第10話 綠斑症
「おっ」
声がした方向へ振り向くと、昨日見た男の姿があった。
床に目を向けると、引きずりながら歩いているサンダルの先端が削れていた。
「どうだった、無事に一夜過ごせたか?」
ケラケラ笑い声をたてて、男が僕に話しかける。
「一夜って。。お前、またおちょくってんのか?」
僕はデリカシーもなく、からかってくるこの男を睨みつける。
「おいおい。仲良くしようぜ。2階ってことは同じ師団のメンバーになるはずだろ?せっかく、分かりやすく同じ階に集まってるんだ。挨拶に来て何が悪い?」
男は、少し背の高い位置から僕を見下ろす。
「訓練時代にちょっと成績が良かったのかもしれないが、調子に乗るなよ?
お前はあくまで、サポートメンバーの医療班なんだ。
あんまり、しゃしゃり出てくるなよ?」
気分の悪いやつだ。
仲良く慣れそうもない。
僕は、数分間のコミュニケーションですぐに察した。
なにか言い返してやろうかと思ったその時、僕の後ろのドアが開く。
「なんか、騒がしいと思ったら、誰だ?あぁ。お前か」
軍服に着替え終わったヒイラギが半分ドアを開き、顔を覗かせる。
「3日も無いってのに、あぁ。時間を無駄にした気分だ」
そう言って、部屋のドアを再度閉じると、鍵をかける音が聞こえた。
「お、おい。」
僕はその動作につられて、声をかけるが、ドアの向こうからの応答はない。
「ハハッ。閉められてやんの。俺の忠告を聞かないからそんなことになんだよ。
ヒイラギには気をつけろよ。元同居人として忠告するぜ」
僕のことを指差して、男がそう答えると、返事をするかのように僕の後ろにあるドアが再び開いてヒイラギが顔を出す。
「もう一回、ぶっ飛ばしてやろうか?バーレント。また指の数本折ってやったって、私は構わないけど?」
ヒイラギがバーレントと呼ばれるサンダル男を睨みつけると、バーレントは一歩下がり、両手を上げて拒否反応を示す。
「じょっ冗談だって。ヒイラギ。ハハッ。一度きりの人生なんだ、こんなとこで命を落とすのは馬鹿げている。」
ヒイラギが帰ろうとしたその時、サンダル男が歩いてきた方向から、足音が聞こえる。
僕を含めた3人が視線を一斉に移動させると、その先には、
「いくら総統の娘でも困る」と制止しながら歩く昨夜に出会ったセシルと呼ばれた寮長の姿があった。
「ごめんなさい。でも渡さないといけない物があるから。」
「ですから、それはワタクシが渡しておきますから。。」
セシルと呼ばれた寮長の後ろに、見たことのある姿が見え隠れする。
一瞬、僕の張り詰めた緊張の糸がほぐれた気がした。
白いネックタートルの上に被さった協会の証であるペンダントが目を惹く。
「マサトくん。無事で良かった。。あ、あの、これ渡そうと思って。」
いきなりのことに、僕の心がおいて行かれているような気がした。
ミサさんは、両手で列車においてきた僕の荷物を差し出す。
「あ、ありがとう」
僕はミサさんから淡々と荷物を受けとろうと視線を移す。
よく見ると、微かに彼女の両手が震えている気がした。
寒さのせいか、荷物の重みのせいだろうか。僕は自分の急ぐ心を疑問に思いながらも、すぐに荷物を受け取った。
「ふ〜ん。いやぁ。隅に置けないね。霧島くん」
サンダル男・バーレントが横から口を挟む。
「君はなんて、寂しい思いをさせてたんだ。こんな男ではなく、これからはこのバーレントを頼って方が良いよ。お嬢ちゃん」
「さっきから、うるさいよ。バーレント。余計な口を挟むな。私は誰かに見られないうちに、ここから連れ戻さないといけないんだ。」
「っておいおいおい。邪推な真似してんのはどっちだ?
そうだ。セシル。君のことは、俺が止めておこう。」
バーレントはそう言うと、ミサさんとセシルの間に割って入った。
「無事でよかった」
急に真剣な会話が入った姿をよそに、僕はミサさんに話しかける。
彼女は、うつむいたまま僕の言葉に頷いていた。
「どこも、怪我はしていないかい?」
「はい。怪我はないです。。。マサトくんは?」
「大丈夫だよ。あのあと、軍隊の無人機に回収されて、ここに辿り着いた。
荷物はありがとう。ミサさんは、どうやって、ここまで?アリスやグレーボヴィチ教官は無事なのかい?」
「ねぇ。せっかく、彼女さんが会いに来てくれたってのに、質問攻めなの?霧島。」
ヒイラギがそう僕の後ろから様子を見ながらチャチャを入れる。
「って、ちょっとまって。泣いてない?珍しい。」
「え?」
驚いた声をあげたミサさんは、僕とやっと顔を合わせた。
昨日の夢のせいだ。
僕はそう思った。
あの夢のせいで、君のことが心配になってしまった。
君の声が聞こえたとき、僕はどれだけ嬉しかったことか。
君の体温を感じたとき、僕の心がどれほど安らいだことか。
先に、悪夢で体感してしまったせいで、一番大事な現実で不感症になっている自分がいた。
僕は、そんな自分が嫌で、彼女に向かって一歩踏み出し、静かに抱き寄せる。
「ちょっマサトさ。。」
「良かった。本当に、無事で良かった。。。心配したんだ。心の底から。
不安で仕方なかった。君の無事が確認できるまで、僕はとても不安だったんだと思う。」
彼女の服の上から、確かに体温を感じる。
彼女の息を吸う音が聞こえる。
彼女の心臓の音まで聞こえたような気がした。
「あの、こんな皆さんの前で、恥ずかしいです。」
「ごっごめん」
僕は、謝ると、彼女から一歩離れる。
反動で、僕の頬に自分の涙が流れた。
「ふふっ。マサトくんって、無表情で涙が出るんだね。」
ミサさんは口元に手を当てて、笑う。
「そうみたいだね。僕もこんな状態になったの久しぶりで。
自分でも驚いているけど」
ミサさんは、少しきょとんとした表情になってから、口ずさむ。
「そっか。兵隊さんだもんね」
すると、ミサさんは僕から視線をドアから顔を出しているヒイラギに移して、
「マサトくんはどこで、寝泊まりしているの?」と尋ねる。
「それは、、」
「霧島は、私と同居しているよ。」
「え、どういうことですか?」
ミサさんは僕ではなく、ヒイラギの方に詰め寄る。
「そんな大した関係じゃないよな。霧島」
ヒイラギはドアの方に僕を引っ張り込み、馴れ馴れしく近づいてくる。
「えっありえない。ここって、軍隊の寮なんですよね?どうして、異性が同じ部屋で同居してるんですか?」
ミサは僕の方を振り向き、眉間にシワを寄せて、こちらを見つめる。
「昨日の夜は、楽しかったね」
「泣いてたな。お前」
ヒイラギが、わざとらしく答えるので、僕もすかさず返事をする。
「チッ」
ヒイラギは後ろから、僕を蹴り飛ばすと、勢い良くドアを締めた。
静寂が、周囲を包み込む。
気づけば、セシルもバーレントの姿も見えなくなっていた。
「はぁ。なんだか騒がしい人たちだね」
一息ついて、ミサさんは口ずさむ。
「そうだね。一緒の師団だから、きっとこれから協力しないといけないんだと思うけど、先が思いやられる」
僕は苦笑いを浮かべる。
「私ね。マサトくんがいない間に強くなったから、全然さっきの会話を聞いても、へっちゃらだからね。」
「ん?まぶた、少し腫れてるけど?」
「えっ、うそ。何度も確認したのに。」
ミサさんは慌てながら、自分のまぶたを触って確かめる。
「ごめんごめん。冗談」
僕はミサさんの反応に笑いながら、声をかける。
「ちょっとぉ」
ミサさんは僕の表情をチラっと見ながら、グーで胸を叩く。
「アリスは?」
「アリスは、今は私の家にいる。エルブルース駅の近くにあるの。
この駐屯基地は、山奥だから、平地の方だけどね」
「そうか。良かった。」
「そういえば、ここ連絡手段がないの。民間の電波は入らないみたいで。
軍事基地だから当然なのかもしれないけど。。
いつ出発予定なの?」
「1日経ってしまったから、あと2日後だね。」
「思ったより、時間がないのね」
そう言って、ミサさんは口をつぐむ。
そして、僕に手紙を差し出すと、こう言った。
「マサトくん。良かったら、お家に来て。
アリスに会いに来て。」
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ミサさんが帰ったあと、部屋に戻ると、終始ニヤけているヒイラギの姿があった。
陽が昇り、学習机に座り、日向ぼっこをしながらこちらを眺めてくる。
僕は、躊躇せずに睨み返す。
「あっ。そういえば、そろそろ医療班の出発前の訓練だそうよ。ったく、こんなタイミングで何をするのか。って感じだけど。ここでないと見れないものがあるらしい。」
「連絡が来たのか?」
「基地内に通じている内線からね。ほら、置いてくよ」
ヒイラギは僕を押しのけて、ドアから出ていく。
続いて、部屋を出ようとすると、ヒイラギが立ち止まっているのに気づき、足が突っかかる。
「やぁ。君、ルーカスのところの隊員だったんだね。
ふむ。
ルーカスもルーカス。キミもキミだけど。
あんま上に逆らうのは良くないよ。昇進できなくなっちゃうからね。」
前に垂れ下がった髪をかき分け、僕にも声をかける。
「案内するから、ついてきて」
白衣の細柄の男はそう言うと、僕らを連れて寮を出た。
そして、向かいに位置する白い巨塔に足をすすめる。
昨夜から気になっていた自動機械は清掃活動を終えたのか、姿を確認することはできない。
消毒作業をすることなく、広々としたエントランスに入ると、白衣の細柄の男は受付のナースに声をかける。
騒がしく活動していた防護服も見えない。
国連軍の関係者か、僕らと同じ服装に数の多いバッチをつけた人間もちらほら見える。
待機用の平たい長椅子には、遺族と思われる分厚いコートを羽織った集団も確認できた。
「心配そうだけど。ここには、未処置の緑斑症の患者はいないよ。ちゃんと隔離ルートがある。入り口がわけられているからね」
白衣の細柄の男は、受付のナースにカードを受取り、会釈をすると歩き出した。
廊下を歩き始めると、そばにいるナースが白い目でこちらを見て、噂話をし始めていることがわかった。
「僕は、人気者だからね。そこらへんの生意気な娘たちと違って。」
白衣の細柄の男は、噂話をしているナースを煽るような音量で僕に話しかける。
「さぁ、実戦に入る前に見せておきたいのは、この部屋だ。」
そういうと、少し大きめの病室にたどり着いた。表札には「ノア・ レスター」の文字があり、VIPルームのように、一人でこの部屋を利用していることが推測できた。
コンコンと白衣の細柄の男がノックをする。
「入るよ。まぁ、声をかけても意味はないか。」
そう白衣の細柄の男がつぶやくと、僕の視界の隅で、ヒイラギがこの男を睨みつけたような気がした。
真っ白な病室には、いつか夢で見たようなデジャヴを感じる。
背中から汗が出ているような気がした。
コツコツと音を立てながら、独り一番日光が当たる位置で、寝ている患者のそばに近寄る。
僕と同じくらいの若い青年だった。
髪は短く切りそろえられ、服は着替えを済ませているのか、シワが入っている状態ではない。
酸素ボンベもつけずに呼吸はできている状態だった。
服の襟の隙間から、覗いて見える丸いイボのような緑斑が見え隠れする。
点滴を受けているのか、ベッドから飛び出している腕には、アザのように緑斑が抑えられている跡もあった。
「彼は、総統の息子だ。特定患者として、私が様子を見ている。
なかなか、ここまで症状が押さえ込めているのも珍しいんだ。
霧島。脳死ってわかるかい?」
「ええ。」
「これは、いわゆる脳死の逆の状態だ。
すでに身動きを取ることはできないが、脳波を見ると意識があることがわかっている。
もちろん、脳が動いているから、心臓は動いている。ただ、筋肉を操作する神経系統が壊死しているんだ。見た目はもちろん、現代の再生医療を使えば、治すことはできる。
でも、複雑な神経経路までは再現することはできない。
瞼をコントロールできなければ、瞳孔を絞ることもできないから、視界から情報を入れることはできない。ずっと、ぼやけているだけだ。
皮膚から温度や痛みの方向の感覚が伝わることはないし、耳の鼓膜が振動しても、その周波数を受容する神経が動いていない。
想像するなら、自分が黒い箱だったとして、そこに繋がっていた神経回路が閉ざされ、アウトプットする先がなくなってしまった状態だ。
光を受容している感覚を養うことができなければ、一日が経過する感覚が薄れ、自らの皮膚の状態を確認できなければ、長期間の時間の経過を意識することはできない。
彼の脳内は、永劫の時をさまよっているのだろう。
仮に、体の動きが取り戻せたとしても、もし、時間感覚が消失していれば、まともに言葉を発することもできない。
まったく、かわいそうに」
最後に吐いたその言葉に、ヒイラギが反応する。
「可哀想にって、そんな他人事な。
ルーカス兵長から聞いている、この病気について詳しいんでしょ?」
「あいにく、僕は、クローンなんでね。過去に自分がどんな犯罪を犯したか知らないが、その膨大な実験の過去が戻ることはない。」
「ちッ。使えない」
そのヒイラギの言葉に白衣の細柄の男は頭を掻く。
「ヒイラギ。君、僕と瞳の色が似てるね。せいぜい、凄惨な死を迎えないことを祈るよ」
「彼には、意識はあるんですか?」
僕が気になり質問すると、白衣の細柄の男は話を続ける。
「彼にはどんな意識があるか。
例えば、生きている理由?そんなの彼らには分からんさ。
むしろ、死ねないという方が正しい。
根を生やすことを遺伝的に組み込まれ、何があっても、生き延びようとする。
君たちは、さも、これから止めてやるぞという顔をしているが、全ては事後なのだよ。
まさしくとっくのとうに、核弾頭は打たれてしまったかのようだ。こんなにも平和になったというのに、いったい君が抱えてる退屈感は何だ?その表情から鬱憤がすけて見えるぞ。
人を愛することもできずに、やることが保守保全しかやることがないからじゃないのか?まったく、僕の目には人類が滑稽に映るが。」
白衣の細柄の男はクスッと笑うと、視線を患者に向ける。「この病は、陽が昇るとああやって、成長するそうだ。」
緑の模様が広がり、患者の呼吸が荒くなっていた。
ベッドが微かに揺れたかと思うと、いつの間にか患者の背中とベッドの隙間から茶色い根が這って、床に到達しようとしていた。
「陽の光を浴びると、進行する病
しかし、陽の光を浴びなければ、人間の精神は弱っていく。
まさに、人類の天敵のような病だ。」
白衣の細柄の男は、地面にも今にも届きそうな根を到達しないように蹴り払う。
陽を遮るように、遮光カーテンを締めようと僕が、窓側に目を向けたとき、背後の扉がガラガラと音を立てて、開いた。
「ノア!」
ミサさんがベッドに向かって駆け寄ってくる。
「あぁ。病気が進行してる。」
そう言って、窓側の遮光カーテンを締め、こちらに戻ったかと思うと、必死に患者の表情を見つめる。
患者の唸り声が段々と落ち着いたところで、ミサさんは安堵の表情を浮かべる。
「もしかして。」
僕が患者の姿を見下ろして、問いかけると、ミサさんは立ち上がって、僕と視線を合わせる。
「そう。ノア・レスター。私の弟よ。初めてマサトくんに出会ったあの日に話に出ていた私の家族。」
ミサさんはそう言って、口をつぐむ。
僕はその沈黙に耐えきれず、視線を弟さんに移す。
目はつむったまま、呼吸を荒くし、汗をかいている。
「ずっと、この状態なんですか?」
僕は、ミサさんに問いかける。
「そうだね。数年前に戦地から帰ってきてからずっとこの状態。」
寂しそうな、遠いところを見るように虚ろな表情に僕の心は締め付けられる。
「どうして、この病気になったのかはわからない。治し方もわからない。
だけど、家にいるより、ここには優秀な先生がいるから安心かなって思っているの。」
「へぇ。」
そんなミサさんを横目に、ヒイラギは白衣の細柄の男を見つめる。
ヒイラギの横に立ったまま僕は、ミサさんへ声のかけ方が分からなかった。
ミサさんの声の震えが伝わっているはずなのに、どうすれば良いか。
分からなかった。
そんな沈黙をよそに、白衣の細柄の男は喋りだす。
「ジロジロ見られても困るよ。でも、僕だって、何もしていないわけではない。患者を直せるわけではないけど、意思疎通をできる仕組みは作ることはできる。
あぁ。そうだ。霧島。
君は夢を見ることができるか?」
ええ。僕がそう返事すると、白衣の細柄の男はこの部屋に設置されたロッカーから何やら、装置を取り出し始める。
素早い手つきで、弟さんの頭に黄色の蛍光液を塗り始め、あっという間に電極のついた装置を取り付け終わった。
「ミサ・レスターさん。本日は、面会に来た?であってますよね?」
「ええ。お願いします。」
ミサさんはもう、知っていることなのか。
そう思っていると、男は半分空いている遮光カーテンを締め切り、全く日光が入らない状態にしたあとに、部屋の照明を消した。
なにやら、匂いのついたガスが充満したかと思えば、声が聞こえてくる。
「誰か居るの?お姉ちゃん?」
ベッドの縁に座るその人影には、白い包帯が頭に巻かれていた。
目が見えないのか。視点が定まらず、周囲をキョロキョロしている。
「ここにいるよ。ノア。」
ミサさんは、ノアの方に向かって声をかける。
ノアはミサさんと視点を合わせると、ニッコリ笑う。
「お姉ちゃんの声が聞こえる。」
「そう。今日も来たよ。体調はどこも悪くない?」
「うん。少し、身体がヒリヒリ痛むけど、それ以外はいつもと変わらない。
でも、時々、頭が痛くなるんだ。
きっと、
僕が意識を失う前の、戦地の記憶が入り混じっているんだろうね。」
そう言うと、ノアは、視線を落とし、これまで考えていたことを話し始める。
「この状態だと、喋れもしないからさ。こうやって、お姉ちゃんが話しかけに来てくれると、スッキリするんだ。
話していると、嫌な記憶も、辛い光景も思い出さずに済むから。」
足をぶらつかせながら、ノアは語る。
「家から送り出されて、戦地へ続くトンネルをくぐり抜けたあの日のことをよく思い出すんだ。
世界の統一に反旗を翻した、ヒューマノイドの集団が僕らに冷徹な赤い眼で僕達を容赦なく撃ってくる。
過去の紛争は、民族とのゲリラ戦だったと思うけど、そんなのとっくに終わってる。
僕と一緒に、塹壕で戦っていた者たちは、弾丸を打ち込まれ、すぐにその場で同じ緑斑症にかかった。
あの悲痛な叫び声は今でも忘れることはできない。」
そう言ったとき、あそこまで僕に記憶を打ち明けることに躊躇していたミサさんの姿がよぎった。
「敵が拠点とする最奥に辿り着けなかった。それが、今日まで争いが続く理由だ。
僕の過去は、こうして真っ暗な光景が最後のシーンになっちゃったけど、戦地に行く前にもらったお父さんからの手紙が嬉しかったなぁ。」
「こんな時代に手紙を送るのね」
ヒイラギは話を横目で聞きながら、ぼそっとつぶやく。
「お父さんは、ノアになんて言ったの?」
「ごめんねって。書いてあったよ。」
「どうして?」
ミサさんは、ノアに問いかけると、焦らしたような答えを続ける。
「教えない。でも、お父さんは世界の平和を守ってる。きっとお姉ちゃんに辛い厄災が降りかかろうとも、その事実は変わらない。僕はそれを知っている。」
ノアは、寂しそうな目で虚空を見つめているように見えた。
薄暗い靄がかかった状態から、視界が開けていく。
ヒイラギが遮光カーテンを開けると、ノアの姿はなく、先程までと同じ、ベッドに寝ている姿があった。
「ありがとうございました。」
ミサさんは、白衣の細柄の男へ深々と頭を下げる。
「ノアが父の話をするなんて思っても見ませんでした。
父は、ノアがこの状態になって帰ってきたときに、見舞いにも来ませんでしたから。」
そう言葉を残すと、ミサさんは黙ったまま、この部屋から出ていった。
ドサッと音がして、振り向くと、その場で白衣の細柄の男は膝をついて蹲まっていた。
「大丈夫ですか?」と声をかけると僕に向かって、
「ほら、面会できただろ?」と、せせら笑った。
「黙れ、ペテン師。」
ヒイラギがその様子を見て、吐き捨てる。
「どうやら、君たちは戦闘前にチューニングが必要なようだね。薬を処方させるように僕からルーカスに助言をしておこう。」白衣の細柄の男は苦笑いを浮かべる。
その見えない怒りを胸にミサさんに続いて、ヒイラギもこの部屋を出ていこうと、扉を開けると、いつの間にかバーレントが扉の前に立っていた。
今度は、サンダルに寝間着のような姿ではなく、軍服と革靴を履いた姿でこちらを見ていた。
「よぉ、ヒイラギ。俺らさ、もう出発まで時間ないよな?
どうだ?今夜は俺の部屋に来ないか?」
「なに?バーレントわざわざ会いに来てくれたの?」
「ああ。戦場で生死を共にすることはできないが、今日だけは一緒になれるだろう?」
ヒイラギは、バーレントが不意に頬を緩めたところで、股間に蹴りを入れる。
バーレントが悶絶しているところをよそに、ヒイラギは語りかける。
「あなたが、私の裸体を覗き見たこと、忘れてないから。せいぜい前線で死なないようにね。」
この場を立ち去ろうとするヒイラギの背中を僕は追いかける。
次第に同じ歩幅になって、病棟の廊下を歩いているとき、ヒイラギから話しかけられた。
「霧島は、今夜はどうする予定なの?」
まだイライラしているのか、ぶっきら棒に話しかけてくる。
「ミサさんのところで食事をする予定」
僕が迷わずそう答えると、ヒイラギは目を背けてつぶやいた。
「あっそ。」
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