第3話② 光輝の誓い、結月の青春

「では、こちらの用紙にお名前とご住所をお書きください」

「はい、わかりました」


 入館手続きを済ませるため、結月さんは受付票にサラサラと記入していく。その長い髪と同じく、流れるように綺麗な字だった。


「光輝さんはOBだから手続きいらないんですよね?」

「うん。大学発行のクレジットカードでね。卒業生であることの証明書にもなってて、学内の色んな所で使えるんだ。PCルームを借りたりとか」

「へえ、便利ですね。うちの大学もそうなのかな。……OG、かあ。私ももう大学生活半分過ぎっちゃったんですよね」


 しみじみとそんなことを言う結月さん。

 だから俺はついアラサーとしての忠告をしたくなってしまった。


「……結月さん」

「はい? 何です?」


 彼女は紙の上を滑らかに走らせていたペンを止める。

 俺は腕を組み、気持ち深刻な声色になるように言った。


「二十歳過ぎてからの10年はマジ早い。気をつけたほうがいい。特に就職してからはさ。10歳から20歳の10年とは比べ物にならないよ。3倍どこじゃない。10倍早い」

「……え。で、でも光輝さん、まだ20代終わってないじゃないですか。あと3年もありますよ?」

「あと3年なんて10代の頃の1年にも相当しないよ。なんたって10倍だし。気づいたら30過ぎてる未来しか見えない」


 これが30から40の10年はさらに早くなるって皆言うんだからやってられない。最近よく『人生100年時代』なんてマスコミとかが煽ってるけど、それでも物理概念的にはともかく、体感的には30で折り返し地点じゃないか?


 そこまで長生きする元気も資格も意欲もない俺なんて、それこそもう人生半分を超過しているかもしれない。


「お、脅かさないでくださいよ。だいたい、気をつけるって、何に気をつけるんですか……」

「そうだな……。それこそ大学時代の青春とか恋愛とか? タイムマシンでもできない限り時間は戻らないわけだし」

「え」


 なぜか結月さんは石のように固まる。


「いや、この年になると意外と思うんだよ。もっとやりたいことやっとけばよかったなあってさ」


 もちろん、陰キャで非リアな俺には、まったくもって相応しくない台詞だという自覚はある。

 それは結月さんも同じだったようで、


「むー……。なんか光輝さんがそういうこと言うの、ちょっと似合わないかもです。光輝さんだって、学生生活得意じゃなかったんでしょ?」


 珍しく不満そうに口を尖らせた。

 ……どうでもいいけど、結月さんが本当にたまに混ぜるタメ口、結構破壊力あるな。思わずドキリとしてしまう。

 もちろん、そんな動揺を悟られるようなヘマはしない。

 俺たちは“そういうの”ではないのだから。


「あはは、まあね。自分でもオッサンっぽいこと言ってんなあって思うよ。でも、君たちを見てると、そんな上から目線の助言もしたくなっちゃうんだよ。俺も最近自分で気づいたんだけどさ」

「? どういうことですか?」


「ほら、俺がいくらアラサーでも、27なんて社会人じゃまだまだ、やっとひよっこから抜けたくらいの若手扱いでしょ。だから自分が一人前だなんて思うことは皆無なんだけど……」


 結月さんは「だけど?何なんでしょうか?」と首を傾げた。

 俺は続ける。結構な長台詞だな。


「結月さんや日菜さんみたいに、まだ学生ってカテゴリーの子たちと接すると……っていうより、一端会社って社会の外に出ると……って言い方のほうが正しいのかな。こんな俺でも一応、大人ってポジションになるんだって実感することが多くてさ。ああ、こうやってだんだん年取ってくと、説教臭くなるし、若い子に自分の考え押しつけがちになっていくんだなって」


「……そんなことないです。光輝さんはいつだって、私たちの考えや意見を尊重してくれます」


 だから私は……。結月さんはそう続けたが、その先は俺の耳には届かなかった。彼女も聞かれたくない言葉であるに違いない。


「はは、ありがとう。でも大人がそうやって口やかましくなる気持ちも、少しだけわかるようになったよ」

「わかるって……どんな?」

 

 俺は言った。


「自分より若い子たちには、自分よりも幸せで、楽しい未来を生きてほしいってことさ」


 そしてそのためなら、俺は……。


「ふふっ、それ、本当にお年を召した方みたいですよ。台詞も……ちょっとかっこつけすぎかなって思います」


 日菜さんなら大笑いするかドン引きするところだろうが、結月さんは控えめに笑みを浮かべるだけだ。

 照れくさくなった俺は頬を掻きつつ目線を逸らし、


「だ、だから話を戻すけど、今しかできないことは今のうちにやっといたほうがいいってこと。特に恋愛ね! 俺みたいになっちゃダメだから!」


 自虐で自爆してごまかす。こういうことをプライド捨ててできるようになったのも年取ったってことなんだろうな。


 俺の痛々しいネタに、結月さんは一瞬怯むも、すぐさま優しく微笑み……


「私も、光輝さんと同じで、日菜とは違って、青春とか勢い任せに何かするのとか……すごく苦手です、けど……」

「結月、さん?」


「でも、それは……それだけは、大丈夫です。絶対に」


 強く、そう断言した。



 ×××



 ~Another View~


 一足先に愛海と一緒に入館していた日菜は、ゲートの向こう側で長々と話に興じている姉と光輝に白けた表情を向ける。


「もう。お姉ちゃんったら何のんびりしてるのよ。妹忘れるとはなんて薄情な」


 すると、隣にいた愛海は、二人の姿を視界に留めつつ言った。


「…仲、いいのね。彼女……結月さんと桜坂君」

「は、はい……まあ。今まであんまり接点なかったんですけど、最近わりと色々とお世話になって」


 日菜は慌てて、“設定”に即した言い訳を披露する。嘘は言っていない。

 それを聞いた愛海は、


「ふーん……」


 と、意味ありげな吐息を漏らすと、


「だったら……図書館であんまりワイワイするのもよくないし、ここで二手に分かれましょうか? 日菜ちゃんは私が案内するわよ?」

「えっ……」


 心中の一切読めない愛海の提案に、日菜は小さく声を上げた。

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