Jihad cum Diis ジハードクムディース -夜の子は月に願う-

望月レイ

第一章 四季は巡る

第一話 春の精霊は歌を唄う。(1)

 風の都市ウィンディア。その都市の季節は風が運ぶ。今の季節は夏。木々が青々と茂り、汗ばむような生暖かい風が通るはずの初夏。しかし、馬車から見えるのは色とりどりの花、花、花。まるで春のような。いや、春そのものの光景だった。


 フードの影から深い夜空のような色の髪を覗かせ、肘掛けに頬杖をついた黒衣の少年は、膝に座る黒猫を撫でながら、風に吹かれて回る風車と季節外れの鬱金香チューリップが咲き誇る風景を眺めながら深々とため息をつく。


(魔法を使った方が早く着くのに、貴族っていうのは馬車を寄越したがりで困る)


 彼の拠点であるアシュコットから数日かけて馬車に揺られているため、彼は今、すこぶる機嫌が悪い。それを見兼ねた向かいに座る、ふわふわとして赤みがかった金髪をゆるくまとめた、若葉色の目をした優しげな雰囲気の女性が苦笑する。


「あらあら、疲れたのかしら。普段、馬車なんて使わないものね」

「……別に」


 子供を気遣うような声音に、少年は外への視線を外すことなく、そっけなく返す。冒険者ギルドのトップである"称号持ち"中で最年少の少年は、何かと他の"称号持ち"達に子供扱いされがちだ。彼らの仲間になって三年目、今年で十五歳になる少年にはそれが気に食わない。


「仕事ぐらい、一人で出来るんだが」


 いつもの間にか、向かいから隣に移動していた女性に視線を向ける。すると、女性は驚いたように口に手を当てた。


「まあ! そんなことを気にしていたの?」


 ふふふ、と微笑む女性は続ける。


「別に、貴方の力量を疑ってる訳じゃないのよ? むしろ買ってるぐらい。史上最年少で一級魔法使いの資格を得て、精霊使いシャーマンの資質を持ってるのはギルドの中でも貴方だけだもの。ただ、ちょっと先方に問題がね。あるだけなの」

「問題?」


 少年が軽く首を傾げる。


「先方のお貴族様は黒がお嫌いらしくて」

「あぁ」


 少年は興味が無くなったように、また視線を外に移した。少年にとってはいつものことだ。この国では黒は不吉を象徴する色。今では減りつつある魔族やら、存在すらしていたのか危うい悪魔やら、人の形をした人外が基本黒髪であることが原因で、場所によっては同じ扱いを受ける。


「逆に嫌いじゃない方が珍しいだろ。慣れてる」


 淡々と言う少年に、また女性は苦笑いして、フード越しに頭を撫でようと手を伸ばす。それに少年は、反射的にその手を制した。その動作に驚いたらしい黒猫が膝から逃げ出す。


「……何」


 少年の怪訝な目に、女性は柔らかく微笑む。


「いいえ〜? 何でもないわよ。それより馬車の中でぐらいフード取ったらどう? 魔術のせいで顔が見辛いのよね」


 少年の上着であるローブには認識阻害の魔術が組み込まれており、実際の名前と、彼の称号を結びつける者はギルドの外には居ない。


「窓から見え……」

「えい!」


 少年の意識が外に向いた一瞬の隙に女性はフードを下ろす。髪より闇の色が濃い黒の瞳に白皙の整った容貌、包帯で隠した左目がその中性的な顔と相まって痛々しく映る。


「…………」


 無言で睨む少年に女性は一瞬たじろぐ。思ったより機嫌が悪そうで若干後悔する。


「せっかく、可愛いのに隠してたらもったいないわ。ね、ルーク君?」


 女性はルークと呼んだ少年の横髪を持ち上げ、耳に掛ける。ルークは今度は止めることなく好きにさせ、ため息をついた。


「それは、褒め言葉じゃないだろ。オリヴィア」

「褒め言葉よ。息子達もこれくらい可愛かったら良かったのにって思ってるの。あの子達に同じことしてみなさい。ババア呼びしてくるわ」

「それは……また、命知らずだな……」


 ルークは自分にオリヴィアの年齢を教えてきた"称号持ち"が半殺しにされていたのを思い出して、寒気を感じた。なんせ、その"称号持ち"は戦闘に特化した人物で、オリヴィアはその相手に無傷。その時、オリヴィア相手に年齢のことを言うのはよそうと心に決めた。ちなみに、オリヴィアの息子達は二十歳を過ぎた辺りだ。


「それを考えるとルーク君はやっぱり可愛い方だわ。シェルちゃんが羨ましい」


 シェルとは、ルークを養子にした人物であり、アシュコットにあるギルドのギルドマスターだったりする。


「そういえば、仕事でアルカイア王国に行ってきたのよ」


 はい、お土産。とオリヴィアは包装された小箱を二つ手渡す。


「あの国って、海猫族の国でしょう? にゃーにゃー、にゃーにゃー可愛かったわよ」

「これは?」


 茶色の小箱に青色のリボンで包装された高級感がある見た目にルークは何が入っているか予想がついていない。


「あぁ、それね。ちょこれーとっていうお菓子よ」


 オリヴィアは小箱を一つ取り上げて、リボンを解き、箱を開けた。小さい四角形の一つ一つ包装紙に包まれた何かがいくつも入っている。その一つを手に取り、包装紙を破って中身を取り出した。手間がかかっているなとルークは思いつつ、差し出されたチョコを受け取ろうと手を出す。


「はい、あーん」

「…………」


 ルークは手をピタリと止めて、オリヴィアを見た。目が合うが、オリヴィアが微笑みを崩すことはない。どうしてもやりたいらしい。相当に子供扱いされているなと感じつつ、子供らしさへの葛藤と、甘味への興味を天秤にかけて、興味が勝った。口元まで差し出されたチョコを、唇で挟む。次いで手が離されたそれを、器用に口の中に運んだ。


「美味しい?」


 ルークはそれに口の中でチョコレートを転がしながら、無言で頷いた。飲み込んで、口を開く。


「甘い。……で、なんで、二つ?」


 ルークは、もう一つの同じ包装された小箱を手に取った。


「えーっと、名前を忘れてしまったのだけど、養子やしないごが一人いたでしょう? その子の分」

「あぁ。ありがとう」


 目を見て言われた言葉に、オリヴィアが感極まる。


「まぁ! 本当に、いい子ね! 撫で回したくなるくらい」


 オリヴィアは言いながら実行しようと手を伸ばす。ルークはその手をすり抜け、オリヴィアの膝から落ちかけたチョコの箱を受け止めて、向かいの座席に移動する。まるで、猫のような動きにオリヴィアはクスクスと笑う。


「あら、残念」


 その言葉は全く残念そうに見えない様子だった。


「そういえば、今回の依頼。夏が来ないのを何とかして欲しいーみたいな内容だったけど、ルーク君はどう思うの?」


 質問の意図を計りかねたルークは首を傾げる。


「どうっていうのは?」

「単純にどうしてそうなったのか、精霊使いシャーマンとしての貴方の意見が知りたくて」


 ルークは視線を手元に移し、チョコの包み紙を丁寧に剥がし始める。


「さあ? どうなんだろうな」

「わからないの?」


 オリヴィアのその問は、責めるのではなく、ただの疑問として聞いてきただけのような声色だった。チョコをちまちまと齧りながら、ルークは口を開く。


「……有り得るとするなら、妖精のイタズラか、人間が故意に遅らせたかのどちらかだろうけど。どっちも現実的じゃない。隣人達はそんな回りくどい方法でイタズラなんてしないだろうし、人間にしたってそうだろ」

「もしも、人がわざとやったなら、伯爵様への怨恨かしら」

「実際、予定されていた祭りは延期されて経済的な打撃は受けたけどな」

「まぁ、そんな季節遅らせるなんて大掛かりなことしなくてもできるものねぇ」

「情報が少ないから何とも言えないな」

「――――」

「?」


 突如聞こえたそのにルークは意識を向ける。その声は外から微かに聞こえるものだった。


「――、―――」



 その声は微かに旋律を持って聞こえ、ルークは首を傾げる。


「歌?」

「どうかしたの?」

「聞こえないか? 歌みたいな……」


 そう言われて、オリヴィアは耳を澄ます。


「……言われてみれば、そうねぇ。歌に聞こえなくもないけど、何かの笛の音みたいに聞こえるわね。気になるなら一回、馬車止めて貰いましょうか」


 オリヴィアが御者に話しかけている間に、ルークは馬車の扉を開ける。

 生暖かい春の風が自分の周りを通り抜けるのをルークは感じると同時に歌が鮮明になった。道の先を見てみれば、目的地の街は近い。


「オリヴィア、別に止めなくていい。俺はこのまま降りて歩くから」

「あら、そう? 今日泊まるのは目的の伯爵家なのだから、このまま乗っていけばいいのに」

「貴族への挨拶は"恋人達The Lovers"で充分で、俺は邪魔だろ。それに今回の依頼、彼女・・が関係してるならもう少し、この歌が聴きたい」

「流石、耳がいいのね。そうね、今回の私は伯爵様の相手をする為にいるようなものだし……依頼としては"死神Death"としての貴方の領分だもの。ただ、無理はしないように……じゃあ、また後で」


 手を振って送り出すオリヴィアに、頷いて黒猫と馬車から飛び降りる。

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