てないし今すぐにでも彼女に会って直接訊きたいけど、もし見つかりでもしたらこの店が犠牲になる。そんな事は出来ない。自分より僕を優先してくれた源さんを犠牲にして自分を優先するなんて……出来ない。
「本当にもう終わっちゃったのか」
それは初めて会ったあの夜が明け三好に帰ってきた時と同じような気持ちだった。意外とあっさりと呆気なく終わり、これまでの夕顔さんとの時間が全部夢だったみたいな感覚。終わりと分かっていてもその実感があまり湧かない、夢と現実の狭間にいるような夢現状態。もうあの声で名前を呼ばれる事もあの手や腕に包まれる事も無い。あの姿や笑顔すら見る事はない。
そう思うと気が付けば目尻から下へ向け撫でられる感覚を感じた。
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