第41話 怒り
矢を男の胴体に向かって放つ。男は体をずらして、矢を避けた。矢は奥の壁に重い音を立てて刺さった。
男が左手で右手を抑えた。まるでなにかの衝撃に備えるかのように。
男の腕に付いていたフックがまるで大砲のように轟音を立てて飛び出てきた。その速さは新幹線の最高速度にも匹敵するはずだ。
初見ならやられていただろう。しかし手が伸びる、というのはどっかの蟹で経験済みだ。
体を捻って男のフックを避ける。フックには鎖がついており、金属音を鳴らしながら飛んでいった。
素早く矢を取り出して弦につける。男のフックは右手だけだ。もう男に武器はない。なら俺の方が強い。
矢を男に向かって放った。フックの重い音とは違い、軽くて素早い音を出しながら、矢は男の腹を貫いた。
「ふぅ……まぁまぁやるな……」
男が腹に手を当てた。流れ出る血を止めるためだろうか。
男が右手を引いた。その瞬間にフックに繋がれていた鎖が音を立てて、男の腕の中に戻って行った。なかなかハイテクな物だな。
「これを初見で避けたのはお前で2人目だ。誇っていいぜ」
「2人中2人が避けたんだろ?誇れるほどのものでもないさ」
「はは、お前面白いな。出会いが違うかったら仲良くなれてたかもな」
「いやだよ。お前と仲良くするのは」
突然、男が壁をフックで切りつけた。黒板を爪で引っ掻くような、不快で高い音が辺りに響いた。
「少し本気を見せてやる」
男が切りつけた壁を見てみる。壁はどんどんと切れた部分からヒビが入っていった。周りは黄色く変色し、ポロポロと砂のようなものが地面に落ちていった。
あれがこの男の能力か。あのフックで切りつけられるとさっきまで横に落ちていた死体のように腐ってしまうようだ。1発でも攻撃を受けたらダメなのは結構きついな。別に慣れてるからいいけど。
男が俺に向かって走ってきた。やはり近距離戦をしてくるよな。想定内だ。
クイーバーから矢を取り出した。矢は結構細いので男のフックを防ぐことはできなさそうだ。
男が右手を振り上げた。かなりの大ぶり攻撃だ。当たれば不味いだろうが、当たらなければただの的にすぎない。
男が右手を振り下ろす。バットが空振りした時のような風を切る音を出して、地面に叩きつけられた。
男の体勢が前かがみになった。ちょうどいい位置だ。体を捻るようにして男のこめかみに矢を差し込んだ。矢は頭蓋骨を貫通し、脳を切り開きながら、反対側のこめかみから飛び出てきた。
男の目がこちらを向いた。その目には明らかに殺意がこもっている。
男のフックが下から振りあがってきた。体を後ろに逸らしてフックを避ける。鼻スレスレのフックが視界を通り抜けていった。
素早く矢を取り出す。基本フックを封じてしまえばこいつは強くない。攻撃の速度もたいして速くもないしな。
矢を握りしめた。そして、男の振り上げている二の腕に矢を突き刺した。そのままねじって食い込ませる。矢は男の二の腕を貫通し、奥にある首にまで到達した。
これで一時的にでも腕は封じられる。矢で首と腕を繋げたことによって、男のフックは上に上げたまま固定されている。フックが使えなければ怖くない。
男は何が起こっているのかが分からないようだった。腕を動かそうともがくが、焦っているようで抜けない。
矢を取り出す。狙うは心臓。男の行動は封じである。ならば後は殺すのみ。腕を後ろにねじって力を溜める。男は俺の行動に気がついたようだが、行動出来なければただのサンドバッグと同じだ。
俺は男の心臓に矢を突き刺した。胸の中心からほんの少し左。そこに心臓はある。当たり前だが心臓は人体の急所だ。どんな生物だろうと心臓に攻撃を与えればたとえ死なずとも、かなりのダメージを負わせることが出来る。
矢は男の胴体を貫通した。刺した部分がどんどんと黒ずんでいく。男の口からポタポタと血が出てきた。
「終わりだ。来世でまた会おうぜ」
俺はそう言って男から離れようと後ろに下がった。
その瞬間、男が俺の左肩を掴んできた。近くで見るとかなり大きい手だ。一瞬、何をしているのか分からなかった。しかし、瞬きをするよりも速く、それには気がついた。
「……意外と近いうちに会えそうだな」
男はそう言うと、地面に音を立てて倒れた。
自分の左肩を見た。段々と変色していっているのが分かった。こいつは切りつけたものを腐らせるのではなく触れたものを腐らせるんだったのか……誤算だった……。
懐からナイフを取り出した。とりあえず衣服を切り取り自分の素肩を見た。
既に肩は黄色く変色しており、匂いも生ゴミのような匂いになっていた。手遅れな雰囲気を感じるが、まだ手遅れではない。
腐っているのは肩だけだ。それもまだ表面だけ。ならばこれ以上腐らせないためにはどうすればいいか。
俺は息を大きく吐いた。そして、自分の肩にナイフを滑り込ませた。チュクチュクと肉と血が掻き回される音がする。
「――っっ!」
痛い……けど、なんかそこまでだった。腹を撃たれた時の方が痛い。それに皮をちょっと剥がすだけだしな。
地面に腐った肩の皮を捨てる。ちょっと肉とか着いているが、まぁ動かせるから問題は無い。
「ぶぅぅぅ……疲れた」
これで終わったはずだ。あとは、桃を連れてここから逃げるだけ。怖いのはさっきいたでかい女だけだ。今、あいつにあったら本気で殺されそう。絶対怒ってるだろうしな。
「――うわ~ん!!」
桃がこっちに走ってきた。怖かったんだろうな。何をされたか聞きたいが、それは外で聞いた方がいいな。まずは出ることが先決だ。
桃が俺の胸の中に顔を押し付けてきた。暖かい。冬なら湯たんぽにも出来そうだ。頭を撫でる。疲れていた精神と体が少し休まった。桃を抱きしめる。俺だってずっと辛かったんだ。これくらいしてもいいだろう。桃の頭が俺の鼻についた。
……おかしい。違う。違う。匂いが違う。血の匂いでかき消されたのでもない。完全に違う。桃の匂いじゃない。
ふと、奥の方を見てみた。そこには腹から血を流して倒れている、ヒルの姿があった。
「あ……え――」
言葉に詰まった。何が起きているのか分からなかった。
その刹那。俺の腹部に違和感がついた。ドロドロと何かが出ている。ゆっくりと下を向いた。
桃の手から氷のような鋭いものが出ていた。
続く
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