第39話 お出かけ

 食事を終えたら、今度は俺が食器を洗う。全部やらせてばかりでは悪いからな。

 その間は好きにしてくれていれば良かったのだけれど、希星は隣で俺の様子を見ていた。


「……何か別のことしてていいんだぞ?」

「わかってます。でも、ちょっとした仕返しです。青野さん、私が料理してるときずっと見てたじゃないですか」

「……そうだけどなぁ」

「ずっと見られてるの、恥ずかしかったんですからね?」

「悪かったよ」

「悪くは、ないですけど。それにしても、私、ちょっと変な悩みができてしまいました」

「ん? どんな?」

「本当は、空いている時間はたくさん絵を描かないといけないってわかっているんです。ただでさえ出遅れているのに、のんびりしている暇なんて本来はないはずなんです」

「あまり切羽詰まってやらなくていいぞ。絵の上達ばっかり考えてると精神を病むからな」

「はい……それも、わかってはいるつもりです」

「それで、悩みってのは?」

「私、絵を描くより、こうして青野さんとおしゃべりしていたいなって思っちゃってるんです。学校とバイトで忙しいときには、一分を惜しんで絵を描いていたのに、今は……少し、気が抜けています」

「……そうか」


 純粋な好意って、本当に遠慮なく心を抉ってくるよな……。この場で希星を抱きしめない俺を誰か褒めてほしい。


「結局、私の情熱ってそんなものだったのかなって思っちゃいます。案外、私にとって描くことはそんなに重要じゃなかったのかも、なんて」

「なるほどなぁ……。でも、心配は無用だ」

「そうですかね?」

「世の中には、本当にひたすら自分の好きなことに取り組む奴もいる。そういうのがもてはやされて、偉人みたいに思われることもある。

 けど、人間なら気持ちにムラができるのは当然だ。どれだけ好きなことだって、ときと場合によってはしたくないことだって当然ある。

 個人の性格や趣味嗜好なんてものは、日々の中でどんどん移ろっていくもんだ。絵よりも優先したいものがあるってのも、それは絵に対する情熱が足りないって証明じゃない。

 日々変化していく自分には、もっと寛容でいて良い。ずっと続けていれば、一ヶ月くらい絵を描きたくないって思う時も来る。それでもどうせまた絵を描きたくなるし、長期的に見れば、やっぱり自分は絵が好きなんだって気づく。

 ……色々思い悩むことがあったとしても、結局戻って来ちまうんだよ。どれだけ捨てたいと思ったものであっても、またやりたいって思っちまう。

 好きなことだからこそ、ずっと一貫して好きでいられるわけじゃない。だから、ゆったり構えていればいい。あまりにも気乗りしない日が続くなら悩むべきかもしれないが、短期間ならたいした問題じゃない」

「なるほど……。青野さんの言葉は、いつも私を納得させてくださいますね」

「ほんの十年程度、希星よりも先輩だからな」

「……その差、早く埋めてしまえればいいんですけど」

「焦るなよ」

「わかってます。じゃあ、私、少しだけ気楽に構えて、今は青野さんを見つめています。いいですよね?」

「……好きにせい」

「はいっ」


 まったく、俺なんかを観察して何が楽しいのやら。

 見た目が特別にいいわけでもなく、面白いことができるわけでもないのだがな。

 食器もぼちぼち片づけ終わり、鍋なども希星の部屋に戻す。

 それから、今度は一緒にお出かけをすることになった。メイド服をどこかで買うとして、それ以外は、どこでもいいから俺の好きな場所に連れて行ってほしい、とのこと。無自覚に難題を押しつけてくる奴だ……。俺が連れていける場所なんて非常に少ないと言うのに。俺の行きつけなんて古本屋くらいのものだぞ。

 ともあれ、まずは二人で一緒に家を出る。今日は冷えるので、お互いに厚手のコートを羽織るようにした。

 

「俺に期待するなよ。俺は素敵な場所なんてろくに知らないからな」

「素敵な場所に連れてって、なんて言ってませんよ。青野さんの行きたい場所に行ってみたいんです」

「……そんなこと言って、期待に沿わないところだったら機嫌を悪くするんだろー」

「そんなことありませんよー。だいたい、お出かけするのだって、青野さんと一緒にいるための口実ですよ? 私は、一日中青野さんのお部屋でまったり過ごしたっていいんですから」

「……それはなし」

「私は別にいいんですけどねー……どうなったって」

「ダメだって言ってるだろ。希星もあまり迂闊な発言はしないでくれよ」

「はぁい。わかりました」

「気のない返事だなぁ、もう」

「ふふ。仕方ないじゃないですか。こちらとしても不本意なんですから」

「あ、そ。まぁいい。とにかく行くぞ」

「はいっ。どこまでもついて行きます!」


 そして、希星の手がわきわきと動く。狙いは俺の肘辺りらしい。


「……接触はなしだぞ」

「うぅ……っ。私はこんなにも青野さんを求めているというのにっ」


 まったく、『好き』とさえ言わなければ何をしてもいいわけじゃないんだがな。

 しかし、これでもだいぶ我慢しているのだろう。まだ高校生で、気持ちを抑えるのにも一苦労だろうし。

 ……あと二年、本当に我慢できるのだろうか? 俺も、希星も。

 心配になりながらも、俺たちはつかず離れずの距離を保って並んで歩く。

 最近、自分の歩くペースが落ちたなと感じる。一人だったら周りの人を追い抜く早足だったのが、今は大抵の人より遅いくらい。……未練など残ってはいないが、彼女と一緒だった頃を思い出すな。

 さておき、そんなことはさっさと頭の中から追いやって、電車と徒歩にて移動。

 向かう先は、俺の職場がある駅の一つ手前、陽林光駅の近くにある喫茶店。ただ、その喫茶店は少々変わった場所にあるので、俺たちは駅を出たら高架下の線路沿いを少し歩く。

 そこから住宅街の方に折れて、マンションが集まる区域へ。


「えっと……どこに向かっているんでしょうか?」


 あからさまにただの住宅街なので、希星が困惑している。


「ただの喫茶店だよ」

「こんな住宅街にですか?」

「そ。こんな住宅街に。まぁ、正直、連れて行くか迷うところなんだが……」

「どうしてですか?」

「着けば分かる」

「そうですか……。楽しみですね?」

「あまりハードルを高くするなって」

「そっちがもったいぶってるんじゃないですか」

「……確かに。それは悪かった。あ、ちなみに、店に入ったら、特に距離感気をつけてくれよ。俺の顔見知りもいるかもしれないし」

「……はい。わかりました」


 駅を出てから、歩くこと十分程。俺は目的地である『アンバードリーム』という名の喫茶店へ。マンションの一階を改装した作りになっており、突如現れるその姿に驚く人も多い。

 希星もその一人で。


「わ、本当に喫茶店がありました! それも、意外とおしゃれな外装ですね。マンションの一階なのに」


 くすんだ煉瓦色のマンションに同化するように、この店はどこかアンティークな印象の外装をしている。高校生向けではないかもしれないが、こういうところがむしろ新鮮で良いだろう。

 店内に入ると、内装もアンティークな雰囲気。古物商でもやっていそうなところだが……。


「わ……すごい。壁中に色んな絵とかイラストが……。だから私を連れてきたんですね……?」

「そういうこと。別に絵のことばっかり考えたくないだろうに、こんなところしか連れてこられなくて悪いな」


 希星の言う通り、ここの店内には無数の絵やイラストが展示されている。額縁に入った立派なものもあれば、ポスターカードなどの簡素なものもたくさんある。


「イラストの美術館みたいですね……。素敵です……」


 希星がふらふらと壁際に吸い寄せられていく。見ているのは、主にゆるキャラが描かれたイラストの区画。希星、こういうのが好きなんだな。


「いらっしゃいませ。……ああ、青野君か。久しぶりだね」


 店の奥から出てきたのは、四十手前の小太りな男性。名前は矢代雄大。ブラウンのポンチョなんかを着て、おしゃれというか、ユニークというか。


「お久しぶりです。ここは相変わらずですね。個人的には、どんなカフェよりも面白いですよ」

「そう思っているなら、もっと頻繁に来てくれてもいいんだよ?」

「……もしかしたら、そうなるかもしれませんね」


 希星からなんの感想も聞けていないが、既にかなり気に入った様子なのはわかる。なんとなく、今後もよく二人でこの店に通うようになる予感がした。

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