第12話 罪の告白
「人間が無駄と思ったものを切り捨てた日。それが敗北がきっかけだった。
私は告白しよう。
30年前の罪について。
そして、謝罪しよう。
これから、殺すことになる同志たちに。」
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マサトは、ミサの家から帰ってすぐに、寒さのあまりに自室の窓を締めた。
部屋に戻ると、ヒイラギが自分のスナイパーライフルの手入れをしていた。
マサトはおもむろに、部屋に保管してあった拳銃の弾丸を並べ、薬莢が欠けていないかチェックをする。
軍服の下の防弾チョッキや、防寒のための装備を整える。
ふくらはぎや靴底の下のあたりには、近接戦闘になったとき用のナイフの仕込みがしてある。
数日分の食料もバックに詰め込んだ。
いつも持ち運んでいるアタッシュケースには、医療道具が入っている。
壊死した肉体を切断するための折りたたみ式のノコギリや、止血用の包帯や血小板の形成を早める薬など、様々なシーンにも対応できるようにコンパクトにまとめてあった。
「戦場はどうなるかわからない。
いつでも戦える準備はしておけ。」
ルーカス兵長に言われたことを思い出す。
「明日の作戦行動だが、
先発隊が既に山の中腹に医療用拠点を築いている。そこで、患者について応急処置を行うこと。
北は北極海。偏西風を遮るように山脈が連なっている。
以前説明したように、第10師団まで山脈を取り囲むように配置されている。
これは、敵地からの進行を阻止するためであり、天然の要塞を使った防衛ラインを引いているということだ。
エルブルース駐屯基地は、山脈の中腹に位置する基地であり、ここから山頂に向かい、敵地に向かって下っていくようになる。
もう一方で、敵地へ抜けるルートは、前も話したかもしれないが、この基地の地下にトンネルが掘ってある。
山脈を貫通するような長いトンネルだ。
このトンネルは奇しくも、山脈まで広げた戦線の維持が困難なために、一点突破の作戦として工事されたものだ。
しかし、ある理由があり、今は封鎖されている。
そのため、第4師団の先攻部隊の救助及び、後方支援部隊として責任を果たしてもらう」
マサトは、準備を済ませてこの基地にたどり着いたときに使用したヘリポートに出向いた。
敵の襲撃が少ない夜間に移動するそうだ。
赤い照明が焚かれ、足元がわかるようにところどころに配置されている。
通常の音速無人機よりコンパクトな生物的な翼の折りたたまれた無人浮遊器官が複数台、横並びされている。
「意外と早いもんだな。俺が怪我したら、そんときは頼むぜ」
バーレントがマサトの横でつぶやく。
バーレントは一足先に無人浮遊器官に乗り込み離陸準備に入る。
「わたしたちはコッチよ。」
セシルは、マサトの肩を叩くと指をさして見せる。
プロペラが2つついた水平垂直飛行どちらも可能な大型輸送機が一台エンジンの空回しをしていた。
「はぁ、まさか、セシルと一緒に乗ることになんて。分かってたことだけど。」
ヒイラギは、白い息を吐きながらボソッとつぶやく。
「どうしたのさ?いつもの貴方らしくない。
ハハッ、威勢の良さはどこ行ったの?」
セシルは、そう言って、ヒイラギの横腹をつつく。
仲がいいんだか悪いんだかこの二人はよくわからない。
「おーい。お前ら、準備できたか?」
ポケットに手を突っ込みながら、余裕でこちらを見据えるのはルーカス兵長だった。
きっと、何人も兵士を送り出してきたのだろう。
生きて帰った者も、死んで帰らなかった者もいるだろう。
始まるのだ。
マサトは、ゆっくりと息を吐く。
「これから移動を開始するが、先攻部隊は各々、無人浮遊器官の備え付けの発話装置で、後方支援部隊はモニターがつけてあるから、それで輸送中の連絡は取る。
もちろん、上陸したら各自、白い仮面を装着すること。作戦時の情報はエルブルース駐屯基地の司令本部から特殊無線を使って送る。
適宜、現場の情報を伝えるように。」
ルーカス兵長の言葉を聞いたあと、移動のためにマサトたちも大型輸送機に乗り込む。
プロペラの駆動音が徐々にうるさくなってくる。
静かだった列車のインバーターとは違う。
今では安くて効率の良い燃料になったと思えば、大量に戦地に返り咲いたことを象徴する機械音だった。
浮遊感とともに、地面から輸送機の足が離れたのか振動がお尻や腰から伝わる。
シートベルトを締め、向かい合わせになっているヒイラギは無言でこちらを見つめている。
マサトは、旅立つ直前にもらったミサのペンダントを服の中にしまっていた。
防弾チョッキを身に着けているせいで凹凸感は感じないが、確かにお守り代わりに首に下げていた。
右手で胸に手を当てる。
このペンダントが敵から銃撃を受けたときに命を守ってくれるわけではない。
そんな夢のような話ではないが、確かに勇気を与えてくれる気がしていた。
今でも、ミサさんになんと伝えるのが正解だったのか分からない。
自分がミサさんの想いに応えたとしても、それは彼女に僕という十字架を背負わせるだけだと、そう感じたから、あぁやって話したのだと、自分に言い聞かせる。
もしかしたら、自分にとって都合の良いような、独りよがりな選択をしていたのかもしれない。
でも、ただ。
彼女には幸せになって欲しい。
平和な世界に生きてほしい。
そう願うのみだった。
どんどん、ライトで照らされたヘリポートが小さくなり、終いには中腹にあったエルブルース駐屯基地の姿が小さくなっていく。
僕たちの進む方向と反対の方向には、ミサさんの家があった平地の市街地が見えた。
僕がエルブルース駐屯基地に戻る頃に薄く雪が降り積もったのか、様様な色の屋根が一色に統一されようとしていた。
「飛行モードへ移行します。」
ある程度、上空へ上がりきった頃に、機内放送が流れ、輸送機が山脈の方へ移動するために形態変更を進める。
ちょうど雲の上にあたる高度まで上昇し、基地の姿が完全に見えなくなった頃、またもや、機内放送が流れた。
今度は真っ暗な画面に音声が流れるのではなく、しっかりとモニターからカラー映像が流れていた。
はじめに、総統の横顔が映し出され、カメラアングルが正面に映るに連れ、みな、どれが映し出されているのかに気づき、背筋を伸ばす者もいた。
しかし、総統は喋らず、次に見知った声が聞こえた。
僕が疑問符を浮かべるのを置き去りに、その人物は自分の主張を繰り返す。
「人間が無駄と思ったものを切り捨てた日。
それが敗北がきっかけだった。
君たちがこれから、何と戦うことになるのか。
それをしっかりと問いたことはあるか?
ここにいる総統は、それについて分かっていても話すことは無かっただろう。
あるのは、
ただ、首謀者の情報が少ないということと、4種の自動機械が殺戮を繰り返しているということだけだ。
ならば、私から話そう。
そう思って、この場を用意させてもらった。
そろそろ、離陸したころかね?
では、戦地に着くまでに話すとしよう。
30年前の罪について。」
グレーボヴィチ教官は、画面越しに僕たちを見据え、語り始めた。
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戦地を図解するために本人映像から表示が切り替わる。
「30年前のこの地で起こった紛争は、各地で奮発する民族ゲリラの一端であった。
しかし、この土地が、他の紛争地帯とは変わり紛争がここまで長引いたのは、ある科学者によって持ち運ばれた、ある兵器が原因だった。
兵器の名は「カレハトギスの庭」」
グレーボヴィチ教官は、そう言って一枚の写真をカメラの前に映し出す。
見たことのある面影をした男だった。
あの若い学者に似ていた。
「男の名前は、アベル。P5の一員である先進国の有名な科学者だ。
今はルーカス兵長のもとで働いているアベルのクローンであり。オリジナルを捕縛もしくは、殺害するために私は30年前この地に赴いた。
戦場は広大な山脈に囲まれた中央平野の彼らが占拠している電波塔だった。
奴は利用されていた塔の最上階に「カレハトギスの庭」を持ち込んだのだ。
奴は、電波塔の隅々に設置された拡声器で包囲した我々に脅しを仕掛けた。
”この兵器は生物兵器だ。機械はルールがある。しかし、生物には分別がない。この兵器は、いずれ僕の嫌いな人類を滅ぼす。”
”どこの国に頼っても、誰も救ってはくれなかった。
みなで邪魔モノ扱いをし、民族として認められなかった。”
”各地にいた同志たちは皆、僕より先に死んでいった。僕が死んだあとも、この兵器は君たちを呪い続けるだろう。”
”君たちが苦しむ姿は見れないが、君の末代まで呪いが残ると考えると気分が良い。この兵器を使うからね。すぐに包囲を解くことをオススメする。君達の命も危ないよ”」
そう言って、アベルは自害をしたそうだ。当時は私の部下だった現・総統は、最上階でその終幕に唯一立ち会い、こう宣言した。
「首謀者は死んだのだ。この無残な戦闘行為を終わらせて、兵器が暴走を始める前に撤退をしよう。」
グレーボヴィチ教官は首を振り、声を張り上げる。
「しかし、ここで私は疑問が湧いた。私達は、未だに戦闘行為を行っている。
悪の根源は、首謀者は殺したはずなのに、私達は懲りなく、拳銃を握りしめている。
いったいなぜ?
私は皆と同じように世界から争い事を無くすために、あの紛争に参加したのだ。
しかし、現状は違う。
依然として、この地での紛争は続いている。
なぜだろう。
なぜ、争いが続いているのだろうか。
そのことが30年間疑問だったが、考えてみれば理由は明快だった。
1つ目はアベルは天才だったということ。
2つ目はこの状況を利用したものがいるということだ。」
そう言って、グレーボヴィチ教官は総統の額に拳銃を突き当てる。
輸送機でこの映像を見ている兵士たちは全員が息を呑む。
「やめて」
セシルの声が響くと同時に、銃声音がモニター越しに船内に鳴り響く。
銃声の音には慣れている。
僕たちがあげたのは悲鳴ではなく、どよめきの声だった。
モニター越しで映し出されたのは、人間が死んだ姿ではなかった。
総統の額からは、いつか見た緑色の色の血が飛び散っていた。
それを見て、グレーボヴィチ教官は総統の一番柔らかい部分である目ん玉を抉って見せる。
瞳の水晶体を模した義眼からは配線が飛び出し、目ん玉が抜けた空洞へと繋がっていた。
「総統と私は生死をともにした戦友だった。
一体誰が、総統を侮辱したのだ?
いつから、我々はコイツらの言う通りに働かされていたのだ?
総統への疑いの念を持ったとき、私は酷く落ち込んだ。
真実を確かめるには、殺す他ないからだ。
奥さんであり、戦友でもあるエレオノーラに確認をした。
彼は笑わないそうだ。
しかし、愛嬌はあるし、話しかけてもくれるそうだ。
至って普通の人間に見える。
ニセ総統が何か意図を持って我々を戦地に駆り立てているとしたら、君たちがこれから起こす行動に疑問を持たざる負えない。
私は一つ仮説を立てている。
こんな事態になった原因だ。
夜空の監視衛星を用いた感情測定システムは私達に、平和をもたらした。
総統は以前の演説で言っていた。
「この測位システムは、規律権力としての役割を果たした」と。
でも、私は思うのだ。
これは雄弁に語っただけではないかと。
思い返してほしい。
わたしたちはここまで不自由だっただろうか?
感情を抑制するため、外部との過度なつながりを断つことが、はたして、自分の幸福につながるのだろうか?
ひょっとして、わたしたちは管理されているのではないか?
頭を機械に変えた者たちに、知らず知らずのうちに支配されているのではないか?
30年前の紛争以前にアベルは、先進国の研究所にて自動機械を生成できるマザーマシンの開発に従事していた。おそらく、戦地に投入されている兵器は全てその尖兵であろう。
30年前からすでに始まっていた人間と機械による戦闘は、感情が発する独特な脳波を測定する機械が搭載された敵との戦いになった。結果としてアベルを殺すことができたが、戦死者の数で見ると我々の大敗であった。
大敗の反省として、総統は平和の維持を大義として感情のピークをフラットにする政策が行なっていく。
これは、市民を懐柔するためと見せかけて、また次なる戦闘員を育てるために行われたと考えても良い。
しかし、ここからが私の疑問だ。
問題はなぜ、数年前も兵士を整え進攻をしているというのに、未だに戦闘が終わらないのか?
ひょっとして、裏に戦力を補強している存在がいるのか?敵戦力が少なく見積もられているのか?
そして、近年発生した緑斑症の発症原因について、「カレハトギスの庭」は関連しているのか?
同志たちよ。
どうか協力してほしい。
この悲惨な歴史に幕を閉じるために。」
ビデオレターは、ここで終わっていた。
次に流れ出したのは、ルーカス兵長の声だった。
「安心しろ。あのビデオレターに出てきた総統はニセモンだ。」
音声が聞こえたと同時に、地下のエレベーターらしき映像が流れてくる。
地下トンネルを監視した監視カメラの映像に切り替わり、グレーボヴィチ教官がアタッシュケースを持ち、内部に侵入をしている様子が流された。
そして、映像の最後には、総統とルーカス兵長の様子が映し出され、総統からコメントが加わる。
「任務内容に変更はない。各自、対応するように。
グレーボヴィチは、反逆罪にてこちらで処分する。」
「どうなってんだ。」
機内からざわめく声がするのもつかの間、隣を飛んでいる輸送機から爆発音が聞こえた。
急いで振り返ると、列車を襲撃したときに目撃した無人機が自分たちと逆方向に向かって飛んでいる。
「どうして、山脈を越えているんだ?天然の障壁じゃなかったのか」
「おいっあっちの方向は、エルブルース駐屯基地や市街地がある方向だぞ」
その声が聞こえたとき、僕の心臓の鼓動は高まる。
嫌な予感に冷や汗が流れる。
機内の窓から外側を覗き込み、確かに逆方向に進む無人機を確認する。
「もしかして、始まったのか?」
「本当に敵の侵攻が始まったのか?俺たちが制圧する側じゃないのか?」
「まて、こっちに向かっ」
機内にいる兵士がそう言いかけた瞬間だった。
一度は見たことのある白い光線が兵士の頭上から太ももに向かって貫いた。
「きゃっ」
隣りにいる女性が思わず、死んだ兵士の反対方向にのけぞる。
白いナマコのような臓器が女性の頬に付着し、反射的に自分の手でその塊を払おうとすると、すかさず女性の瞳の色が変化した。
感情が傾いたのだ。
僕らや周りにいた兵士は、その様子を確認するや否や、形状が記憶された白い鉄の仮面をポケットから取り出して装着する。
先程まで高鳴っていた心臓の鼓動が、鉄の仮面と協調して落ち着きを取り戻す。
以前、使用したときより身体の適応が早い。意識的に協調しようとしなくても馴染むような心地がした。
出立前に服用した薬の効果か?と思いながらも、第2波の光線が発射される前に、仮面の中に映し出されている複合現実がその熱源の特定を行う。
誰かが後方のハッチが開いた。上空を飛んでいるせいか、気圧の変化で機体の外へ誘導するかのように身体が持っていかれる。
これから第4師団員の行うべきことは、一つに絞られていた。
それぞれの兵士がバックを背負い、躊躇することなくこちらに向かって走ってくる。
まるでアリスと出会った頃の列車内の混乱を彷彿させるように。
ピッピッピー。
仮面内のアラートが鳴り響く。
眩い光とともに、水平飛行を行っていた機体が推力を失って傾く。
第2波により両翼を貫かれ、女性兵士は狙い撃ちされて、姿を消失していた。
既に、ヒイラギやセシルの姿は無かった。
輸送機が十分な高度を失う前に、躊躇なく僕は大空へ身を投げた。
天気の良い晴れた青空を覆い隠すように無人機が僕に向かって影を落とす。
上空の冷気に当てられながらも、僕は身体を返して地面に顔を向ける。
輸送機の窓ガラスからはよく確認できなかったが、雪が被っている山脈の内側に緑色の靄が滞留していることが確認できた。
滞留する靄の中で、そびえ立つ塔が見え隠れするのを確認するも、はっきりとしたその姿は把握することはできなかった。
僕は着陸地点を見定めるために、視線を移動させる。
複合現実が着陸地点の候補を導き出すために、黒い四角いマーカーで目的地検索を始める。と同時に、バックの中に仕込んであるパラシュートが稼働を始める。
周囲を見渡すと、第4師団員たちが次々とパラシュートを展開し、着陸を試みていた。
安心したのもつかの間、地上から火花が散ったような閃光が走る。
空中に向かって流れる砲弾が僕達を襲おうとしていた。
すかさず、鉄の仮面からもアラートが流れ始めた。
長距離射程のために命中精度は荒いが、こちら側の検知機能も遅れを取った。
パラシュートを操作しながらも、できるだけ砲弾の弾道を予測して避けようと試みるが、発射速度に対して、パラシュートの動きは鈍い。
僕のパラシュートも例外なく、穴があき、落下速度が速まっていく。
手荒い歓迎に頭を悩ませながらも、遅れて第4師団の航空戦闘機部隊が敵側の砲弾発射地点を特定して、爆撃を開始した。
その様子を見送りながら、2段目のパラシュートを開いて、木々にぶつかりながら着陸する。
背負っていたバックから身を離しながら地面と衝突する。落ちた反動で首が折れないように、戦闘服の筋繊維が作動し、反動を抑える。少しでも勢いが緩和するように、斜面を転がった。
前にも、こんなことがあったような。
僕は頭を抱えながらも、立ち上がる。
自分の身体を触診しながら、重要な怪我をしていないか確認を行う。
左手の小指があらぬ方向へ曲がっていたが、特別な痛みは感じない。
そのままにしておくのも気持ち悪いので、正しい方向に曲げ直す。
白い手袋を外すと、変形した箇所が青く鬱血していたが、気にすることなくもう一度手袋をはめる。
遠くで、僕らが乗っていた輸送機が墜落した音が聞こえた。
派手な燃え方をしているからそうだろうと、推測したが、すでにあちこちで起こっている爆撃に紛れ込んでいた。
雲の流れを確認し、自らの所在地点を整理する。
目指すべき方向は決まっている。
腰のホルダーの拳銃を確認し、引き抜いて、その銃口を正面に向けながらも、足を進める。
仮面越しにカラーリングされた世界は、鮮明に情景を映し出している。
山を登れば登るほど、足元にある降雪量が増えていく。
深い森の中でも獣の声は聞こえず、足跡といえば、獣のものとは思えない角ばったものであった。
戦地に来る前に説明され戦闘機械。どこから現れるのかと、周囲を警戒する。
この雪の降っている環境下で、機械を駆動するための微小な熱源を探知するのは難しい。
五感を研ぎ澄まして、探索を行う。
これだけ技術が発展しても、意外とアナログな行動をしていると感じたが、よく考えてみれば、有史以来行っている殺し合いという行為自体も変わっていないんだと、妙に納得してしまう。
背後から地面の積雪に向かってものが落ちた音がしたので、探索をしてみると、近くには返り血で汚れたパラシュートが落ちており、「助けて」という声も足元から聞こえてくる。
視線を落とすと、胸元を銃弾でえぐられた生き死体が転がっていた。
生き死体とは、妙な言葉に感じるが、死んでいるはずなのに、死んだことに気づかず、言霊を残しているのだから、そう表現せざる負えないだろう。
視界は、恐怖の感染を抑えるために白黒にグレーアウトして表示され、ショッキングな赤色は灰色に変わった。
よく見ると、落下の衝撃で手足はあらぬ方向へ曲がっているし、心臓はもうすでに潰れているのだから、先程まで元気だった手足も段々と動かなくなり、死後硬直が始まっているのだと感じさせた。
白い仮面の顎元からは、ブクブクと泡が漏れてきている。きっと仮面を外せば、瞳孔の開いた白目が確認できるのだろう。
なぜ、こんなことになっているのかと言われれば、それはおそらく僕達が出立前に服用した薬が原因だろう。
感情の乱れを抑制すると銘打っていたが、感情をアップダウンの要因となる痛みを感じさせなくするためにナノマシンでも入れたのだろう。
止血するような医療行為を行うナノマシンではない。
直接、脳内に働きかけて痛みから遠ざけているだけだ。
本来果たしたかった役割とは別に、この生き死体はその副作用であると思わざる負えない。
僕は腰にかけている拳銃を片手に、この亡霊に向かって引き金を引き、サヨナラを告げる。
きっと第4師団の何割かは、こんな状態になっているのだろう。
戦場で空を悠々と滑空していたら狙われて、蜂の巣のようになる。
もちろん当初からこんなことになるとは想定していないだろうが、作戦というものはどこかで辻褄があっていくものなのだろう。
その過程で、命を落とすか落とさないかというのは、実力というより、運が強いのかもしれない。
そう考えた途端に僕の歩く速度は急速に鈍くなる。
これから先も、僕は耐えられるのだろうか。
運命は僕に味方するのだろうか?
世界は僕を見放すのだろうか?
僕は、この光景を見たくて列車に乗ったんじゃないのか?
雪山の上に気づかれた塹壕に背中を預けながらも、僕は自分に問いかける。
塹壕には予備用の弾薬と中距離用の銃が置いてあり、すぐさま抱き抱え、塹壕から顔を出しては、複合現実によって描き出された赤い的に対して引き金を引く。
練習訓練と同じじゃないか。
機械的に動作を繰り返しながらも、撃ち落とした数を数えていく。
敵の正体はわからない。しかし、1,2,3,と撃破数は順調に増えていった。
顔を出すたびにヒリヒリと冷や汗をかいていた。
こんなのギャンブルをしているのとは同じだ。
たまたま、頭を乗り出して、僕が撃たれず、僕が殺しただけ。
次は、僕の頭に銃弾が炸裂し、敵が生き残るかもしれない。
感情は、恐怖するどころか高揚していた。
引き金を引くたびに、僕は世界に選ばれているのだと実感が湧く。
勝った。
勝った。
勝った。勝った。勝った。
勝った。勝った。勝った。勝った。勝った。勝った。勝った。勝った。
その時、隣で同じく射撃を繰り返していた兵士が銃弾で貫かれて、仰向けに倒れる。
僕は反射的に塹壕に身を潜める。
心臓の鼓動が高ぶった気がした。
脳天を貫くハっとさせるような衝撃が、自ら置かれた状況と目の前の光景を再認識させる。
「リッリ」
男は指先を天に向かって振り上げ、何かを掴み取ろうとする。
「リッリィ。僕はこんなところで」
ゼェゼェと荒い息を吐きながら、涙を流していた。
男は後悔をしているように見えた。
潔くカッコつけ、彼女の前から立ち去るのが良いと思い込んでいた。
決して惨めな表情は見せずに、笑って立ち去るのが彼女にとって良いと思っていた。
惨めな醜態を晒してでも、気持ちを伝えるべきだったんじゃないのか?
僕はミサさんになんて伝えた?
「いずれ、この日が来ると僕も考えていたよ。
でもなかなかその事実に向き合うことができなかった。
戦地に赴くために列車に乗り込んだ。
退屈な家族に半ば別れを告げるために乗り込んだのかもしれない。
何もない僕が列車の中でこんな素晴らしい出会いをするなんて、夢にも思っていなかった。
とても自分勝手だけど、人生最後になるかもしれない旅で、ミサさんと出会えて良かった。
君からもらった優しさで、僕はこの世界が少しでもマシに見えた。
生きていて良かったんだと心からそう思えた。
感謝しています。ありがとう。」
グレーボヴィチ教官になんて伝えた?
「おじいちゃんの笑っている理由を知りたい。生まれてから、十数年、家族と暮らしているうちにその想いが強くなりました。両親はとても、窮屈に思えて、おじいちゃんのほうが自由に生きているような気がしたから。
僕が戦場へ向かう期日が近づくに連れて、志願した理由を考える機会は増えていきました。
なぜ、こんなにも平和な世界になったのに、僕はわざわざ戦地に赴くのかって。
最初は、単純な正義感なのかと思った。
そう、僕らは何不自由なく暮らせているけど、僕が観測できない世界のどこかでは、間違いなく苦しんでいる人がいるってね。
そんな人を置き去りにしたまま、僕はノウノウと生きてよいのだろうか。
幸運か。不幸か。そんな自分はラッキーだった。それで解決して僕の心が満足していないだけなんだろうって。
でも、列車のなかで、偶然だけどミサさんやアリスと出会って感じました。
本当に、見ず知らずの人のために僕は、この命を捧げられるだろうか?
見ず知らずの人が喜んだところで、僕は満足して死ねるのだろうかって。
それは、違うように感じた。
でも、ミサさんやアリスと出会って、初めてこれまで勉強してきたことや努力してきたことが報われた気がした。
平和な世界を動かす幾つもあるうちの歯車ではなくて、僕にしかできない。必要とされる存在になりたかったんだと思います。」
アリスにはなんて伝えた?
僕は、アリスに何も話さなかった。
これから、別れが訪れるかもしれないという事実を話すことはしなかった。
アリスを泣かせたくなかったから?
悲しい顔を見たくなかったからなのだろうか?
きっと、僕に覚悟が足りなかったからなのだろう。
出会った人を悲しませてしまう選択肢を取ることに、僕は負い目を感じていた。
なんだこの切り取ったような硬い文章は。
そんな形式的になったお決まりの文句で僕は、自分の覚悟を片付けようとしていた。
彼らへの責任を取ろうとしていた。
「おいッなに、ボサっと突っ立ってんだ。」
身体への衝撃とともに、地面に向かって投げ出され、口の中に土の味を感じる。
「死にたいのかお前。それと、これで貸し借りなしだからな」
見知った声の主は、白い仮面をつけたまま襲い掛かってくる4足歩行の犬型ロボットに対して、躊躇なく銃弾を炸裂させる。
鋼鉄の機械ではなく、筋肉繊維で形作られたロボットの逆関節は肉が削ぎ落とされて、歩けなくなっている。
「うわぁあぁああ」
塹壕内から、兵士の叫び声が聞こえる。
敵は遠距離からの狙撃からロボットの低姿勢を利用して距離を詰めてきていた。
僕達はその動きに気づかずに、塹壕への侵入を許し、肉弾戦へと戦闘状態が移行していた。
「こっち」
腕を引っ張られ、僕は塹壕を抜け林の中へ撤退する。
白い鉄の仮面を取り外し、周囲の状況を確認する。おそらく、色彩の情報が欲しかったのだろう。
感情を抑制するためと言って、厄介な機能をつけたものだ。
「ここは、もう限界ね」
ヒイラギはそう言って、塹壕から離れるために斜面の方に体を向けた瞬間、背後からそれまで地面に倒れていた敵が襲いかかる。
人形の右手で握りしめたナイフの先端がまさに、ヒイラギの無防備な首元に刺さろうとしていた。
「危なッ」
そう僕が言いかけた瞬間に、銃声が鳴り響く。
緑色の液体が飛び散り、せせら笑いが聞こえる。
「へへッやってやったぜ。クソが。ヒイラギ。これで俺に惚れ直したか?」
他の兵士も同じような体格で、同じような仮面を身につけ判別は困難を極めたが、その喋り方からすぐに推察はついた。
「危なかった。こんな場所で外すもんじゃないわね」
そう言って、ヒイラギは自分の首元に掠った血の筋を拭う。
そして、再び仮面を装着し、周囲を見渡す。
「もう、苛烈だと思わなかった。はぁ」
ヒイラギも体力を消耗しているようだった。
バーレントがこちらに来た理由を訪ねようと、二人の方に視線を向けようとすると、途中で見たことないものと目があった。
「なぁ、バーレント。お前、こいつに何かしたか?」
「なんだよ、そんなビビった顔して、マサト。早速戦闘が始まって、夢でも見てんのか?」
そう言って、バーレントは僕の見ている場所に視線を落とす。
「いッいや」
先に声を上げたのはヒイラギだった。
「んだよ、これ。胸くそわりぃ。」
バーレントがヒイラギを救おうとして、引き金を引いたとき、その銃弾は間違いなく敵を貫いていた。
4脚ロボットに紛れていた人形の兵士を貫いたはずだった。
その通り、いつか見た景色のように白銅の胴体は貫かれて液体は周囲に飛び散っていた。
しかし、この戦場で目にしたものは、僕たちが知っているものと違っていた。
敵が身につけていた白い画面は、銃弾の衝撃で弾き飛び、その内側を晒していた。
青ざめた唇と数日間剃られていない無精ヒゲ。
充血した瞳に瞼は緑に変色し、頬まで視線を移すと肌の表面が溶け、緑の液体が混ざりあっていた。
「こっち見んな」
バーレントが頭部を蹴り飛ばす。
その動作にヒイラギが睨みつける。
「なんだよ。あんなの人形と一緒だろ?罰が当たったような顔すんなよ。ずっと見られてる方が居心地悪い」
頭部はコロコロと斜面を転がっていく。
白銀の胴体からは、何事もなかったかのように、液体が流れ続けるだけだった。
頭部の動きが止まったのは、谷底へたどり着いたからではない。
一匹のハイエナの様なガリガリの動物がその行方を足で止めたからだ。
黒いシルエットは、頭部の転がってきた方向を確認するようにこちらに顔を向ける。
顔を向けた。
顔を向けたんだ。
ハイエナのような鋭い八重歯と犬歯をチラつかせながらコチラを見ていた。
目があった。ような気がした。
黒い瞳がわずかな太陽からの光でチラついた。
そして、転がっている頭部を食べ始めた。
無造作に労るようなことはせずに、がむしゃらに噛み付いていた。
よだれを垂らし本能のままに貪る。
ゴグンと食べたものを飲み込んだ。喉元がぐるりと唸る。
先程まで、浮き出ていたあばら骨が少し膨らんだ気がした。
当然の動作のような気がした。なぜなら、食事を行ったのだから。
しかし、脳裏に感じる違和感は拭えない。
こんなにも早く、消化が行われるのだろうか。
一夜過ごし、胃の中で消化されて、やっと脂肪として身体に蓄えられるものではないのか?
僕がいま目にしているのは、地球上に存在している生物なのだろうか?
その疑問は、すぐさま解消されることになる。
あばら骨からある人相が浮かんできたからだ。
それは今さっき、バーレントが蹴り飛ばした男の顔に似ていた。
異様な光景に足がすくんでいた。
しかし、顕になった敵の姿を観察しないわけにはいかなかった。
これから戦うことになるのだ。
塹壕があった丘の方から遠吠えが聞こえる。
一匹ではない。
複数の遠吠えが重なり合うように聞こえる。
赤く光った目が、丘の上から僕達を見据えていた。
「イヤ、、、いやぁぁあああああああああああ」
ヒイラギの悲痛な叫び声とともに、丘の上からコチラに群れが下ってくる。
視界が反転する。
「ビビってないで、いくぞ、おい」
バーレントはヒイラギの腕を引っ張り斜面を駆け出す。
ヒイラギを横目で確認すると、既に網膜は赤く染まり、感情の抑えが効いていない様子だった。
僕は振り返りざまに、迫りくるハイエナの頭を撃ち抜く。
視界の隅には、あばら骨の部分に人の顔だけではない。人の腕や脚を生やしながら突き進んでいく獣が映った。
それは、まるで。
まるで。
「まるで、人間輸送機みたいだな」
首元から汗を垂らし、走っているバーレントが横でつぶやく。
第4師団の死体を貪り栄養を蓄えているせいか、走るスピードが早い。
いや、4足歩行が故に、僕達よりも柔軟に岩や倒木を乗り越えて走ってくる。
ハッハッ
ハッハッハッハッハッハッハッハッ
段々と息切れしてくる。
耐えきれなくなって、倒木の影に駆け込む。
追いついたハイエナは勢い良く倒木に突っ込んでくる。
背中越しにその衝撃が伝わってくる。
まるで倒木を転がすつもりなのかというその勢いであり、僕もバーレントも地面に向かって一生懸命に足を突っ張る。
倒木にぶつかって弾かれたハイエナが僕らの真上。宙を舞う。
ぐるぐると回った末に僕らより遥か遠くの斜面を転がる。
時折、宙で翻り、上手に着地した個体は僕らに狙いを定める。
「もう、ムリ」
「絶対にムリ。生き残れるはずがない。」
隣には、その場でうずくまるヒイラギの姿があった。
チラっとこちらを確認したとき、ヒイラギと目があった。
嫌な予感がした。
仮面から熱源が迫るアラートが鳴った。
目の前のハイエナが一匹、白い熱線に焼き殺されたのを確認した瞬間。
いつか見た光線が振りそそぐ。
「あぶねぇ」
狙われた。
感情が傾いたものが真っ先に狙われる。
ヒイラギッ
僕が目を向けた頃には、熱線で雪が溶け、焦げた地面がむき出しになっていた。
「バーレントッ」
ヒイラギの悲痛な叫び声が聞こえる。
バーレントは笑っていた。
注射されたナノマシンが彼の痛みを麻痺させていた。
貫かれた脇腹を抑えて、出血を抑えるためにヒイラギが傷口に手を当てる。
傷口の周囲に思いっきり体重をかけ、これ以上、出血が広がらないように圧迫する。
「おい、マサト。なんのための医療部隊だ」
僕は急かされてすぐさま、携帯用のバックから液体状の止血剤を取り出す。
筋繊維のついたアーマースーツは丸く焼き焦げていた。
負傷した箇所に狙いを定めて、液体をふりかける。
活性化された皮膚細胞がすぐさま、傷口を塞いでいく。
その様子を確認すると、すぐさま拳銃を構えて、襲いかかる敵に備える。
僕達を狙った無人航空機は、次々と熱線を浴びせていた。
まるで無差別に、囲んでいたハイエナごと焼き払う。
感情が傾いた兵士たちも取り込んでいたせいか、走り抜けるハイエナもピンポイントで執拗に焼き尽くされる。
正気に戻ったヒイラギは、先程までのことが無かったかのように次の手を考え始めていた。
「あれ、航空部隊だ」
上空を見上げると、戦闘機が複数機駆け抜け、熱源を放射する浮遊体に対してミサイルを打ち込んでいる。
「第3波ってとこだろ。先行部隊の俺たちの部隊、後方部隊のお前ら。俺もお前らもしくじったんで、慌てて航空優勢を取り出した。ッチ。ホントは逆なんだけどな。」
爆撃音が鳴り響く中、しばらく黙り込む。
手元に視線を落とすと、ヒイラギが雪が溶けた地面に地図を書き始める。
「これ、見て」
ヒイラギはそう言って、現在の地点を指差す。
指が差された場所は、円弧を描く山脈の山頂から少し下った地点だった。
「私達の作戦は、山頂をこえて、エルブルース駐屯基地の反対側。
つまり、谷側に攻め入ること。山頂が取れれば、敵が陣取っている谷側の全貌が明らかになるし、地形的にも攻めやすい。
現状は、これが逆だったから、すごく大変だったけど、なんとか山脈沿いに自軍が展開できれば、長期の戦いに備えて、医療の野営を敷くことも可能。」
「確かにな。っで、俺らはどうする?」
バーレントはヒイラギの表情を覗き込み、武器を構える。
「航空部隊が敵の地上部隊を一掃した頃に、山頂へ向かって登りましょう。」
****************************
「さっきの」ヒイラギは横で必要な医療器具を並べながら僕に話しかける。
「霧島はどっちを信じてるの?グレーボヴィチ教官か、ルーカス兵長か。総統は本当に死んだと思う?」
銀の皿の上に手術道具を置くときのコツンという音が、誰もいない野営テントの中で響き渡る。
「分からない。分からないんだ。」
僕は返事をしながらも、先程まで聞こえていたはずの刻一刻と近づいてくる砲撃の音が聞こえなくなり、妙な焦りを感じる。
致命傷を負ったミサさんを夢の中で見たときと同じようなことが現実の世界で起こるんじゃないかと、不安は隠せなかった。
そもそもこの街は、紛争地帯に近い。それ故にしっかりと避難対策も練られているはずだと、無条件にこの地域の自治政府を信じたくなる。
仮に30年もこの地で紛争が続いているのだとしたら、尚更そうだと思いたい。
でももし、そんな避難も間に合わないほどのスピードで侵攻されていたとしたら?
すれ違った敵陣の部隊が先行部隊で、地上部隊を下ろす前に十分な爆撃機能を持って、飛行しているのだとしたら?
列車を襲った白い光線。先程の戦い。
あんなものをもう一度市街地に放射するというのか?
衛星から感情を逆探知しているのだとしたら、そこにいる住民に逃げるすべはあるのだろうか?
僕はこんなところで、負傷兵の手当をしていて、何も行動をせずに結果を確認したときに、何も後悔をしないだろうか??
この静けさは、長い防衛ラインの中で偶然発生しただけであって、本当はいずれかの地点で、防衛ラインを突破されているのではないのだろうか?
「ねぇ、聞いてる?」
苛立つヒイラギが僕を睨みつける。
「よく考えてみれば、僕たちは、なにが真実なのか。いっさいを知らない。この世界が本当に平和なのか?だったら、なぜ僕達は今、ここに立っているのか。その事実一つとっても、僕たちに確かめる方法はない。総統は本当に存在しているのか。僕たちはこの目で見たのはホログラムであって、総統と握手したわけじゃない。考えるのだけ無駄なんじゃないか?」
「はぁ。あんたに聞いたのが間違いだった。」
そう、ヒイラギに悪態をつかれてしばらくした頃に、うめき声が聞こえ、担架に乗せられた負傷兵が運ばれてきた。
軍服の上からでもわかるくらい、肩口から出血した跡が確認できる。
すでに、黒ずんだ包帯は、血が固まったあとなのか。それとも応急処置のために速乾性の樹脂を硬化させて、傷口周辺を止血したのか判断するのが難しかった。
兵士は額から冷や汗を流して、痛みをこらえていた。
もしかして、何かの暗示なのかと。変な推測を始める。
まるでミサさんが同じような自体に陥っているのだと思わせるように、夢と酷似した傷口が僕の心臓を激しくノックした。
僕は何も知らずにここに来てしまったことを後悔しているのだろうか。
相手側の無人機で覆い尽くされていた空は、曇り空が晴れたかのように、静まり返った。
味方の航空部隊が航空優勢を取ったようだ。
僕は野営テントの外に出て、ゆっくりと息を吐く。
砂漠に待っているような土埃は舞っていない。
足にまとわりつく白い雪の塊が、僕と地面を繋ぎとめているようだった。
「おい。負傷兵がたくさん来てるんだ。そんなとこで突っ立ってる時間はないぞ」
肩を叩かれ、振り返ると、自分より身長が高く、ボサボサの天然パーマが特徴的い白マスクをつけた医師が僕に話しかけてきた。
「すいません」
僕がそう謝ると、「ついてこい」と言い、再び野営テントの中に足を踏み入れる。
別の負傷者の対応をしているヒイラギを横目に、垂れ幕のかかった野営テントの奥に進み、医師が負傷者の対応を始める。
「お前はコイツの肩を抑えておけ」
そこに横たわっていた負傷者は、右肘から先が緑色に壊死した男の姿だった。
「外で治療行為を行っているのは、軽度の負傷者。テントの中で扱っているのは重度の負傷者だ。中でも、コイツは酷い」
そう、言って医師は負傷者を見下ろす。
どうやら壊死した部分は徐々に広がりを続けているようだ。
負傷者は痛みは鈍くなっているようだったが、それも表層の部分までなのだろう。
僕が肩を含め、身体ごと押さえつけると、医師は躊躇なくノコギリを使って右腕の切断を始めた。
腕を切断するには、分厚い筋肉を断つことと、中に通る骨を切断する必要があり、時間を要する。
負傷者は包帯で目隠しをされており、最初は意識が混濁して何が起きているのか理解をしていなかったが、次第に身体を仰け反らせて抵抗をするようになった。
負傷者の息がどんどんと荒くなる。
足首は拘束具をはめられ、動かないようにはなっていたが、激しさは増していた。
ボトっと腕が落ちた音がしたとき、すでに負傷者の動きは止まっていた。
口から泡を吹き、失神していたのだ。
止血剤を切断面に塗りたくると、樹脂の硬化剤が働き、まるで標本のように一瞬で固まった。
額から汗をかいたのか、ポタポタと赤黒く染まったシートに透明な液体が垂れる。
「ふっ。想像してたのと違ったか?」
医師はそんな僕の様子を見てそう話しかける。
「戦場の医療行為は、街中で人が倒れたときに行う医療行為とは違う。素早く処置をしないと人命に関わることは同じだが、手段や方法論が違う。よく分からない流行病も多いのがこの場所だ。
怪しい部分があったら、即座にぶった切らなければ、コイツだけじゃない。俺らも隊員たちも死ぬかもしれない。
十分な設備があるわけじゃない。きれいな空間があるわけじゃない。
おそらく、これから毎日こんな感じだ。
覚悟しておけよ。新人」
それから、数日間、負傷者が運ばれては野営テントのなかで処置をする。ということが続いた。細菌の繁殖を防止するために取られていた策だったが、結果的に功を奏したと言えたのは、壊死した緑色の肉体から木の芽が生えてきてるといった負傷者が運ばれてきたタイミングだった。
医師は唖然としていた。
負傷者の様子はミサさんの弟のノアを彷彿とさせたが、その情報はこの医師には共有されていないようだった。
負傷者の切断した四肢は通常、細菌の繁殖を防ぐために焼却処分されるが、この時の医師の判断は違った。
「太陽の光に晒すと、どうなるのか試してみよう。我々は、いずれこの症状と対峙することになる。」
負傷者がタイミング良くこの野営施設に運ばれてくるわけではない。その多くは激しい戦闘のさなかに救うことはできない。
おそらく、この症状より悪化した状態の救えなかった負傷者が戦場には、ゴロゴロ転がっているだろう。
医師はそう推測したのだ。
太陽が頭の上に昇った頃、切断された腕をテントの外に出し、様子を観察する。
しばらくすると、緑色に壊死した柔らかい皮膚の表面にイボのような突起が出現した。
一つではない。
複数の凹凸が皮膚の周辺に広がった。
先に出現したのは根だった。
まるで産毛のように凹凸から茶色い根が空に向かって伸びようとしている。
数センチ伸びたところで、重力に負けて、そのまま皮膚に着地する。
皮膚を土台に根を太くし、次第に分化していくつかの垂れなかった根から双葉を作った。
表面の葉緑体で染まった葉が太陽に照らされて、輝いたかと思えば、急速に成長を始めた。
宿主である腕の筋肉の栄養を吸収しているせいか、どんどんと筋肉量は減り、腕が萎みながらも太陽に晒されている間、数分の間に、背を伸ばしていった。
成人男性と対して変わらないまで成長した一本の苗木は、その状態のまま葉を撓らせ、艶のある葉の表面にシワを作ったかと思えば、急速に茶色く変色し枯れた。
もともとあった腕は豆つぶほどの大きさになった。そこから生えていた苗木はポキっと折れて、風化が急速に進んだ。
「まるで命を吸い取っているようだな。気味が悪いが、木になって勝手に枯れるんだとしたら、戦地での影響は少ないな」
医師はそう言って、天幕の中に戻っていった。
僕は、ため息をつく。
まるで、運命の行く末を先に知ってしまったかのようだった。
ミサさんの弟のノアは、同じように枯れる運命にある。
宿主の生命を吸い付くし、大地へ還元されるのだ。
******************
翌朝、思いもよらぬことが起こった。
「ねぇ。マサト、こっち来て」
ヒイラギが天幕から顔を出し、僕を呼んだ。
「おい、逢い引きか?」
クスクス笑う声が、野営テントの隅の方から聞こえる。
「いいから」
腕を引っ張られて、僕はテントの外に出る。
「見て」
ヒイラギは迷わず、指を差した。
思わず息を呑んだ。
なぜなら、そこには裸の男が横たわっていたからだ。
どこにも負傷したような外傷は見られない。
その兵士は、先日、腕を切断したはずの男だった。
医師は頭を抱えた。
それもそのはず、腕を切断された男は野営テントの治療済みエリアで意識を失ったまま横たわっていたからだ。
「同じ男が二人いる。これはどういうことだ。何かサプライズじゃないのか?実は一卵性の双子がいたとか、そういうオチじゃないのか?」
「それはないです。昨夜、ルーカス兵長にも兵士のナンバーを確認していただきました。」
「どうします?テントの中に運び入れますか?」
僕は、対応の方法を医師に問いかける。
「うるさい。そんなことは今、重要ではない。
問題なのは、この男が目を覚ますのか?ということだ。
そして、私達は決断しなくてはならない。」
「何を?」
僕が医師の方を見やると、医師は口元に手を当て、眉間にシワを寄せながら、僕を睨みつける。
「彼を殺すかどうかだ。」
間髪入れずに、医師は答え続ける。
「彼が目を覚ます。もしこのまま放っておいたときに目を覚ましたら、一体、彼の精神の所在はどこになるのだ?
考えられない。
彼は、昏睡状態に陥り、世界を浮遊し、その結果、分裂したとでも言うのか??
いや、そんな事実は到底受け入れられない。
想像をしてみてほしい。
ある朝、目を覚ましたら、私は4つの目を持って、世界を認識し始める。
2人の視点から入ってくる情報を統合的に処理し、2人に別々に司令を与える。私はそれをどこから指示しているというのだ?
まるでどこからか、司令部があるかのようだ。彼の魂の所在はどこにいるのだ?
彼が亡くなったら、どちらの意識が消失するのか?
想像するだけで、生理的におかしな感覚になる。
我々は、この気味の悪い情報の真実に遭遇する前に、殺さなければならない。
今、負傷しているテントの中にいるオリジナルか。突如出現した素っ裸のこの男か。」
幸い、太陽が登り始めたばかりで周囲は数分のうちは薄暗かった。
「お前、名前はなんていう?」
「霧島です。」
「そうか、霧島。サプレッサー付きの拳銃はあるか?」
「ええ。」
「まかせたぞ」
冷や汗を流し、医師は僕にそう声かける。
「できません。味方に殺傷行為を行うのは軍法違反です。」
「コイツは味方ではない。敵だ。」
「いえ、敵ではありません。」
「敵だ。なぜなら、コイツは昨日、死んだはずの人間だからだ。お前も見ただろう?コイツは私達の前で朽ち果てたのだ。」
「さぁ。早く、引き金を引け。早く」
焦る医師を横目にヒイラギがため息をつく。
「駄目です。私達は仲間に引き金は引けません。」
感情論で言っているのではないと、ヒイラギは前置きをして、拳銃についてある指紋認証の部分を見せる。
「この兵士の生体データ。つまり遺伝子レベルで同一ということです。許可が降りなければ、私達は兵器によって味方殺しをすることはできません。」
ヒイラギは淡々とそう解説した。
マサトはそう話している最中、あることに気づいた。
それは、戦地では救えないここに来ていない負傷者が沢山いるという言葉から連想されたものだった。
敵のしたたかな戦略に背筋が凍った。
「もしかして、前線にいる部隊が危ないかもしれない」
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