第45話 エルゼの追憶
疾走するアーニーと追随するエルゼ、
二人は光柱に向かっている。
(ウリカ様のためにもがんばらねば)
俊足のアーニーがエルゼにペースを合わせている。彼女は少しでもスピードを上げるために呪曲を奏で、補っていた。
(アーニー様たちは本当に…… 追いつくには大変ですね)
それは実力的な意味で——
(昔、私がアーニー様のことを嫌っていたと知ったら、お気を悪くされるでしょうか?)
助けられる前、以前のことを思い出していた。
兄であるディーターと彼女は二人きりの兄妹だった。
一族は西にある帝国の亜人狩りに合い、西へ西へ逃げていった。
とくにエルフは美しく、賞味期間も長い。男女問わず高く売れるので格好の餌食だった。
両親も死んだ。
両親が残してくれた遺品は生きるために食べ物となった。
時には彼女の美しい銀髪でさえも、売った。
ただでは誰も助けてくれない。
何かを得るには、何かを失う。
何かを維持するにも、何かを失う。
兄妹に刻みつけられた教訓だった。
何かを無くすたび、彼女は表情を失っていった。
ディーターは心を痛めたが、どうすることもできなかった。
それでも兄も妹も、全てを手放してでも生きる決意をした。
名も無き町にたどり着いた時、町は難民だらけだったが、彼らを快く受け入れてくれた。
この町のエルフ族は、各地に点在した氏族の寄せ集めである。彼らは名も無き町のエルフ氏族として生きることを決めたのだ。
ここはエルフもドワーフもハイオガーもフロレスも、フェアリーや少数のダークエルフまでいた。
皆最後の寄る辺としてこの町を選んだのだった。
まさか吸血鬼公が統治しているとは思わなかったが、等しく平等である理由もまた知った。
この町で冒険者としてバードをやっていくことを決めたのも最近だ。兄は反対したけれど、彼女の意思も強固だった。
ソウルランクが高くない彼女は、支援職に向いていると判断したからだ。低レベル帯では苦労するだろうが、レベルも高くなれば安泰だろうという判断だ。
そんな中、最近になって兄が変わった。
話題は領主であるマレックが後見人をしている、ウリカという少女が連れてきたアーニーという男だった。
たまたま森であった縁で、色々と教えてもらうことになったらしい。
兄の価値観を根底から揺さぶる出来事だった。
アーニーは異常ともいえる、森林に関する知識を保有し、森に関する技術を惜しみなく教えてくれるというのだ。
同じエルフでも、数十年かけて仕えないと教えてもらえないような技術を、だ。
エルフとドワーフの伐採問題も、エルフ管理という破格の条件をもぎ取って、そのままディーターに譲られた。
もちろんディーターがエルフ族と共同で管理する。
領主であるマレックと窓口になっただけでも、エルフ族の序列としてはかなり上位になる。
エルフは長命だ。ゆえに序列には非常にうるさい。この町はまだ、極めて緩いほうなのだ。
その技術の権利も、何も要求しない。
友人から対価は受け取りたくない、という理由でだ。
もはや兄は心酔しきっていた。
ある日、兄からブローチが贈られた。
それは、彼女が旅で失った、両親の遺品にとてもよく似ていた。
「これは?」
「仲良くなったドワーフと一緒に作ったんだ。その、あれとまったく同じはまだ無理だけどさ」
「ありがとう、兄さん」
誰が見ても分かる素晴らしい一品ものだ。
久しぶりに頬が緩んだ。兄の気持ちが嬉しかった。
「礼ならアーニーさんとドワーフに向けてやって欲しいけどね。エルゼが喜んでくれたら嬉しい」
はにかむ兄の笑顔をみて、胸が痛んだ。
またアーニーなのか、と思ったからだ。
日々アーニーの素晴らしさを語る兄。エルゼは嫉妬を覚えずにはいられなかった。
幾度となく紹介したいと言われても、拒否を貫いた。
そして運命の日を迎えた。
助けられた日。
多くのものを差し出し、永らえた命が終わる予定だった日。
オークに持ち上げられ、絶望のただなか、起きた奇跡。ウリカとアーニーは現れたのだ。
しかし——
「かぼちゃ持ってくれ」
要求はそれだけだった。
狩りを中断して彼女を送り届けた二人はこういった。
「ディーターさんの妹さんを助けられて良かったですね、アーニーさん」
「まったくだ。ああ、かぼちゃをもってくれてありがとう。今日の件はこれで貸し借り無しってことで」
二人は兄に挨拶すらせず、立ち去った。
気付いた時には夕闇に消えていた。
彼女は呆然とした。
そう。これっきり。
貸し借りなしで、これっきり。かぼちゃを持った、それだけで。
そんな馬鹿な、と思った。
ふざけるな、と思った。
私の命は! 魂は! それほど軽くない! 礼一つ受け取らない? これで終わりなどあってたまるものか!
悲鳴に似た思い。表情とは裏腹に襲われた激情。血がにじむまでかみしめられた下唇。
それほどのことをしてくれたのに何故? 尽きない疑問。
エルフといえど、わかる。そんなものが対価になるわけがない。
女性として考えられる、最も悲惨な最後でもおかしくなかったのだから。
命と尊厳、魂といってもいい。その対価は何がふさわしい?
何も要求しないという、高潔なる意思に見合うそれは――人生しかないだろう。ならばあの男を絶対に落としてやる。あの男が老いて、その死の瞬間まで見届けてやらないと気が済まない。
エルゼはこのときすでに、アーニーへの恋心を募らせていた。
エルゼ救出の件は名も無き町のエルフ族にも衝撃を与えた。兄はいうまでもなく大騒ぎだ。
エルゼの無事を喜び――そして困惑した。
アーニーはエルフ族からのすべての礼を固辞するのだ。
エルフ族の彼に対する感恩は大きい。
ドワーフとの協力関係、職人の育成、何より森林行政という新しい役割の導入。
森を大事にすることと、切り拓くことの矛盾への解決策。
多種族との共生への道。
未来のための植林、維持するための間伐や除採の必要性、全てエルフに任されたのだ。
聞けば精霊とも話が可能であり、樹人族や木々の精霊たちも交流までしているという。
ある者はアーニーがエルフとまで言いだし、笑う者もいなかった。
たった数ヶ月でこれほど多くのものをもたらされながら、何も返礼すらできず、今回のエルゼ救出がダメ押しになった。
集まって行われるエルフ族の会議で、エルゼは発言した。
「今回の礼を含め、アーニー様のもとへ嫁ぎたいと思います。この関係がうまくいけば、彼とエルフ族の結びつきを強固にすると私は考えます」
いつものように、表情を変えずに。事実と一族への利点を提示した。険しい視線が彼女に注がれるが臆することはない。
失うことに怯える、生存競争ではない。
彼女が得たいと思ったものを勝ち取るための戦いなのだ。
エルフは若者が少ない。
そのためエルゼにも日々、お見合いや結婚話が舞い込んでくる。
そんななか、人間に嫁ぎたいといっても許されるはずがない。
結婚したところでアーニーの死を待って結婚話をもってくるものや、実力行使に出る者がいないとも限らない。
若輩者の彼女は自分の地位を勝ち取らないといけないのだ。
早速意見は分かれた。
賛成半数、もう半数のうちの半分が反対、もう半分は様子見という見解だった。
反対派も彼女やアーニーが憎くて反対しているわけではないことを彼女は理解している。またエルゼに恋慕する者が数人いることも。
「定命の者だぞ」
寿命の違いは多くの悲劇を招く。
「それに何の問題がありましょう? 我らの一族がこの町にたどり着く十年で、七割が死に果てました」
どれほど寿命が長くても、死んだら意味はないのだ。
「花は数ヶ月で枯れ、犬は数年で寿命を迎えます。ですがそれは愛さない理由にはならないでしょう? まして彼には高潔な魂がある。我らは人間やほかの種属とも暮らしております。彼らの寿命が短いからといって、交流をやめますか? 親友がいらっしゃる方も多いでしょう」
別の者が問う。
「ウリカ様を差し置いて、我らがでしゃばるわけにはいくまいて」
「問題ありません。私はウリカ様を差し置いて妻になりたいわけではありません。エルフではありえませんが、人間は妾や愛人を持つものでしょう? その地位でよいのです。肩書きなどどうでもいい。私は二人を愛します」
エルフは基本的に一夫一妻制だ。人間の愛人にされたエルフも少なくはないが、エルフの心証としては歓迎されないことは確かだ。
そしてエルゼはウリカに姉のような、妹みたいな深い愛情を抱いている。
「ディーター、お前はよいのか? 妹が人間の、愛人や妾になったとしても?」
別の者が兄に問う。体裁のことをいっているのだ。
兄は無表情だ。思考を巡らせているのだろう。
エルゼはそのときはじめて、そっと兄に囁いた。
悪魔の甘言のように——
「兄さん――アーニー様と義理の兄弟になることはそんなに嫌なのでしょうか?」
「……そうなるのか?」
兄が目を見開いた。そこまで考えがいたっていなかったらしい。声が若干震えている。
エルゼはうっすらと微笑んだ。
この場にいる全てのエルフより、アーニー一人を信頼している兄なのだ。
「私がアーニー様のお子を授かったら、私がどんな立場であろうと、義理の兄弟になります。――アーニー様のお子を、ですよ。血と魂の繋がりです」
兄を落とすには、どのように囁けば良いか。エルゼにはわかりきっていた。
もしアーニーより信頼でき、妹を任せるに足るエルフを連れてこいといっても、ディーターは返答に窮するだろう。
だが、そんな話よりもアーニーとの義理の兄弟のほうが破壊力あるに決まっている。
兄が遠い目をしていた。そのとき、を夢想しているのだろう。
「俺は、エルゼの意思を尊重する」
ディーターは、町のエルフ族に宣言した。
これで決まった。
問題もあった。
アーニーがエルゼを拒否するだろう、ということだ。兄もそれは承知していた。
あっさりエルゼに飛びつくような男に、そもそも惹かれるはずがない。
そこは、エルゼ自身はあまり深く考えていなかった。
急ぐ必要はない。時間をかけ、少しずつ仲を深めれば良い。
定命の者だ。
人間は老いる。老いれば心細くなる。
そのとき自分が隣にいればいいのだ。自分の寿命の長さ、美しさは武器だ。
老いによる醜悪化など、問題ではない。容姿が美しく心が醜悪な者など、エルフ族にもたくさんいる。何より欲するものはアーニーの心であり、魂なのだから。
三人での生活が始まった。
それは今までになく楽しく心躍る日々。二人は優しいし、入り浸ってもでていけとも言われない。
アーニーが彼女に陥落しないことには苛立ちを覚えていが、同じく何もされていないウリカが可哀想である。大事にしているとはいっても限度があるはずだ。
あんな可愛い女の子と一緒のベッドで寝ていて何もしないとは、鋼の精神力である。
それだけ大切だということだろうが、意気地無しともちょっと思う。その駆け引きの日々もまた楽しい。
そして今ここにいる。
アーニーの背後を守っている。
彼女一人で、だ。
それがどれだけ彼女にとって嬉しく、そして誇らしいことか、きっと彼にはわからないだろう。
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