第71話 この朴念仁!

「ああ、俺の育ての親……っておい、エルゼ?」

「エルゼ、しっかり!」


 エルゼがふらっと倒れかけて、慌ててウリカに支えられる。


「エルゼ? 【森の隠者フォレストハーミツト】って?」


 ウリカは知らないようだ。

 呆れたようにアーニーを睨むエルゼは珍しい。


「我らエルフの最長老の一人であらせられる方ですよ。隠居されて行方知れずでしたが…… 実在するかも危ぶまれていた方なんです。アーニー様の精霊への見識、森の智慧…… つじつまはあう……」

「おおげさだよ。長生きの偏屈なじいさんだよ。唯一の家族みたいなもんだけど。ものすごい物知りでさ。精霊魔法やアサルトパイオニアの知識も、野外活動の知識も工兵術式以外はじいちゃんから教えてもらったようなもんだしな」

「【森の隠者】ならそりゃ物知りでしょう! アーニー様は非常識過ぎます!」


 エルゼの口調には畏怖さえ籠もっている。


「隠してたわけじゃないんだけどな」


 困ったようなアーニー。


「私達も会ったことはないのよ? アーネスト君が入学したときは大騒ぎだったんだから。【森の隠者フォレストハーミツト】の紹介状を持った【人間ヒユーマン】が現れたって」

「あのときは魔法学園都市が揺らぎましたね。養い子だから気遣い無用、と書かれていたそうですが」

「おう。入学当時、本当に無能だったとかさんざん言われたぞ。こっちは何も知らずにきたというのに」

  アーニー自体も学園都市には恨みはあるようだ。


「実際、アンコモンだったから人間の教師はそっぽ向いてたね。そこは大変だったと思う。コネ入学みたいなもんだし。【森の隠者】直伝の工作技能があったから私が一番得したね!」


 工作技能とは土木作業の知識でもある。

 建築のマエストロであるイリーネにとって、これほど頼りになる生徒はいなかっただろう。


「ああ、それはわかる…… とくに魔法関係は、学閥とか種属とかうるさいもんね」


 ポーラが学園時代を思い出し、同情した。


「おう。人間なんて数が多い多数派に過ぎないのにな。うんざりした」


 アーニーが珍しく人間批判をしている。

 よほど嫌な思いをしたようだった。


「アーニーさんが亜人が多いこの町の印象が良いっていってくれた理由、わかった」

「アーニー様、もうエルフでいいじゃないですか。人間を辞めましょう。クラスチェンジするみたいに種族チェンジで、こう……」


 エルゼが真顔で進言する。


「ディーターみたいなこというなよ、エルゼ……。どうやって辞めるんだよ!」

「まずドワーフにしたいですね。無精髭じゃなくて、ぼうぼうに生やしましょう」


 ロジーネがアーニードワーフ計画を夢想する。


「生やさない! 学校時代途方にくれていた俺を拾ってくれた人はイリーネ先生だったな。最初どの科目を学ぶにも基礎能力が低くてな。あらゆる学部に門前払いを喰らったんだよ。建築工学科のイリーネ先生に助けられたんだ」


 当時を思い出し、懐かしそうな顔をする。


「俺の工作術式は古代魔法の応用術だからな。古代魔法と工業の融合みたいなもんだし。あれが使えない以上、アサルトパイオニアは建築特化のレンジャーにすぎない」

「そんな魔法があること自体びっくりだったわ、私は。製材を魔法でやるなんて」

「こき使われたけど。推薦してもらってようやく魔法を学べる環境にしてもらったんだよ」

「魔法を学んでからはやることなすこと目立ったからなあ。アーネスト君は」

「目立つの嫌いなのにな」

「10年以上、世捨て人みたいに迷宮に籠もってた理由もわかった気がする。おじいさんの影響?」


 ポーラも【森の隠者】は知っていたようだ。額をひくひくさせていた。


「言われて見ると街での喧噪より一人で迷宮に閉じこもって、たまに冒険者組合でガチャを回していた方が気が楽だった。じいちゃんの気持ちが分かったなあ」

「王女救出の際なんて、功労者いなくて大変だったんだから」

「ろくな能力もないのに話題の中心になるなんてご免だ。相応の実力を身につけたい」

「じゃあ今ならいいんだ?」

「……やっぱり嫌だ」

「ほら!」


 イリーネはからからと笑った。


「【森の隠者】の義理の息子が亜人解放戦争の立役者……」


 エルゼはまだ衝撃から覚めていないようだ。


「話を聞いたマレックさん今度こそマジギレしそう」


 その光景を想像してにやにやしてしまうポーラだった。


「王女の話は有名だけど、アーネスト君が絡んでいることは知っている人少ないね。アーネスト君、とにかく逃げ回るから」

「本当に! 凄く! わかります!」


 エルゼが若干吐き捨てるようにいった。ちょっと怖い。


「立役者ではないぞ。そもそもアサルトパイオニアなんて裏方職だ。エルゼも忘れろ」

「またそういって……」

「そういう子だから、アーネスト君は」

「本当に。たくさんの感謝が、アーネストさんにはあるのに」

「返し切れない恩を施して逃走する、恩の押し売り当て逃げ犯みたいな男だよね!」

「わかる!」


 女性陣の声が重なる。連帯感はもはや確固たるものになりつつあった。


「あまり虐めないで」

「乙女心をもてあそんだ罰ですね」


 ウリカにもにっこりと切り捨てられる。


「レクテナ先生、私と同じ状態になるのかー。ジャンヌさん、頼んだよ!」

「えー。またマスターの尻拭いっすか!」

「聞いた話、私の時より酷そうだしね!」

「もう勘弁してくださいよ、この朴念仁!」

「朴念仁! それは言えますね」


 くすくすとロジーネが笑う。


「なんでみんなそんなに連帯感があるんだ。ロジーネなんて人見知りなのに」

「居心地いいですよ、ここは。早く帰れとか言わないでくださいね」

「いなくなったらさみしくなるな」


 そろそろ彼女たちも王都に帰る時間だ。

 巨匠マエストロはそれほどまでの重要人物である。


「そうですね。一ヶ月我慢してくださいね」

「一ヶ月?」


 姉妹は顔を見合わせて笑う。


「来月には戻れるよ」

「また来るのか? 聞いてないが」

「来るんじゃない。帰るの。こっちに引っ越すの」


 アーニーが固まった。


「なんで?」


 アーニーが死んだ瞳になった。


「やっぱり聞いてないのね。――マレックさんに頼まれたのよ。ダメ元でって移住打診されて。二つ返事でOKしちゃった。てへ」

「てへ、じゃねーよ! あのバンパイアロード人材引き抜きとか何してんだよ。先生もマエストロだろ。残した王都の仕事どうすんだ」

「貴族の見栄えだけのお屋敷作るより、こっちでみんなを守る要塞作ったほうが楽しいんだもん」

「もんじゃねー!」

「皆さん、来月からよろしくお願いしますね」

「やったー!」


 女性陣が歓声を上げる。


「ロジーネまで?」

「私が姉さん置いて王都に残ると思いますか?」

「工房は?」

「ここに立派な工房があるではありませんか。さすがアーネストさんが作った工房なだけはあります。何一つ不自由はありません。ここにあるガラス工房や工業施設。王都を遙かに越える効率性です。王都の工房捨て値で売り払ったところで、ここですぐ元は取れますよ」

「だいたい王都に戻ったここ数年の暮らしや仕事より、ここ一ヶ月の仕事のほうが楽しかったよね」

「間違いなく。日々の暮らしも、徒弟たちへの指導も、仕事も。この町の人たちの学ぶ姿勢が素敵です。こんだけ熱心な生徒や職人に囲まれたことは久しぶりですよ私」

「うんうん」


 姉妹の間にはまったく障害はなさそうだった。


「マレックに頼まれたからって、先生たちに何のメリットもないだろう」

「王都や魔法学園都市にいるほうがメリットないわ。魔法帝国時代の建築技術資料、とくに風呂の設計図面とか、もうもらっちゃったし? あの風呂最高だし!」

「亜人、とくにドワーフもたくさんいるので居心地いいですよね。王都より明らかに素敵です。それに私、あれほど素直でイケメンなハイオーガさんたちにちやほやされたら、正直……ごほん」

「ほんそれ。あの子たち真面目よねー。王都にいる人間の弟子なんて、親に言われたとか将来が不安だからとかそんなんばっかり。ここに屋敷の建築場所の許可ももらったし。ロート君が春までには完成させるっていってたし」

「ロート、死ぬなよ…… ウリカ、マレックから何か聞いてた?」

「いえ! まったく!」


 ウリカはにっこり笑って答えた。

 マレックなりのアーニーに対する素敵な意趣返しだ。しかも誰も損はしないどころか、莫大な利益を生む。彼女自慢の父親である。


「マレック叩き起こさないと」

「寝ている吸血鬼をそんなことで起こすなって言われますよ」

「マレックさんやり手だよね。絶対あの人、魔法帝国時代の有名な貴族だったと思う」


 ポーラは今、かなりマレックと親しくなっている。

 魔法議論に華が咲いた形だ。


「そこらへん詳しく教えてくれないんですよね。私のご先祖様の一人には違いないのですが」

「マエストロ二人引っ張るとは王都と戦争になりかねんぞ」

「マレックも予告無しにマエストロ二人も招いた人間には言われたくないと思うんです」


 ウリカが辛辣だった。


「マエストロの引き継ぎは大変そうですね」

「いやー。貴族の屋敷二、三抱えてるだけだし。優秀な人間に屋号の暖簾分けでもして、さっさと移るよ。そう適当な名分は必要だけど後から考える」

「他の国に移住するわけでもないしですしね。グフィーネ王国圏内ですし」


 こともなげに告げる二人。


「マスターの意識が遠くなってる!」

「あはは。そんなに嬉しいかー!」

「ちょっとだけ待っていてくださいね」


 そんな様子をみて、ポーラがぽつんと呟いた。


「まだまだアーニーの関係者、たくさん来そうね」

「フラグはやめよう」


 切実なアーニーの弱音に、女性陣全員が声を立てて笑った。


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