第14話 白い仮面と緑の塔
「おい、なんだよ。あれ、あんなの今まであったか?」
次々と攻めてくる白銅の自動人形の隙間からぐんぐん空へと伸びていく緑の塔が見える。
現在地点は9合目。
前線は一時混乱状態になり退却を余儀なくされていた。
「いいから、お前はその腹を指圧しておけ」
顎に傷の入った男は使えなくなった銃器を振り回して、白い仮面が外れた自動人形の胴体に叩きつける。
バーレントは岩陰に腰を掛けながら、腹部を押さえ、携帯している医療キットを使う。
震える手で乱雑に袋を開け、緊急止血用のカプセルを呑む。
空気に触れた血液が急激に酸化し、固体化した。
装着している鉄の仮面からは痛み止めのためか急激に頭を冷やすために冷気が発せられていた。
今までに無い動きだ。
ヒイラギが居たときより怪我が酷いのか?
バーレントは突如胃がムカムカする気分に苛まれ、喉の奥に突っかかったものを吐き出した。
雪の上に真っ赤な血が吐き出され、バーレントはため息をついた。
「さすがに内臓まではすぐに治らないだろうな。立ち上がれ、もう少し後ろまで下がるぞ」
男はそういうと、白い仮面が外れた自動人形と格闘しながら、ジリジリ後退していった。
「こういう退却するときに死にやすいんだ。群れにおいていかれて、無惨にリンチなんてのは日常茶飯事だ。」
横に展開されている戦線を眺めながら男は顔をしかめる。
「しかし、何度目だ?不思議だ。
こうやって銃器が使えなくなったのは初めてだが、一定のリズムで退却することになる。
こちら側のほうが戦力は圧倒的、包囲戦のはずなのにどうもうまくいく気配がない。
機械のくせして、夜は寝静まったかのように戦闘は起こらないし。ここで敵を初めて見たときは、こりゃ徹夜で戦闘か?なんて考えたんだがな。
まるで生命のような一定のリズム。」
「そうだよな。白い仮面の中も人の顔をしているし、気持ちわりぃ。」
バーレントはそう口ずさみ、ダメ元で銃のトリガーを押す。
炸裂音とともに、白い仮面が外れた自動人形の胴体へと玉がぶち込まれる。
緑色の液体を流しながら倒れる姿を見ているとふと、人形の茶色の瞳と視線が交差した気がした。
気持ちわりぃ。
ハイエナのような自動機械に襲われたときもそうだった。
アイツは薄気味悪くニヤけて、まるで人間のような笑みを浮かべた。
なんなんだよ。コイツら。
次第に周囲の騒音が金属同士が打ち付けられる音から、銃声が炸裂する音に変化していく。
「おっ戻ったか?」
顎に傷の入った男がそうつぶやくと、即座に鉄の仮面を被り直す。
「悪い、銃器の認証を解除するのに時間かかった。」
ルーカス兵長からのメッセージが鉄の仮面を通じて脳内に発せられる。
「ただし、フレンドリーファイア有効だからな、仲間割れはするなよ。健闘を祈る。」
一瞬、顎に傷の入った男の表情が変わった気がするが、そんなことはどうでも良い。
今はとにかく、戦線を押し戻すことに集中することにした。
「おい、ルーカス兵長。この次のプランはどうなってんだ?」
顎に傷の入った男が戦闘を続けながら指示を仰ぐ。
「まずは前線の補強をするために、後方部隊から新たに編成した部隊をそっちに組み込む。
それから、前線が進むのに合わせて、部隊全体を谷側にシフトさせる。後方の補給ラインが伸びるが、今は航空優勢が取れているから問題ないだろう。
いいか?キツイとは思うが急げよ。」
それから、数時間経って後方から増援が到着した。
「増援ってお前らかよ」
バーレントはそう言ってせせら笑う。
「なに、文句あんの?」
ヒイラギが顔をしかめて応対する。
ヒイラギは口元についたままのマスクを投げ捨てて、自信満々な表情を浮かべる。
肩に背負った射程の長いスナイパーライフルを数歩離れた地点で構える。
「爆撃ドローンなんて、朝飯前ね。野鳥のほうがよっぽど早いわ」
そう言いながら、次々と緑の塔の方角から飛んでくる飛翔体を撃ち落とす。
「こういうシューティングゲームを繰り返してたわけ?あなた達は」
「あぁ、そうさ。赤い標準が合えば撃って、また狙いをすまして撃つ。近接戦じゃなければ、これで十分。お前らはさっきの辛い時間こっちに到着してなかったから、そんなコト言えるんだよ」
バーレントは頭をかきむしりながら、ヒイラギに応答する。
「こういう減らず口はいつものことなんだから、あんまバーレントもムキにならなっちゃだめだよ」
ヒイラギと一緒に来たセシルはそう言って、バーレントをなだめた。
「俺は騙されねぇぞ。お前は俺を助けに来たんじゃない。どうせ、ルーカス兵長に頼まれて、尻尾振って増援に来たんだろ?」
「そうだけど。なんか悪い?」
セシルは長い髪を後ろにまとめて返事をした。
そして、片手間で手榴弾の栓を抜くと、自動人形の雑兵に向かって投げ込む。
日が暮れようとしていた周囲がパッと輝く。
「こりゃ、しばらくはずっとこのままだな」
顎に傷の入った男はポリポリと頭を掻く。
地点は先程と同じ8合目。
思ったように前に進めず、後ろの部隊が追いついてきてしまったわけだ。
とはいえ、戦力は次第に山脈沿いに広がっていた戦線の裾の尾が見えだす。
自分たちがいる地点が一番進軍が遅れているということだ。
「だいぶ日が暮れてきたな。山小屋もないし、野宿だな」
男はあくびをしながら、淡々と銃弾を狙いに向かって打ち込む。
「そうだ。増援も来たんだ。今日は遅れを取り戻すために、夜中も進軍しないか?どうせ敵もお疲れの頃だ。いつものように静まったところを交代で攻めに転じよう。」
「あんた誰?何者?」
ヒイラギはそう提案した顎に傷の入った男を睨みつける。
「ヒイラギ。そんな目すんなって、この人は俺が負傷おったときにフォロー入れてくれたんだ。」
「そういえば、何も話ししてなかったな。
俺はエドアルト。簡単に言えば、お前らより早く戦地入りした先輩だと思ってくれれば良い。
階級は一等兵だから、お前らの指示に従うべきだから助言として聞いてくれれば良いさ」
男はヒイラギの胸元の階級バッチをチラチラ見ながらそう答えた。
「ええ、そっ」
「やってやりましょう。わたしたちの戦線が押されていたんじゃ、ルーカス兵長に示しがつかないわ。
もちろん、賛成よ。幸い、私たち二人はここにたどり着いたばかりで、有り余るくらい体力がある」
セシルはヒイラギの言葉を遮り、前のめりに答える。
「いいえ。」
そう言ってヒイラギはチラッとバーレントの腹部に視線を移す。そしてバーレントの表情を確認すると続けて作戦の内容を話しだした。
「こういう作戦行動時に単独行動するのは危険が伴うわ。流行る気持ちは分かるけど、周囲が見渡せるような時間になってから進軍をしましょう。
見張りについては、まず日が暮れてから2時間程度は私とバーレントが担当するわ。そこからローテンションでエドアルトとセシル。の順番。適宜、異常事態が発生すれば報告。それまで非戦闘組は数十歩離れた岩陰で休養すること。」
各自が同意したことを確認して、ヒイラギは頷いてから持ち場に移動した。
「それ。大丈夫なの?」
ヒイラギは少し後方に控えた岩陰からバーレントの腹部に向かって指をさす。
「ん?あぁ。どうってことない」
そう言いながらバーレントは自身の腹部に視線を落とす。
「もしかして、私をあのとき庇ったせい?」
ヒイラギがそう言うと、バーレントはうっすら笑いを浮かべる。
「お前らしくないな。そんなこと気にする奴だったか?それに、お前のせいじゃない。
戦場に着いてから、何度も似た傷を受けては直して、それの繰り返しだ。」
「………ちゃんと医療キットで治してるんでしょうね?」
「もちろん、じゃなきゃこんな状態で見張りなんて出来ないさっていうか、お前もこっちまで来ちまったんだな。
お前が来る前にスパパパって、戦争なんて終わらせようと思ったのによ。」
「あんた一人でできるわけ無いじゃん。」
ヒイラギは調子の良いことを言うバーレントのことを笑う。
「厳しいなっ。まぁ、お前っぽいっちゃお前っぽい返事だけど。」
「………」
ヒイラギは黙ったまま、銃口を敵がいた方角に向ける。
鉄の画面に表示される視覚情報を温度情報に入れ替えても、熱源とされる標的は見当たらなかった。
「あなたはランベルトみたいにならないでよね」
ヒイラギはボソッとバーレントの方につぶやく。
そしてバーレントがその言葉を聞いて、また茶化しに来るのかと感じて、その返事を聞く前に言葉をつなげる。
「違うわよ?そういう意味じゃなくて、あんたがいないと張り合いが無いから。」
「てっきりお前は霧島がいれば十分なんだと思っていたんだけど、違うのか?」
「ちっ違うそういう話をしたいんじゃなくてもっと一般的な話をしてるの。」
「へぇへぇ、そうですか」
バーレントはめんどくさそうにため息を付いた。
「ランベルト。あいつ、戦地に向かったきり戻って来てないもんな?
でも、もしかしたら戦地の何処かに隠れてやり過ごしてる可能性もあるぞ?
あいつも一緒に訓練したんだから、実力はあるはずだ。」
「………」
「それになんだ。いざってときは俺が守ってやる。
心配すんなって」
「心配なんかしてないし。らしくないじゃん。あんたって言えば、売り言葉に買い言葉でしょ?」
「それはお前だろ……」
バーレントはヒイラギの鉄の仮面を眺めて呆れ顔をする。
いまヒイラギがどんな表情を浮かべているかわからない。
でも久しぶりにどうでも良い会話を交わした気がした。
クスッと笑い声が通信越しに聞こえる。
ヒイラギの声だった。
バーレントも思わずニヤけてしまう。
ほんと、調子が狂うぜ。
「少し温度分布が変化して見える。何もいないと思うけど、様子見てくる。」
ヒイラギはそう言うと、スナイパーライフルを設置したまま、腰に装着している拳銃を手に持って、軽やかに岩場を飛び降りる。
「おいっそういうのは俺の仕事だろ?」
そそくさとバーレントの眼下から居なくなろうとするヒイラギに声をかける。
「あんたの怪我じゃ、逆に心配なのよ。大したことない見回りだから、私がやるわ。」
鉄の仮面を装着したまま、足音を殺してヒイラギは前方の探索に集中する。
バーレントは念のためにこれからヒイラギが向かおうとしている地点を再度、鉄の仮面を装着して確認する。
問題はないはずだ。
仮に自動人形であれば、体内の組織が生きている。
あの白銅の機械の中身が人間だったことには驚いてはいるが、そのおかげで幸い温度情報に反応はあるはずだろうと推測する。
もしハイエナのような自動機械であれば、中のアクチュエーターが温度を発生させる。
ドローンであれば羽の音がすぐに分かるはずだ。
バーレントは思考を巡らせ、眼の前の不安を解決しようとする。
すうっとゆっくり息を吐く。
バーレントはその場に腰を掛ける。
どのくらい時間が経ったのだろうか?
バーレントの額を汗が伝う。
ここは雪山のはずなのに、何故か身体が熱い。
革手袋の中で手汗が滲んで気持ち悪い。
口の中は乾ききって、飲み物を欲している。
戦場での疲れがいきなり襲ってきたようだった。
さっきまで張っていた緊張の糸が解けたように感じた。
そんなんでどうするんだよ。そう自身に言い聞かせて、もう一度、自らの足で滑りやすい氷上を踏みしめる。
「えっ。なに、ちょっ、やっやめてよ。」
通信が急に入ってゴトっという物音と共に途切れる。
今、セシルの声か?
バーレントは後方に待機しているはずのセシルとエドアルトの方向を見渡す。
傾斜になっていてその場で様子を確認することが難しい。
谷側のヒイラギが探索した方向を見つめる。
「くそっ」
バーレントは腹部を抑えながら、セシルたちが待機している方向に向かって山を登り始める。
探索に時間がかかると思っていたが、拳銃を構えながらしばらく経つと、鉄の画面が立方体に変化して獣道に落ちていた。
セシルのだろうか?
通信が途切れたということは、鉄の仮面が剥がされたということだ。
まさか白銅の機械人形が自らの体温を周囲の気温に合わせて、潜伏していたというのだろうか。
まだ標高が高い。
生命活動が可能なのだろうか?
いやもともと機械だからそんなことは関係ないのだろうか?
しかし、生命機械だろう?
そもそも無人浮遊器官にしても、クジラや鳥の細胞を培養して、筋肉の機能を維持しているはずだ。
俺等ができないことが、おなじ細胞を使っている機械にできるはずがない。
いや、そもそも本当にアイツらは俺等と同じ細胞から培養されたのだろうか?
疑問が次々浮かび、拳銃のグリッドに力が入る。
脇を締め、いつでもトリガーが引けるように意識を集中する。
誰かの白い生足が草むらから見えた。
末端の指先が寒さで紫色に鬱血しているのが確認できる。
気づけば、周囲に軍靴が雑に投げ捨てられ、荒い息遣いが聞こえた。
セシルはエドアルトに強姦されていた。
鉄の仮面で隠れていたハゲ頭がこちらの方向を見つめる。
「あぁ?お前、誰に銃口向けてんだよ?」
エドアルトは鋭い目つきでバーレントを睨む。
「いいから、セシルから離れろ。カスヤロウ」
足元に目を向けると、セシルの両ふくらはぎからはどくどくと血が溢れていた。
青い顔をしたセシルがうつろな表情でこちらを見つめる。
既に頬を伝った涙が乾ききっていた。
エドアルトはセシルに身体をくっつけたままこちらに振り向いた。
エドアルトの手は服の中に腕を突っ込んだままであった。
「おいっエドアルト。さっさとセシルからその汚ねぇ手をどけろ。」
「なんでそんな怒ってんだよ?バーレント。
お前だってヒイラギ上等兵のこと好きだろ?気持わかるだろ?俺もセシルのこと好きなんだ。出会った瞬間からビビッと来たんだよ。
黙っててやるよ。
ヒイラギのこと、黙っててやるから後ろから襲ってこい。
お前も溜まってんだろ?いつ死ぬか分かんねぇぞ。
今かも?数時間後か、明日かもしれねぇ。
そんな状態でお前は後悔なく死ねるのかよ!!」
エドアルトは当然のように叫ぶ。
「お前と一緒にするな。カスヤロウ、さっさとその手をどけろって言ってんだよ!!!」
バーレントが拳銃を構え直したと同時に、身体に衝撃が走った。
胃から血が逆流して、口から血が湧き出る。
セシルの軍服に目を向けると丸い穴から煙が吹き出ていた。
バーレントが自分の胸元に視線を落としたとき、立て続けに銃弾が襲い掛かる。
吹き出た血が地面に広がりぬるっとした感触が頬に伝わる。
意識が飛びそうになり気づいたときにはバーレントは地面に伏していた。
上半身を躊躇なく撃ち抜かれていた。
鉄の仮面によりすぐに頭が冷やされる。
脳細胞の死滅を少しでも遅くしようと働きかけているのが理解できた。
虚ろな視界だった視界が徐々に鮮明になってくる。
時間間隔が分からなくなる。
三半規管が鈍り、ふわついたような感覚に陥る。
指先の力がこもったままになる。
拳銃のグリップは幸い握りしめたままだった。
銃口はどっちに向いているのか把握することはできない。
バーレントは躊躇なく引き金を引いた。
その銃声に驚いて森の鳥たちが鳴いて羽ばたく。
「おい勘弁してくれよ。死にぞこない」
エドアルトはセシルから離れるとバーレントに近づいて屈む。
「なんで心臓打ち抜かれたくせに動けんだよ。」
呆れた表情でため息をつく。
最後に見るのがこんなむさ苦しい顔なのか。
鉄の仮面越しにバーランドは思う。
「これのせいか。冷たいな」
鉄の仮面をエドアルトに外され急激に意識が遠のく。
「死んでも戦えってか。なかなかにエグいことを上の連中は考えるもんだ。地獄にでも落ちるつもりなのかね。
若い連中が戦場に駆り出され、大義名分の名の下に命を散らしていく。
こうでもしないと平和が作れないなんて、人間が作りだした社会はなんとも罪深い。」
エドアルトはボソボソつぶやき、脳天を打ち抜かれ、銃声とともにバタリと倒れた。
朧げにセシルの声が聞こえる。
視界が反転して、夜空が見える。
セシルの涙が落ちてくる。
温度は感じない。
視界がぼんやりしている。
「バーレント。すぐに治療するから。」
セシルは脚を引きずりながら、ポケットに常備している医療キットを探して、傷口に止血処置を施す。
セシルの網膜が赤く点滅している。
「えっ、どうして。止血してるのに。血が足りないの?もしかして内障?あっ」
バーレントの瞳孔は光を失っていた。
セシルはその場に泣き崩れる。
今まで戦場で見せたことのない感情の起伏だった。
自分がなんのために訓練してきたのか。
その無力さと後悔に胸が押しつぶされそうになる。
あれだけ感情を揺らさない訓練を受けていたというのに、セシルは耐えることができなかった。
初めて戦場で仲間を失った。
老衰で親を失うように初めからいつかそうなるって分かっていたことだ。
命あるものはいずれ朽ちる。
分かっていたはずだったのに、いざその状況になると自分の身体が真っ先に反応してしまう。
頭では抑えようと思っても、身体の震えが痛いほど伝わってくる。
「私は……死なない。こんなところで死なない。
生きて帰る。必ず生きて帰る。」
セシルは自分にそう言い聞かせた。
自分の身体に止血処置を施す。
冷静な感情を取り戻したとき、ふと思った。
どうして自分たちがこんなにも苦労しているのに紛争が終わらないのかと。
そして何が紛争終了のきっかけになるのだろうかと。
思いを馳せながら、星空を眺めた。
北極星が輝いている。
一定の軌道を描いて動く赤い星たちは衛星である。
私たちの感情を測定し、平和と安寧をもたらしてくれる守り神のような存在だ。
私たちに投与されたナノマシンが微弱な電波でH2H(人間to人間)もしくはH2B(人間to基地局)ネットワークを形成し、宇宙までデータを送信する。
一体誰がこんな偉大な技術を考えたのだろうか。
私達は歴史を知らない。生活に溶け込んだ技術を当然のように使いこなし。技術の表層だけを理解し、実装された経緯などは理解しない。
でも今はそんなムダなことを考えることはやめよう。
私が好きな夜空を見つめて、次の戦いに備えよう。
ヒイラギにはなんて説明しよう。
どんなに言葉を考えても怒るだろうな。
容易にイラついているヒイラギの声色や表情が思い浮かぶ。
セシルが笑ったその瞬間、夜空に眩い光が走った。
まるで狙いを定めたように一筋のみだ。
きっと爆撃ではないのだろう。
航空優勢が取れているのにもかかわらず上空から攻撃が来るということは、戦闘機が飛べる限界高度より上のおそらく気球が浮遊するような成層圏。
セシルは直感的に理解した。
この攻撃が届いた理由と今までに苦戦を強いられていた理由を。
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ヒイラギは戦場に転がっている白銅の機械人形の死骸を調べていた。
ブリキ人形のように胴体から油を模したような緑色の液体が流れきった様子を確認する。
燃料切れになっているよね?
得体も知れないがゆえに突然動き出す危険に注意しつつも、胴体のネジを破壊し蓋を開ける。
ツンとする匂いに顔をしかめつつも、ライトをつけて中身を確認する。
初見は空洞のように見えたが、よく目を凝らすと背骨のようなものが芯を保つために残っているようだった。
胸元から上側はなんと人間の断面を切ったような状態になっていた。
あまり趣味ではないが、自動機械が装着している白い仮面を外す。
そこには見知った髪色と瞳色をした人間の顔があった。
「やっぱり」
ヒイラギはそうつぶやくと、両手を合わせて残りの四肢を調査する。
結論から言えば、四肢は機械にて代替されていた。
その精密な構造に対し、何もない胴体。生物をそのまま再現したかのような頭部には神話に出てくるキメラのような雰囲気を感じる。
間違いなく死者への冒涜だろう。
まるで人間を材料の一部のように扱っている。
なぜそんなことをするのか。ヒイラギには理解できなかった。
とても高尚な目的があるようには思えない。
しかしなぜ今までこんなことが放置されているのか疑問に思う。
重大な倫理違反であり、恥ずべき行いだ。
ヒイラギは拳を握りしめ、込み上げてくる怒りを抑えようとする。
少し気分を変えようかと周囲を眺めたときに息を呑んだ。
さっきより大きくなっている?
緑の塔を眺めてそう思った。
昔見たことのある塔に似ているから、塔と表現しているがその姿は一般的な構造物とは一線を画しているように思えた。
蠢いている。集合体。
その表現が正しいだろう。
遠くから見ても、塔と言われているものがゆらゆら揺れながら空へ伸びていることが確認できた。
攻撃はしてこないのだろうか?
あれは敵なのだろうか?
ヒイラギは身の回りが安全なことを確認してから思索にふける。
思い出したのはグレーボヴィチ教官の言葉だった。
あれが30年前にゲリラ兵が占拠していた電波塔の名残なのだろうか?
形を変えて今も存在しているのだろうか。
私はあの電波塔の昔の姿を知らない。
物心がついた頃には、孤児院に預けられ義務の範囲での教育は受けてきた。
兵士に志願する人々には色んなやつがいる。
愛国心がある者。大義がある者。
カネに困ってる者。
無理やり駆り出された者。
社会では生きていけないあぶれ者。
私はどちらかと言うと、あぶれ者に属するのだろうか。
霧島には帰る場所がある。
私には帰る場所はない。
霧島にはミサという女がいる。
彼女は霧島の帰りを持っている。
羨ましいか?
どうだろう。
私は恋愛をしたことは無いし、興味もない。
私は自分の出生について興味があった。
どこでどうして生まれたのか?
それを知りたかった。
しかし知ろうとしても何も情報は無かった。
孤児院の主は誰なら引き受けたのか。
どこから引き取ったのかも知らない。
国家の歴史は私達が生きることになる人生より長い。
創世記より2000年経つ国もあれば、それ以上の国もそれ以下の国もある。
重要なのはその歴史に民族の集合体である思想や嗜好性が知らないうちに備わり、ある種の人格を帯び始めるということだ。
歩んできた歴史を振り返れば振り返るほど、次第に何かしらから指図を受けたような結論に至る。
国家にとって私達の人生はあまりにも短すぎる。
見ている時間軸の差が同時に個人の命の矮小化に繋がってくる。
私達の行動の一つはそれほど戦況に影響力を持たない。
霧島は気づくのが遅すぎた。
列車に乗り込む前に気づいていれば幸せな人生を歩めたのに。
ヒイラギはクスッと笑った。
別に悪気はない。
気の毒に思っただけだ。
故郷が無い私とは違うのだから。
周囲がまばゆい光で包まれたかと思った瞬間に、ヒイラギは緑の塔が変形しているのを目にする。
まるで巨大なきのこのように傘を広げようとしていた。
何かがある。歴史に埋もれた何かが潜んでいる。
誰も知らない私の出生の理由も分かるかもしれない。
その想いがヒイラギの足を緑の塔の方向へと誘っていた。
戦線を離脱するのは軍法違反だ。
しかし私に身を粉にしてまで捧げる忠義心はない。
私の生きる目的は一つだ。
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